引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

18.引き篭り師弟と、不吉な訪問者10


「出て行った、違うですか!」
「意表をつかれた後の間抜けな顔は、愉悦に値しますのでね」

 ラスターさんじゃないですけれど、ほんと趣味の悪い人!
 っていうか、ホーラさんは無事なのでしょうか……! 音を立てて振り返ると、ぐったりした龍さんが、師匠たちの傍に寝ていました。ホーラさんがひっきりなしに撫でていらっしゃいます。
 ですが、龍さんはすっと姿を消しました。もう一匹の不思議な召喚獣は、何故か結界の外側へ羽ばたいていってしまいました。あたりは変わらず薄暗いので、単純に家と反対方向、という感覚からだけですけど。

「さて。あっさり捕まった異物は――」
「近づかないで!」
「やれやれ。だれも危害を加えたりしませんよ。お話でもしましょう」

 自分がしてきた行為を棚にあげて、よくもまぁぬけぬけと!
 目の前にまできていたメトゥスをきっと睨み上げても、もちろん、相手が怯む様子はありません。逆に、笑われちゃってます。
 ぶぉんと耳の真横で、羽音が鳴りました。

「メトゥス、この野郎! アニムから即刻離れやがれ!!」
「ししょー! ごめんね、私――」

 ぎゅっとマントを抱きしめると、メトゥスが私を押しのけました。師匠が映っている魔法映像から遠ざけられてしまいました。
 私の肩に触れたまま、メトゥスはいやらしい音調で笑います。手を振り払いたいのに、体が痺れて動きません。

「やれやれ。マントひとつ満足に取ってこられない異物など、全く何の役に立つのやら」
「黙れ。お前の狙いはオレだろうが!」
「貴方らしくありませんねぇ。実に不愉快だ。昔のウィータであれば、声を荒げることもなかった。私が何故異物の方を狙うのかも、当然の如く受け入れてもいたでしょうに」

 メトゥスの表情は伺えません。声も平淡な調子なので、呆れているのか苛立っているのかも判断つきません。
 けれど、掴れた肩に食い込んできた爪が、怒りを伝えてきます。声はあげてなるものかと歯を食いしばっていたのですが。師匠の視線が私に向いた途端、一番の痛みが走り、つい「いっ!」と喉を詰まらせてしまいました。

「てめぇの偶像(イメージ)なんざ知ったこっちゃねぇよ! そんなことより、アニムに触れてるその手、切り離してやる!」

 ベランダ下にいる師匠の周囲には、風が吹いています。が、ラスターさんが生み出した風に相殺されてしまいました。
 ラスターさん、師匠の背中を指差しているので、傷口が開いちゃったに違いありません。お願いだから無理はしないで、師匠! なおも魔法を練ろうとし立ち上がりかけている師匠を、ラスターさんとホーラさんが押さえ込んでいます。

「ししょー! 私、大丈夫だから!」
「虚勢とは……だれかが助けてくれるとでも思ってるのですか?」
「って、あなたが、攻撃しない、言ったですよ!」

 虚勢とか呆れる前に、自分の発言には責任持って頂きたい!
 突っ込みの勢いが手伝ってか、なんとかメトゥスの手を払いのけられました。乾いた音が響きますが、メトゥスが痛がっている気配はありません。むしろ、口が三日月顔負けな形になっています。ぞぞっ!

「他人の言葉を素直に信じるのが美徳か。はたまた愚直か。昔のウィータなら、後者だと即答したでしょうね」
「一般論とアニム個人を一緒にすんな。ちったー思考の柔軟性を持て」
「そーよ、そーよ! 何十年たっても石頭なんだから! あんた、そのうち、はげるわよ!」

 そうだ、そうだ! と心の中でだけ腕を振り上げました。私だって、正直なところ、メトゥスの攻撃しない発言を鵜呑みにしているわけではありません。メトゥスの、自分で言っておいて人をバカにした態度に、少しばかりかちんときてしまっただけです。
 師匠のマントをぎゅっと抱きしめると、心音が静まってきました。一刻も早く、ラスターさんかホーラさんに回復玉を渡さないと。でも、今放り投げても、メトゥスの方が先に気がついて、魔法で奪われてしまう。

「幼稚なラスは放っておきましょう。さて『アニム』。どこから話を始めましょうか」
「どっどこからって、どーいう意味、です」

 名を呼ばれて、ぎくりと体が跳ねました。途端、メトゥスに傾注してしまいます。
 しっかりするんだ、アニム。師匠が散々名前は言霊って教えてくれたじゃないですか。私の名を呼んだことによって、暗示をかけやすくしたのかもしれません。
 額に触れ、瞼をきつく閉じます。さっき師匠が描いてくれた魔法陣。じんわりと熱が発せられています。

「メトゥス、てめぇ!」

 師匠から怒声が上がったかと思うと、メトゥスめがけて氷の槍が突っ込んでいきました。と同時に、私の周りには光のベールが現れました。額の魔法陣でしょうか。
 メトゥスは動揺もなく、静かに左手を差し出します。槍が刺さる直前、槍は水しぶきとなって散ってしまいました。ベランダを濡らした水は、あっという間に蒸発していきます。

「まさかウィータからこのような弱々しい魔法が発せられるなんて。もう大人しくしていてください。下手に魔法を使うと、私も驚いて、ついうっかり『アニム』に手をあげてしまうかもしれません」

 苦々しく吐き捨てたメトゥス。
 悔しいですが。私も、いつもの師匠にしては魔法に輝きが足りなかった気がします。師匠の魔法は、生命力が宿っているっていうか、力強いというか。あくまでも私の主観ですが、生き生きしているように思われるのです。
 それだけ、今の師匠は弱っている。唾が喉元でひっかかって、少しむせてしまいました。

「アニム、メトゥスなんてぐーぱんちで殴っちゃっていいのですよ!」
「そもそも、話をするだけなら、人質的な立場じゃなくっていいじゃない!」
「と、外野が騒いでいますが……どうしますか? 貴女は私の話に耳を貸しますか? 私はどちらでもよろしいのですよ? ただ、閉じた世界に置かれ、好意と言う感情を刷り込まれているのが哀れなのです」

 答えるより先に。浮遊感に襲われました。腰が落ち着いたのはベランダの手摺り。手摺りは幅があるので、私のお尻でも安定感はあります。でも! 時折噴く 風に髪が舞うので、視界が遮られるとちょっとした恐怖を感じます。普通に乗ってる分には、私も木登りをよくする、というかさせられているので、高いところ には慣れています。
 でも、隣に腰掛けているメトゥスに、いつ突き落とされるかという危惧があります。
 眼下にいる師匠の背中には、まだ治療の光が見えます。一個目の回復玉の効果がまだ続いているんですね。

「……一体、どんな話ですか」
「アニムっ!」

 師匠とホーラさんの声が重なりました。目の前に移動してきた魔法映像には、汗を流している師匠と、ぎょっと目を見開いたホーラさんがいらっしゃいます。ラスターさんにいたっては、絶句しちゃってる。
 師匠、それにホーラさんと順番に見ていきます。最後に、ラスターさんを見ながらぎゅっとマントを抱きしめました。ラスターさんは気がついてくれるでしょうか。こんな小さなサインではムリかもしれません。けれど、送らないよりはましですよね。

「ほぅ。多少の判断力はあるようですね。では――先ほど思考へ直接話しかけた際、一番気にかかっていたようですので、『アニム』について教えてさしあげましょう。それとも、召喚術の真相の方が面白いでしょうかね」

 喉を震わせながら、メトゥスが掌をかかげ重々しい声を紡ぎだします。
 私と師匠たちの間に黒い煙が走り、ぱっと消えました。立ち上がりかけた私に、メトゥスが「ただの消音魔法ですよ」と、けだるそうに肩を押し戻してきました。
 確かに。師匠たちは口を動かしているようですが、声は届いてきません。って! いちいち触らないでくださいよ!

「ウィータたちの声は遮断されていますが、こちらの会話はきちんと聞こえているのでご安心を。あぁ、魔法映像もそのままにしておいてさしあげましょう。貴女が絶望していくさまを、あますところなく見て欲しいですからね」
「絶望するなんて、決まってない」
「威勢がよろしいことで。そうですね、私は一番の愉しみはとっておくタイプですので、アレは最後にまわすとして――」

 落ちない程度に腰を捻ると、メトゥスも私を見ていました。組み直した足をぶらぶらと揺らしています。顎をあげているメトゥスは、私をみくだしているようです。
 負けるものかと、ぐっと睨みあげてやりました。

「まず、おさらいしおきましょうか。貴女は自分が召喚に巻き込まれた当時を覚えているのですよね? ですが、反応からして全部ではない。そして、自分に与えられた『アニム』という名が、他人のものであるという事実も承知している」

 どくんどくんと、心臓が破裂しそうな勢いでなり始めました。ついに師匠に知られてしまう。聞きたくても、どうしても尋ねられなかった『アニムさん』の存在を、私が知っていることを。
 師匠、ごめんなさい。率直に教えてとお願いすれば、師匠は戸惑いながらも隠さず教えてくれたかもしれないのに。こんな形で、気がついているのを知らせることになるなんて。
 けれど、メトゥスに懺悔を悟られるわけにはいきません。返事はせず、小さく頷きだけ返します。
 視界の端に映った師匠は、先ほど、私の言葉に傷ついたときと同じくらい、目を見開いていました。

「どう情報を得たかまでは存じませんが。――あぁ、ひとつは私が仕掛けたのですけれどね。調合部屋の金庫。その中身をご覧頂けたのですよね? 貴女の世界の辞書に挟まれていた、メモ」
「あなたの仕業、だったんですね。でも、どうやって」
「傀儡を送りこんだ際に、少しばかり細工をさせていただきました。とは言っても、私には開けられませんので、本当に細工だけですが。ただ、的外れな連想を されていますので、あの細工以前に勘違いする要因があったのでしょう。あぁ、確かカローラとかいう人物からの情報でしたか」

 問われて、顎を引きました。
 頭に直接話しかけられた時に、カローラさんの名前を出してしまったので、今更すっとぼけようがありませんよね。メトゥスの言い方だって、わざわざ師匠に教えるためのものに聞こえます。後で、ちゃんと師匠にも説明しないとです。
 それにしても、メトゥスは随分とおしゃべりですね。よかった、時間稼ぎは充分に出来そうです。

「的外れ、ですか」
「えぇ、然許り。ウィータがこの結界を組むきっかけとなった女性が、本来ウィータが欲した『アニム』です。先ほども申し上げましたが、ただの魔法使いとし ての好奇心や暇つぶしかと思っていましたよ。いや、万が一の可能性として過去の『アニム』に心を傾けていたという可能性も考慮していなかったわけではあり ませんが……」

 メトゥスの視線が師匠に注がれました。魔法映像ではなく、直接師匠を見下ろしています。師匠の周りには電気が走っています。
 魔法映像を見ると、見たことのないくらい、怒りに染まっている師匠がいました。跳ね上がった眉毛の下には、ナイフよりも鋭い瞳。以前森で見た、手負いの獣のようです。口から瘴気が出てきそうです。
 悦に入った顔で師匠を見下ろしていたメトゥスが、手摺りの上に立ち上がりました。まるで演説でも始めるかのように両手を広げ高らかに「さて!」と胸を張ります。

「異物を愛でる姿を見ていて――貴方が異物を弟子に置いたことから、どうやら私は間違っていたと考えを改めました!」

 師匠が私を守ってくれているのを見て、ということ? メトゥスが言う確信の内容は、大体予想がつきます。というか、言われてますしね。師匠は私じゃなくて『アニムさん』が欲しかった。そうとでも突きつけてくるつもりでしょう。
 それより、どのタイミングでマント――回復玉がつまった箱を投げればいいのか伺わなくては。

「ウィータ、貴方、単純に対抗していただけなのでしょう? 師匠と呼ばれ、異物に慕われていた未来の存在(じぶん)に!!」

 凍りついた空間。
 えっ……。えぇ?! 頭の中が真っ白になりました。どういう意味? 師匠がだれに対抗しているですって? 『アニムさん』に慕われていた師匠?!!
 うっかり力が抜けかけました。落としそうになったマントを慌てて抱え直します。
 鳴り出した耳鳴りがめまいを引き起こしてきました。マントを落とさなかったのはいいとして、自分の体が落下していきそう。怖くて。師匠がどんな顔をしているのかが怖くて。ただ、メトゥスを見上げることしか出来ません。

「やはり、この可能性には至りませんでしたか。よくよく考えてもみなさい。ウィータがいくら寛大とはいえ、術の失敗に巻き込んだだけの異物を、初めての弟 子にし、使えない弟子を愛でてきたのだと思います? 特異なものを眷属としステータスとして利用するならともかく」
「しっししょーは、あなたのような、損得勘定で、動いてないです」

 情けないくらい、掠れた声です。風にかき消されそうな声量。しゃべりだした途端、全身が震え始めました。とまれとまれ。全身の筋肉が引きつって、痛い。
 瞳も喉も渇ききって、裂けてしまいそう。

「魔法が使えない低俗な異物を初弟子にしたのは、出会った『アニム』がそうであったから。想いあっている仲であるのに己を『師匠』と呼ばせているのは、 『アニム』がそうしていたから。手をだしていないのも、どうせ『アニム』関連ですよね? あぁ、くそつまらない理由ですね。かつて、己が嫉妬した『師匠』 と興味を抱いた『アニム』、二人の関係に並ぶまで待つ『時期』。いや、そうですね――」

 目の前の男は、一体だれに向かって話しているのでしょうか。高揚を前面に現し、叫びに近い声で延々と語り続けるメトゥス。
 違う。違うって、師匠の声で、言葉で否定して欲しい。
 やっぱり、私じゃ駄目なの? 『アニムさん』じゃなきゃ、師匠は欲しくない? 私が師匠をどう想うかをわかってたから、いつもあんなに余裕だったの?

「実験と捉えれば、非常に興味深い! そうか、そうなのですね! 私が敬愛したウィータであるうちに、いっそ殺してしまおうか思い悩んだ時期もありまし た。随分とつまらない道をなぞっているのだと。けれど! 稀代の魔法使い相手に生まれた対抗心と、魔法の存在しない世界から召喚された希少な異物(サンプ ル)。世界で最も澄んだ結界。式神の材料! 百年の計画を実行に起こすための材料が、召喚術失敗によって揃った! 私としたことが、愚かでした。ウィータ がそこまで深く考えていたとは。目の前の演技に騙されていました!」

 演技? 実験? 材料?
 待って、まって。思考が追いつかない! メトゥスも黙って!
 メトゥスの息遣いと声しか響かない空間が気持ち悪い。師匠を大好きという気持ちも、この世界に残りたいっていう決心も、過ごして日々も、全部が決められていたことだっていうのでしょうか。
 思い返せば、言葉の端々にヒントはあった気もします。私がここにいるのを確かめるように触れてくる師匠の手。あれは、私ではなくて『アニムさん』を感じるため?

「アニム!!」

 全てを嫌疑の色で塗り替えそうになった瞬間。師匠の声が殻を壊してくれました。呼んでいるのが私の名前じゃなくても――違う、アニムは私なんだ。
 乾ききった世界が、一気に潤っていきます。
 空間の闇をなぎ払ったのはアルス・マグナでした。アラケルさんとの魔法戦、いえ、私をこの世界に連れてきたのと同じ、大きな魔法陣が頭上に浮いています。紫色の光を強くした魔法陣が消音魔法を打ち消したのでしょうか。
 って、師匠、腰元どころか右半身が血に染まってるじゃないですか!!

「図星ですか、ウィータ。私は嬉しいです。そして、貴方の意図を見誤っていたことを、詫びましょう」
「だれも、てめぇに話しかけてねぇよ!」
「そうですね。貴方の口から直接伝えてさしあげてはいかがです? ねぇ、異物。絶望が決定的になれば、消えてくれますよね?」

 ちょっと冷静になれば、師匠とメトゥスの会話が成立してないのが丸わかりです。メトゥスの勝手な妄想に付き合っている時間がもったいないです。
 けれど。メトゥスが興奮している今、チャンスかもしれません。
 何度か指先に力を込めてみます。最初はうまく行きませんでしたが、ホーラさんがメトゥスと言い合いをしている間に、徐々に感覚が戻ってきました。よし、 いける。幸い、メトゥスの視線は常に師匠に向いています。空中で箱が開かないよう、マントの端を内側に突っ込んで風呂敷状態にしておきましょう。

「確かに」
「アニム?」

 今にも師匠って叫びそうになるのを必死で堪えます。
 師匠は、一気に眉を垂らしました。傀儡の時と同じだ。どんなに怒っていても、私を見ると一変する。私が『アニムさん』のことを黙って一人で抱え込んでい たように。師匠も私に言えなかった事実があるから、踏み込んできてくれなかったのかもしれない。
 師匠は無敵で、人生経験もあって、心が揺らぐことも少ないって思い込んでました。けどね。操られていたとはいえ、私の『嫌い』だとか『手放して』という 暴言で、あんなに傷ついていた師匠が、演技で私を大切にしてくれてたなんて思えないんです。あの怪我だって、そのせいですもん。プライドが傷ついたんじゃ ない。師匠の心が痛んでた。
 私は、今日まで揺らぎにゆらいできました。『アニムさん』の存在を知ってからというものの、師匠が私に接してくれているのか、この世界に残っていいの か、たくさん悩んできました。たぶん、この場で始めて知った事実なら、師匠を信じられなくなったりしたり、自分で考えることを放棄していたでしょう。
 だけれど。私はみんなに支えてもらった。道標をもらった。
 一年半以上、師匠と時間を共有して、笑ったり、寂しくなったり、怒ったり。色んな感情が生まれました。
 魔法にかかってたっていい。師匠が大好きだって心があったかくなってるのは、嘘じゃない。
 まやかしだなんて、急に現れた他人の言葉なんて信じません。私が信じてるのは私の気持ちと師匠。
 だから、ごめんね。ちょっとひどいこと言います。

「師匠は、はっきり、私に言葉くれたこと、ないもんね。それは、私が、まだ師匠が欲しい、思った、『アニムさん』じゃなかったから、なんだね?!」
「違うっ、オレは!!」
「ラスターさんも、知ってて、私の告白聞いて、滑稽(こっけい)思ってたんでしょ!」

 突然話を振られたラスターさんは、鳩が豆鉄砲をくらったようなお顔です。ですが、思ったとおり。すぐに立ち上がって身振り手振りで否定してくれました。
 お願いです、もうちょっと近づいてきてくださいね! 自分が作れる限りの皺を眉間に寄せます。隣から「あぁ、なんて醜い」と悦った声が聞こえてきますが、無視です。あなたからの不細工上等です!

「みんなして、バカにして! こんなマント『とか』、触ってたくない!」
「おや。人形にもプライドはありましたか。代用品にもなりきれない、安っぽい人形ですね」

 ひじょーにわかりにくいかもですが。精一杯、マントだけじゃない主張です! アクセントつけました!
 せーの!! 緊迫ぶち壊しのかけごえを心の中でして、力の限り、ラスターさんにマントを放り投げます。
 メトゥスには、うっせぇっと言っておきました。内心で。

「ん?」

 メトゥスが訝しげに呟いたのに、布の質量だけの落下速度じゃないですよねーと苦笑いを返します。しつこいですが、頭の中でだけ。
 お願いラスターさん! 師匠を傷つけてまで渡した回復玉、受け止めて!

「アニム!!」

 願った瞬間。師匠の声が響き渡りました。大声ですが、怒っているものとは全然違います。張り詰めているけれど、どこか熱い声色。低くないけど、おなかに響いてくる師匠の声。
 わかってる。こんな時でも本名を呼んでくれないのは、私の真名をメトゥスに知られないため。だけど、どうしようもなく瞳が熱い。
 口の端についた血を袖で乱暴に拭った師匠。真っ直ぐ私だけを映しているように思える瞳に、苦しくなります。魔法映像いっぱいに映った師匠の瞳は熱を帯び ているように感じられて、心臓が痛いほどしぼみます。けれど、決していやな感覚ではありません。むしろ、全身が熱いです。
 もう一度名前を呼ばれ、本物の師匠に視線を映すと……私を見上げる師匠がいました。少し遠いけれど、視線が絡んでいるのがわかります。

「ししょぉ」

 潤っていく瞳と同じく、声も涙声で情けない。でも、無性に泣きたくなる視線なんです。
 師匠はすぐには応えてくれません。大きく呼吸をしています。詠唱の準備でしょうか。

「百年前この結界を作ったのも、異世界のお前と接触しようと思ったのも、過去の出会いがきっかけだ。けど――」

 紡がれたのは、メトゥスの言葉を肯定するものでした。師匠は『アニムさん』への気持ちを、私に言うつもり? 代用してて、ごめんなんて。違うって思いたいのに。弱い私は崩れ落ちてしまいそう。
 切れた言葉に続かない声が、まるで失恋の前兆のようです。ぐしっと目を擦ると、師匠にきっと見つめられました。瞬間、不思議なくらい、絡み合った心がほぐれていきました。

「オレが心底惚れてんのは、今、目の前にいるお前だ!! オレの魔力から命まで全部かけて誓う!!」

 胸を強く叩いた掌。強い光を灯した瞳。
 あれほど煩かった耳鳴りが、ぴたりとやみました。代わりに、飛び出していってしまいそうなくらいの心臓を、そっと押さえます。
 聞き間違いじゃ、ないですよね? 今、師匠が『惚れてる』って叫んだ? 私に?
 欲しくて欲しくてたまらなかったはずの想いなのに。初めて聞いた言葉のように、飲み込めません。まるで理解してしまったら幻のように消えてしまうと警告しているように。

「召喚に巻き込んで、お前を弟子にしてからずっと。自分でもどうにかなっちまったんじゃないかってくらい、毎日、アニムの一挙一動に感情を揺さぶらされる んだ! お前と過ごした時間は、生きてきた何百年と比較になんてならないくらい、生きてるって意味を実感させてくれてる! そう感じられるのは、アニム。 お前のおかげなんだ!」

 師匠の顔を見ていたいのに。止め処なく溢れ続ける涙が、邪魔をします。意味を成さない嗚咽が、折角の師匠の言葉を遮ります。
 強がってても、不安だったんです。本当は、メトゥスが言うように、『アニムさん』の代わりなんじゃないかって。それでも良い、私を見てもらえるように頑張る。師匠が大切にしてくれてるのは態度で伝わってきてたから、そう自分を鼓舞してた。
 でも、やっぱり、心の奥底では、怖くて仕方がなかった。
 隣に眠る師匠を眺めて、いつか『アニムさん』と違うって突き放される日がくるんじゃないかって、悲しくなった夜もあったの。

「オレは、アニムをだれにも、どこにも、渡したくない! 召喚に巻き込んだ罪悪感なんかじゃない。ましてや、プライドや意地なんかじゃ、絶対にない」

 でも、信じてて良かった。迷ってよかった。回り道をしてひどい失言も口にしたけど、お互い素直じゃないなんてしょっちゅうだけど。だから、今。幸せだ と。純粋に嬉しいと泣ける自分がいるんですよね? きっと、召喚された直後の、何も積み重ねてない私だったら、ひどいと無責任に怒ってただけかもしれませ ん。
 師匠が好き。私は、師匠がたまらなく大好き。向き合ってて欲しいと願ってた想いも視線も、本物だった。

「ただ、お前っていう女を――愛したんだ!」

 やっぱり、私は師匠が大好き。師匠の気持ちを全身で感じて。私の中の想いが、膨れ上がっていきます。
 生まれて始めてもらった、大好きな人からの、ありったけの想いを詰めた言葉たち。照れ屋な師匠がくれた、まっすぐな言霊。
 顔を強張らせ口をへの字に引く師匠。私はただ。涙でぐちゃぐちゃのまま笑うのが、やっとでした。




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