引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

18.引き篭り師弟と、不吉な訪問者1


「くぁー! 昼間から飲む酒は、うまうまー! なのですよぉ。五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡るのです」
「これ、北国の酒だわよね。寒い水晶の森にぴったりよねぇ」

 はい。安定の酒盛り中です。ホーラさんの言葉通り、時計の針は、14時を指しています。今日も今日とて、雨降り天気なので、暗いですけど。
 談話室の長机には盛りだくさんの料理が置かれています。ほこほこ白い湯気をあがている肉饅頭を口に放り込むと、あつあつの肉汁が染み出てきました。あついけど美味しい! じゅわっと口内に広がる香草が鼻に突き抜けてきて、ほっぺが落ちてしまいます。

「アニム、また舌火傷するなよ? 熱い飯食ったからって理由で拒まれる身にもなれっての」
「ししょーの、心配の仕方は、いちいち、えろじじいなの。おやすみの、口づけだけなら、火傷、関係ないよ」
「はいはい。すみませんねーアニムは就寝前の口づけだけ満足なんだよなぁ」

 とくとくと波を立ててお酒を注ぎあっているホーラさんとラスターさんには聞こえないよう、極力ボリュームを絞ります。幸い、はしゃいでいるお二人には届いていないようです。
 こくんと、爽やか系のエルバを浸した水を流し込むと、ようやく熱さが引いてくれました。一歩、師匠と距離を詰めて唇を尖らせてやります。

「ししょーは、ずるいよ。一昨日だって、私のバスタオル一枚姿、見ておいて――」
「まぁ、この肉饅頭はうめぇから、気持ちはわかるがな」

 なんてわかりやすい誤魔化しでしょう! わしゃわしゃと髪を掻き乱されましたよ。離れて髪を直すと、その先から梳かれます。お食事中に髪を触るのはいけません!
 私たちが静かな攻防を繰り広げている中、ホーラさんは大目の油で一気に炒めた野菜と素揚げ風のお肉を山盛りに掬い上げています。
 あと、机に並べられているのは、てしてしの実や渋めの木の実、おつまみなどです。よく胃に入りますね! と思える量です。主にホーラさんのため用意された量なんですけどね。毎度のことながら、ホーラさんの胃はイッタイどうなっているのでしょう。
 ちなみに、てしてしの実は、フィーネとフィーニスがてしてし叩くとぽんと弾けるので、そう呼んでます!

「酒はともかく。長旅で着いたばかりなのに、すげぇ量食うよな」
「ししょー、普通は、お酒もどうかと思うよ」
「あいつらにとって、酒は水代わりだからな。言うだけ無駄なんだよ」

 私と師匠が並んで座る正面、机を挟んでお酒やらおつまみに忙しく手をつけているホーラさんとラスターさん。なにやらもごもごと口を動かしていらっしゃいますが、さっぱり伝わってきません。
 師匠が、琥珀色(こはくいろ)のお酒が入ったグラスを、からんと鳴らしました。師匠も人のこと言えませんよ。私の視線をキャッチしたはずなのに、師匠ったら涼しげな横顔で一気に煽ってしまいましたよ。

「あれれー今日は、アニム飲まないのですぅ? センとディーバが到着する前に、ちょっとできあがっていた方がいいのですよ」
「しらふの方、お迎えするのに、できあがってるが、いいですか」

 よっよくわかりませんね。それとも、酔っていないといけないくらいの衝撃が待っているですか。いえいえ、ディーバさん、お話を聞く限りですが、突拍子もない方ではない気がします。
 てしてしの実を口に含むと、甘栗のような甘味が広がっていきました。

「酔っ払いの戯言(ざれごと)に耳をかすな」
「ぶぅ。前はアニムも飲んだじゃないですかーそういえば、わたしたちが初めてここに来た際、ウィータに部屋まで送ってもらっていたアニムは、ほわほわに酔ってて可愛かったのですー」
「私、酔っ払ってたですか?」

 はて。記憶にございません。確か、あの時は師匠がお風呂に入っている間にお酒を飲んで。待っていられなくって、ソファーで寝ちゃったはずです。でも、部屋のベッドで寝てたので、師匠が運んでくれたんでしょうと勝手に思っていたのですけど……違うのかな。
 と。脳裏に浮かんできたのは、師匠の熱っぽい目。それに、肌をくすぐる唇。違う日の出来事と記憶が混ざってる?
 そうだ、前に聞いた気がした師匠の弱点て、この時に発覚したような……そうだ、そうだ。

「おーい、アニム? 眉間がすげぇ状態になってるぜ?」
「ひやぁ!」

 天井を見上げていたところ、眉間をぐりぐりと押されました。いえ、眉間は大丈夫なんですけれどね。その後、すっと耳の裏をくすぐられたのに、ぞわっときちゃったんです。
 思わず背筋を伸ばすと、師匠に呆れた視線を向けられてしまいました。理不尽!

「変な声出すなよ。お前、ほんと耳弱いよな」
「ウィータの触り方がいやんなのですよ。それに、変態じじいみたいなのです」

 いいぞ! ホーラさん、もっと言ってやってください!
 危ないのでコップは置いておきましょうね。ちょっと声は出しにくいので、大きく頭を振って同意を示しておきます。
 別段、じじいという単語にだけ反応したのではありません。なかったのですけど、師匠的には気に食わなかったようですね。据わった目のまま、頬を引っ張られています。

「そーよ、そーよ! この間も、ルシオラがいる前で、口づけかましたり抱きしめたりだったのよー? 独占欲強くなりすぎてやしない? 確かにここ最近、アニムちゃんてばどんどん綺麗になっているし、シルエットも女性らしくもなってきたけど。毎日鼻の下伸ばして欲ばっか出して言葉にしてあげないなんて、いつか愛想つかされるわよ?」
「うっせぇ! だれも鼻の下なんて伸ばしてねぇよ。むしろ、心労で倒れねぇかのが心配だ。我ながら。そもそも、ラスターはアニムのどこを見てやがる。いくら物欲しげに見やがっても、全部オレのだからな」

 今度はぐいっと頭を肩に押し付けられました。腰にまわってきた掌から、じんわりと熱が伝わってきます。前半と後半の台詞がかみ合ってなくて、心臓が壊れそうです! 前に師匠がぼやいていた意味を体験しましたよ!
 私の場合、拗ねるのと素直になるのとを一緒にするなと叱られましたが、師匠はツンデレです。危険です。言動の不一致は、心臓破りです。

「ししょーも、ラスターさん、見習って、たまには誉めてくれても、いいのに。意地悪ししょー、乙女心無理解ししょー。ちょっとくらいは、くらっと、して欲しいです」
「あたしはいつでもアニムちゃん受け入れ体勢よ! 甘くて蕩ける時間を、あ・げ・る」

 さすがラスターさん! のりが良いです!
 すみません。自分の魅力を棚にあげて、言わせて頂いています。アニムの反撃です!
 師匠をきっと睨み上げると、別の意味でくらっとされたようです。私的には魅力にくらっときて欲しかったのですが、目の前で目元を覆っている師匠は疲労からよろめいたのが丸わかりです。
 ホーラさん、手にはグラスではなく、酒瓶を持ってます。片手にはフォークにぶっさされた大きな骨付き肉があります。いつものことながら、ホーラさんの食べ方、ちょっと間違ってますよう。

「あーうっせぇな! アニム、お前は酒の匂いだけで酔ってんのかよ」
「酔う、ないよ。だって、ししょーってば、みなさんいるは、くっついてくれるのに、ふたりっきりになった途端、すっと離れるです。昨日だって、ラスターさん一緒に、資料探してる時は、後ろから覆いかぶさってきたのに――もがっ」
「だーかーらー! 言い回しだ! お前は、今日からきちっとした文章で話すように気をつけろ! 辞書じゃなくって、文法書を持って歩け!」

 ぐぬぬ。まともな説教を受けている気になっちゃうじゃありませんか。
 確かに私が使っている元の世界から持ってきた辞書、というか英和辞典は書き込みすぎて見難くいし、そもそも文法関連ではありません。けれど、文法基礎を記入した紙を挟み込んだりして、結構効率よく使ってるんですよ。
 途端、色気のない話になったのにさして不満はありません。けれど、話を逸らされたようでむっとしてしまいます。

「あら、アニムちゃんてば気がついてなかったの?」

 ラスターさんが「うふ」と艶っぽく微笑みました。本日のラスターさんは二ヶ月前、ルシオラと訪問されたのとは違い、また女性のお洋服に戻ってらっしゃいます。
 楽しげ、という言葉がぴったりな調子の声に、きょとんと瞬いてしまいました。

「へ? 私、何か大切なポイント、見落としてたですか!」
「おい、待て。ラスター!!」

 師匠が大きな衣擦れの音を立てた次の瞬間。ホーラさんの指が鳴り、師匠がソファーに座り込んでいました。「いってぇー!」と額を押さえて悶絶してますよ、師匠。
 からんころんと床に転がったのは、てしてしの実でした。おう。フィーニスたちの肉球てしてしとは異なり、かなり硬そうですね。

「アニムちゃんとふたりっきりで、あたしたちの前でやってるような口づけや触れあいをしたら、我慢がきかなくなるからに決まってるじゃないー予防線はって体をもてあそぶなんて、最低よねぇ」
「ですです。なので、ウィータの心労は忍耐疲れなのですよ。いい加減、さっさとアニムを抱いちゃえばいいのですよ。タガが外れたら外れたで大変そうなのですけど。あつい、あつーいなのですぅ」

 ん? いま、すごく、ものすごーくさらっと爆弾発言されました?
 って?! 抱いちゃえばいいって!! っていうか、まだそういう関係じゃないのってバレるものなんですか?! 思い返せば、千紗は得意でしたね、見分けるの。

「ディーバとセンみたく、子作りに励むのですよ! 不老不死は子どもが出来にくいのですから、今から頑張っても、ちょうどいいくらいなのです」
「ホーラ、駄目よ。二人とも、まだ新婚どころかようやく心が結ばれたばっかりなのよ? むこう百年くらいは二人っきりの、げろ甘生活を堪能するんじゃないかしら」

 新婚生活が百年ですとっ?! それって、もはや新婚の甘い雰囲気なんて微塵もなくなっているのでは。子作りどころじゃない気がします。ご長寿さんたちの感覚では普通なのでしょうか。
 と言いますか、私の寿命問題はどなたも気にしている様子は皆無なのですけれど。暗黙の了解ですか? それとも、他の考えがあっての軽い空気なのですか?
 ラスターさんの発言とは斜め上に飛び出た思考から、師匠をじっと見つめてしまいました。師匠はどう思ってるんでしょう。聞けば、ちゃんと答えてくれるかな。
 もちろん、言葉にしていないので、師匠には伝わっていまいと思います。急に向けられた視線に戸惑っているようで、くちをへの字に曲げています。

「そうでしたっけ? なんか出会ったころから、じれったさと同時にしみでてた甘ったるさから、たった一年半しか一緒に過ごしてないなんて思えないので、すっかり忘れてましたのですーあまー窒息しそうなのですよ」
「まぁねーとは言え。ホーラ。あんた今日はやけに突っかかるじゃないの」

 言いたい放題です! 師匠は目を細めていますが、上気している頬のせいで迫力はありません。そもそも、ホーラさんが師匠に怯んでいるお姿は拝見したことありませんけどね。
 私さっきから何かを思い出しそうな、そうでないような。うーん、思考に霧がかかったような、もやっとした気分です。
 それはそれとして。ホーラさんたちと出会った頃といえば、私自身は当然師匠への想いを自覚していませんでした。なのに、染み出てたって……!
 って、あれ? 自覚、してない?
 
「ホーラ、お前例の召喚士と別れたんだったか? ただの八つ当たりじゃねぇーかよ」
「ぶっぶーなのですよ! まだわかれてないのです! あの子、わたしのちっちゃくて可愛いところが最高に愛らしいなんて口説いておいて、一回大人の姿を見てからはずっと催促してくるのです! ありのままのわたしを好きだって言ったのに。だから男は信用できないのですよ!」

 だんっと、耳に痛い音が部屋を揺らしました。
 ホーラさん。いつの間に、あなたのお顔以上に大きい酒瓶を抱えてらっしゃったのですか。じゃなくって!

「ホーラさん、ぼんきゅっぼん、なれたですか!」
「なのです! でも、すーっごく魔力を使うので、一回大きくなるとむこう一ヶ月は寝たきりになるので、いやなのです。おかげで、アニムの快気祝いも二ヶ月もあとになっちゃったのですよ! うかうかしてたら、アニムが今度は腰を痛めて、宴が出来なくなるとこでしたのです!」

 腕を振り回して叫んでいるホーラさんには、余裕を感じません。いつもは神秘的な雰囲気で、一歩引いたところにいらっしゃる印象を受けるのですが。今は、一人の女性にしか見えません。
 そして、私の快気祝いが遅れたということに怒ってくださっているのが、嬉しくて、ついにやにやしてしまいました。腰がっていうのは、ちょっと原因が不明ですけどね。ぎっくり腰は、年齢的にもまだ大丈夫かと思います。

「ホーラさん、ぼっきゅぼん、なれるなんて! 私にも、同じ、魔法かけてください!」
「残念ながら、アニムはアニムサイズのままなのですよ……わたしのは体質なのです。大丈夫! アニムはウィータに魔法をかけてもらえばいいのです!」

 師匠がおっぱい魔法を使えるなんて知りませんでしたよ!
 ばっと勢いよく振り返った先にいた、師匠の顔といったら。本気で呆れてます。心底呆れてます。けど、アニムは将来のために引きません!

「ししょー、お願いします、魔法かけて――」
「あほアニムが! さすがのお前でも、ちったー意味を理解するだろうなんて期待したオレがバカだったわ!」
「おー! ウィータが自分をばかなんて口にするなんて!! アニムちゃん、すごいわよ! 伝説の大魔法使いにして自ら天才名乗っちゃうウィータがっ!」

 よくわかりませんが、なんだか誉められました。えへへと照れ笑いしてみせると、師匠に思い切りチョップされました。愛が痛い、とか言ってみます。
 チョップした手を両側でわきわきしながら、笑顔で詰め寄ってくる師匠ですが、目は笑ってません。ひぃ。

「この場でひんむいて揉んでやろうか!」
「それ、ただの、おっぱい体操。おっぱい体操は、自分で、やってるですよ。がっかり」
「そんな暴露、いらんわ! つーか、毎度まいど、どんだけ胸に劣等感抱いてやがる。少し前までは、そんな素振りすらなかっただろうが」

 いつの間にか、私、ソファーの上に正座しています。ちゃんとブーツは脱いでます、はい。師匠も同じくブーツを脱いで、ソファーの上で胡坐かいちゃってます。大きな幅でよかったです。
 って、あれ。こんな場面、前にもあったような……。
 頑固おやじさながらの様子で、腕を組み胡坐をかいている師匠。口の端をぐっと落として、半目を向けてきています。ホーラさんたちは傍観を決めたようで、にやにやとお酒に口をつけています。

「だって……ししょーは、昔、おっきな胸の人、好きだったって、ラスターさん、言ってたじゃない。私、年齢的にも、成長期ないし。ししょー、しょんぼりするかなって。ラスターさんも写真で見たディーバさんも、おっきいし。この世界の人、大きい人多いなら、私、残念すぎるもん」

 ついっと、視線を横にずらしたので、師匠の表情はわかりません。ラスターさんが、ずるっとソファーから落ちかけたのは見えましたけど。
 私としては非常に切実な質問です。師匠から返事がないので、余計に切なくなってしまいました。ちょっと体を前に倒すと、ようやく、師匠の焦点があいました。目があう寸前、一旦、胸をちらみされたのは無視しておきましょう。

「お前ってやつは、なんでそう――!」
「はいはい。なんでそう『可愛いことばっかり言うんだよ。アニムの胸は柔らかくて白くて綺麗で充分うまそうだぞ』って叫びたいのですよねーあー絡みあう視線もーあまーいのですよねーアニム、大丈夫なのですぅ。ウィータが欲しいのは熟成したからだじゃなくって、アニムのからだなのですからぁ」
「うっせぇぞ、ホーラ! 潔いくらいの棒読みが、余計にむかつくんだよ! 経験のねぇ女をからかうんじゃねーよ!」

 え?! 私はホーラさんより、師匠の台詞が引っ掛かりましたけど!
 恥ずかしさからなのか、動揺からなのか不明ですが。喉に空気が引っ掛かって、疑問の言葉すら出てきませんよ。
 それでも、必死に師匠の胸元をぎゅっと掴みました。

「しっししょー、なんで、私、したのない、知ってる?!」
「げっ。いやーつーかさ、見ててわかるだろ。アニムは反応初々しいし、警戒心ねぇし、子どもっぽいところあるしよ」

 別にですね。経験がないのは本当ですし、虚勢を張るような内容でもありません。なので、二百六十歳の師匠に見抜かれていようと、落ち込むほどショックを受けるものじゃありません。
 ですが、子どもっぽいという部分にはちょっぴり傷ついちゃいました。だから、手を出してくれないのかなって。

「だから、ししょー、からかう、楽しい?」

 いえね。私は師匠にからかわれるの嫌いじゃありません。師匠のそーいうところ含めて、大好きなんですから。
 きゅんとしぼんだ心臓に空気を送りたくて。師匠を見上げたまま、ひゅっと息を吸い込んでいました。そっと頬に触れていた師匠の掌に、擦り寄ります。

「からかってるのは否定しねぇけど。それだって、前にも言ったが、やいて――」

 言いかけて。師匠がはっとしたように汗を流し始めました。頬に添えられている手に自分のを重ねると、ぴくりと跳ねました。何事。
 師匠を呼んでも、逆に顔ごと背けられてしまいました。ホーラさんとラスターさんは興味深そうに見つめています。っていうか、二人がいらっしゃったんだ! 
 慌てて離れようとした瞬間。耳の奥をふるわせた、師匠の声。

『そりゃ、な。オレは我慢してるってのに、他の男に抱かれた経験あるみたいに普通に言いやがるし、ラスターには気を許しっぱなしだし、無邪気に擦り寄ってくる。やきもちついでに、苛めてやろうって』

 そうだ、師匠はやきもち妬いてくれたんだ。見栄を張って男女の情事について知ってると言った私に、嫉妬してくれたんだ。
 こんなに嬉しい言葉、どうして今の今まで忘れていたのでしょう。へにゃんと表情が崩れた一呼吸後。どっと押してよせきた記憶の波に、全身が真っ赤に染まっていきました! 見えないけど、わかる!

『私、ししょー、大好き。だから、もっともっと、触って欲しい』

 うわぁ!! 私、告白してた!! 二ヶ月前の夜、ただひたすらに好きだと告げるより、アラケルさん事件で吹雪の中で叫んだよりも前に!!
 しかも、もっと触って欲しいとかおねだりしちゃってたとか。実際、師匠の手や舌が――。

「おっ思い出したです! 私、お酒飲んで、ししょーと部屋に戻って、それで――!!」
「アニムは記憶が飛んでたのです? 戻ってよかったのですよー」
「よくないですー!」

 ひーんと良くわからない情けなさから、泣きたくなりますよ。フィーネとフィーニスがいれば、ちょっとは癒されもしたしはぐらかしも出来たかもですが。私の守護神たちはお出掛け中です。雰囲気にのまれてましたけど、よくよく考えたら、お昼からする話じゃないですよー!
 ここは一旦撤退して、落ち着かねばです。

「私、さっきもらった、ルシオラの手紙、部屋においてくる!」
「おっおい。アニム、怒ってるのか?」
 
 すくりと立ち上がると、机の端において置いた手紙をかっさらうように胸に抱きます。そして、逃げようとした矢先、師匠に手を掴まれてしまいました。
 焦った声色は、黙っていられたことへの腹立ちよりも、涙腺を刺激してきます。でも、悲しいというマイナスの感情ではありません。ただ単純に、羞恥からです。酔っ払いめっ! と昔の自分に拳骨を送りたい気分です。

「怒るなくて、私、自分が、恥ずかしくって。胸とか言う、以前問題。ほんと、私、こどもっ!」

 頭の中がぐちゃぐちゃです。情けない声しか出てきません。ルシオラの手紙で顔を隠していると、師匠に腕をひかれてしまいました。少し長い前髪に隠れてしまっている師匠の目。もったいないなんて一瞬の間に考えていました。
 耳を掠めた自分の名前。柔らかい声で我に返ります。

「オレは、そんなアニムがいいんだ」

 聞き返す暇もなく。ぽすんと抱きすくめられていました。ぎゅうと力加減のない調子の抱擁に、息がとまります。
 師匠の唇が耳元で名前を紡ぎますが、私は呆然とされるがままに体重を預けることしか出来ません。

「けっけっ、なのですよー! ラスター、失恋者同士でやけ酒なのですよ! こちとら、ハイレベルなじれじれ見せ付けられて、たまったものじゃないのですよぉ! ちくしょうなのですですー!」
「ちょっと、なんであたしが失恋者になってるのよ」
「口答えするなーなのですよー! どーせ、センとディーバもらぶらぶあまあまビームを放ちまくりなのです! 失恋と破滅の王を召喚してやるのですー! 世界は闇に包まれろなのー!」

 暴れるホーラさんと、「はいはい」と料理をとってあげているラスターさん。
 ホーラさんの珍しい荒れように、師匠と二人、目をあわせてぽかんとしてしまいました。すぐに、小さな笑いが零れましたけど。
 私たち師弟が原因で荒れてしまっているのは大変申し訳ありません。お詫びに、地下から、とっておきのお酒をとってきましょうか。とろみのある日本酒風のお酒です。

「急ぎすぎて転ぶなよ?」
「がってん!」
「アニム、早く戻ってきて欲しいのです! おねえさんが、この世界の男どもへの注意事項を、事細かに教授してあげますですよ!」

 ホーラさんに敬礼をして踵を返します。
 直前に師匠とラスターさんは鏡写しのような表情を浮かべていました。はっきりと「仕方がねぇな」と書いてあります。
 私に対してなのか、はたまたホーラさんへだったのかはわかりません。けれど、ぽっと心があったまるような微笑が、どうしてか、目に焼きついたのです。 




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