引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

17.引き篭り師弟と、師弟交換7


 いつものおどけた調子とは違う、ラスターさんの笑み。
 私の見間違いでしょうか。顔を覗き込もうと体を傾けると、逆にラスターさんが距離を詰めてきました。おぉっ?!と内心で焦ったのは一瞬。すぐに、ほっこりとした気持ちに変わりました。
 どうやら、お目当てはフィーネとフィーニスだったようです。ラスターさんの綺麗な指が、垂れ耳で弾みます。

「くぅあぅー」

 二人からあがった甘い寝言に、ラスターさんと顔を合わせて微笑んでいましたよ。
 数回くいくいっと左右に動いた耳はm寝息が落ち着く頃に元の場所に戻りました。ぺたりと、頭にくっついている様子に、また笑みが深くなりました。

「寝ぼけちゃって、可愛いの。ルシオラも、昔はよく寝ぼけてたわ。大勢の家族から、ふたりっきりになったのだから、当然といえば、当然よね」
「ルシオラさん、小さいころ、家飛び出してきた、ですっけ?」
「えぇ。家と言っても孤児院だけれど。あの子、戦争孤児なのよね」

 戦争孤児。聞いたことはありますが、元の世界では決して身近ではなかった言葉です。
 単語が持つ意味とラスターさんの声調とが、あまりにもミスマッチでした。
 なんとも言えない感覚に陥ります。ラスターさんのさらりとした口調が、昔のことだからという理由からなのか、はたまたこの世界では特筆するような境遇ではないからなのか。残念ながら、勉強不足の私には判断がつきません。

「あの子、あぁいう性格でしょ? 聞いたところによると、孤児院でも、お姉さん的な存在だったらしいしねぇ。あの子自身は、単に年齢的にだって言ってたけれど、面倒見はいいのよ」
「ラスししょー、だれかに、聞いてですか?」

 一緒に暮らす上ではなく、まるでルシオラさん以外のだれかから聞いたかのような口振りです。ちょっと野次馬根性がわいてきちゃいました。
 頬杖をついたラスターさんから、軽い溜め息が落ちました。

「ルシオラがウィータに弟子入りを断られた際、たまたま居合わせたあたしが引き取ったんだけどね。流れとはいえ、あの子の人生を引き受けると決めたからには、きちんと挨拶しないとって、思ってさ。孤児院に足を運んだ際、聞いたの」

 ラスターさんはウィンクではなく、肩を竦めました。眉を垂らしつつも、口元は綻んでいます。なんとなく、直感で。ルシオラさんは、こんなラスターさんが好きなのかもと思いました。
 師匠たち、旧友さんにはともかく。私に、というか女性姿では見せない表情なんじゃないのかな。そんな考えが浮かびました。

「孤児院では年下の子たちを、怒りながらも優しく寝かしつけてたみたいだけれど。二人で住むようになってからしばらくしてからはね。あたしのベッドによく潜り込んできたものよ」
「甘えられる存在、出来たですね。私も、悪い夢見たりの時、お母さんとお父さんの間、もぐって寝たです。すごくあたたかくて、安心して。ルシオラさんとって、ラスターさんは、ししょー以前に、頼れるお兄さんなんですね」

 今の私には、師匠、それにフィーネとフィーニスたちが安心をくれます。師匠と一緒に寝るのは色々心臓に悪いけれど、矛盾するようにほっともするんです。くっついて寝るのも、手を握ってもらうのも。触れ合ってる部分から流れ込んでくる師匠の体温が、とっても心地よいんですもん。師匠が寝ている隙にこっそり、師匠の掌を頬にあててるのは絶対内緒です。
 逆にフィーネとフィーニスと寝る時は、守ってあげたいと思いつつ、その甘い香りに癒されてます。

「それでね、寂しいわよねってぎゅっと抱きしめてあげるでしょ? その時は嬉しそうに甘えてくるのに、朝起きた時には必ず真っ赤になってどついてきたわ。『わたしは寂しくなんてないっ!』ってさ。でも、必ず、蚊が鳴くような声でお礼を言ってくるから、もう可愛くって! さすがあたしの義妹!」
「ルシオラさん、可愛いです! 可愛くって悶える系女子です! なでくりまわしたい、ですよ! 私の弟も、そんな感じだったなぁー」

 ルシオラさん、やっぱりツンデレです。ものすっごく可愛いツンデレさんですね。
 昔、お母さんもお父さんもいなかった夜。素直にベッドに潜り込んできた華菜と、私が頼まないと頑として入ってこなかった雪夜。でも、一旦隣に来ると華菜以上に擦り寄ってきた覚えがあります。どっちも愛らしかったです。
 まるで、フィーネとフィーニスみたいです。これって男女の差というか、傾向なんでしょうかね? でも、従姉妹の子どもは、雷の日とか『おかあさんは、ぼくが守ってあげるの!』って言ってきて、めろめろだったらしいです。まぁ、私はお母さんじゃないので、あれですが。

「でしょー! まぁ、最近じゃ、もちろん同じベッドなんてのはないけれど。さすがに、師弟という前に、兄妹っていってもねぇ。子どもの成長は早いわ」
「ラスししょー、お母さん、なくて、お父さんみたいです」
「結婚したことはないけれど。そうね、兄っていうより、親的なのかしらねぇ」

 基本的な疑問です。はい。センさんは結婚してらっしゃいます。残念ながら、まだお会い出来てませんけど、写真は見せて頂いてます。いらっしゃる度、新しいのになってます。らぶらぶです。
 師匠もですけど、ホーラさんとラスターさんも若く見えるとはいえ、ご長寿さんなんですよね。長い時間の中で、一度くらいはしてなかったのでしょうかね。

「ラスししょーは、結婚しないです?」

 素直に疑問をぶつけると、ラスターさんは乾いた笑いを絞り出しました。若干、頬が引きつっているように見えます。なんと! 触れちゃいけない、デリケートな話題でしたかね?!
 一人あわあわ、次の話題を探します。が、肝心な時に限って、浮かんできません。

「独身主義ってわけでもないから、今後機会があれば考えないこともないわ。でも、ルシオラが独り立ちして、いい人見つけて、家庭を持つまでは、このままでしょうね」
「ラスししょーは、なんだかんだいって、一回は、反対しそうです」
「もちろんよ! あの子が選ぶ人なら間違いはないでしょうけれど。大切に育ててきた子を、やすやすとはあげられないわ! それよりも、あの子のいいところをわかってくれる男がいるかっていうのがねぇ。ほら、あの子、綺麗じゃない? 容姿で近寄ってきて、中身の芯の強さに、引いていく奴もいるし。うわべだけの気持ちじゃ、絶対に許さないんだから!」

 頬に手を当てて溜め息をついたラスターさんは、母親の姿でした。
 ちらっとラスターさんの視線が横に流れ、無意識に追っていました。
 ですが、調理場から一部屋挟んで見える玄関に特に変わった様子はありません。訪問者でもいらっしゃったかと思ったのですが……。人の気配を感じたような気がしたのですけど、勘違いだったようです。

「ラスししょー、それ、ルシオラさんに、直接伝えてあげたほう、喜ぶですよ。きっと」

 本人でない私でさえ、なんだか幸せ気分になったのです。ルシオラさんが聞いたなら、殊更なのは想像に想像に難くありません。
 だって、ルシオラさんはたぶん、他の子に構う『お兄ちゃん』にむくれてるのだから。

「『乱心か?!』って殴られるのも、容易に想像出来るわねぇ。まぁ、あたしはさておき。アニムちゃんはさ、ウィータのどこが好きなの? あのひねくれて歪んだ愛情表現しかしない意地悪師匠の」

 はてと首を傾げていたので、不意打ち的なラスターさんの流し目に、わざとらしいくらい肩が跳ねてしまいました。
 だって、めちゃくちゃにやついてらっしゃいますよ。さっきまでのルシオラさん語りのあたたかい眼差しはどこへお散歩に行っちゃったんだろうってくらい。今日のラスターさんは、心臓破りさんです。

「すごく、難しい、質問です」
「あら。難しいっていう割には、蕩けてるけれど?」

 ドン引きされるくらい語っちゃうかもですが……言ってもいいですかね。
 師匠が好きだって自覚してから、恋話する相手もいませんでした。まさか本人に全部ぶちまけるわけにもいきません。なので、私、ここいらで発散しておかないと、自分の想いに押しつぶされちゃいそうですもの。
 隣に腰掛けているラスターさんへ、膝を向けます。ちょっぴり音量を落として、内緒話です。

「私、ししょーが好き、自覚したは、最近なんです。たぶん、自覚より、ずっと前から、ししょー好きだった。ですけど、ふたりっきりの環境だったから、気付かなかったですよ」
「へー。センから聞いてた話では、弟子入り初期の頃から、天然恋人風で見てられなかったらしいわよーそれはそれは、じれったい! って感じだったみたいって。お互い無意識にやってることって、はたからみたらくすぐったいったらありゃしないのって、結構たちが悪いわよね」

 初耳です! センさんてば、私たちを、そういう風に見てたんですか?! たちが悪かったですか。申し訳ない!
 と言いますか、今度じっくり詳細を伺いたいです。フィーネたちを抱いているので、心の中で拳を握りました。
 私自身はともかく、師匠が私にどんな風に接してて、どんな感情抱いてるように見えてたかをですね。ぜひとも知りたいです。
 うんと、大きく頷くと。全て透けて見えていたのか、ラスターさんが苦笑を浮かべました。なんとも、恥ずかしい。

「ともかく! 私、弟子なのは、普通の人から見たら疑問。わかってたはず。外の人にししょーと私、師弟なくて、体の関係あるから弟子でいる、穿った見方されたです。ししょーは、そんな扱いしないって怒りながらも、笑い飛ばせなくてですね。やましく思う理由、考えました。で、私がししょーを、男の人として、好きだからだって、わかったです。弟子だけなら、もっと明るく、体の関係なんてばかみたい、言えたのにって……」

 苦い記憶ですけど、落ち込んだおかげで気付けたんですもんね。今となっては感謝さえしています。あの夜があったからこそ、師匠への気持ちを自覚出来たわけだし、熱を出して召喚時のことを知れた。
 悲しかった出来事は、いつの間にか。今のような、冷たい雨の香りに混ざる甘いお菓子のような記憶になっていました。

「酒に酔った夜には、すでに色々あったのは、ほんと覚えてないんだなぁ」
「え?」

 はてはて。色々とは一体。もしかして、私、とんでもないことしでかしてましたかね! まさか、談話室で師匠を押し倒したとか?!
 でっでも。それなら、ホーラさんもラスターさんも全力でからかってきそうですよね。うん。なにもなかったんだ。

「いえね、アラケルって小僧だっけねって。難儀だったわよねぇ。そっか。グラビスのがきんちょと、魔法戦してるウィータにきゅんときた! のが、とどめだったとか?」

 思い切り誤魔化されて、思考が戻りそうになりました。が、ぐっと踏みとどまります。脳細胞が全力で壁になってくれました。いやな予感しかしないですので。

「ラスししょーも、グラビスさん、ご存知なんですね」
「もちろん。元々はホーラがこの森に連れてきた子なのよ。友人の忘れ形見のグラビスを、ホーラはずっと目にかけててね。母親も亡くなっちゃってしばらくは、一緒に暮らしてたわ。あらやだ。もうすっかりおじさんだし、『子』っていうのも可笑しいわよね」
「不思議な、感覚ですね」

 当然のように笑ったラスターさんに、えもいわれぬ感情が喉に詰まりました。
 寿命の違いがもたらす現実を、とてもナチュラルに突きつけられたような……。
 人事ではありません。だって、私もグラビスさんと同じ側の人間です。この世界に残ったとして、いつかは、みなさん――師匠よりも早く老いて、先に逝く。
 ぞくりと、全身に悪寒が走ります。

「アニムちゃん? 顔が白いわよ?」
「えっと! 雨激しくなった、ちょっと、冷えてきたです。髪あげてるし、首筋、寒いです」
「あら、大変。あたしの上着貸すわよ?」

 よかったです。ラスターさんはすんなりと信じてくださいました。師匠なら『お師匠様をだますなんざ、百年早い』って頬を引っ張ってきそうなものです。ここで考え込んでも、仕方がない。自分に言い聞かせて、深呼吸をしておきましょう。
 それはともかく。上着に手をかけたラスターさんの服を掴まなければ。

「フィーネたち、あったかいから、大丈夫です。矛盾してるかもですが、温度差も、美味しいです!」
「そっそう? よくわかんないけど、寒かったら教えてね?」
「はい、ありがとうございますです」

 私、すごい形相だったようです。
 でも、大好きなお兄ちゃんの上着を私が肩にかけていたら、ルシオラさん、もやっとするのは間違いないですからね!
 ぴっと。襟を伸ばす仕草が様になっているラスターさん。出来る男の仕草に見えます。寿命云々を引きずっているのか、思考が迷子です。

「アラケルさんとの魔法戦、だれかに、聞いたですか?」
「うふ。さっきも言ったでしょ? ウィータ・アニム情報網があるって。とは言っても、魔法戦の件に関しては、ウィータ本人に聞いたのよ。ウィータったらね、うふふ、アラケルへ放った台詞をね、吐かせた時の、あの顔といったら。うふふふふ。でもね、ごめんなさいね、内緒なの」

 放った台詞、ですか。うーん。もしかして、アラケルさんが思いっきり脱力してたやつですかね?
 それにしても、ラスターさんにくねくね運動が復活して、ほっとしちゃいましたよ。ラスターさん、身をよじり過ぎて机に肘をぶつけてしまったようです。悶えながら、体を痺れさせています。

「まっ、まぁ! アラケルの話しはいいとしてさ。アニムちゃんも、お師匠様の雄姿にうっとりした系?」
「私、ね。魔法使ってるししょーも、かっこいい思うですよ?」

 魔力を持たない私にも、師匠はすごい魔法使いだというのはわかります。実際、かっこよかったです。アルス・マグナ――偉大なる術――を使役したり結界をはったりしている師匠は、綺麗で。それでいて圧倒的な強さを見せてくれました。
 けど、私は――。

「どっちかっていうと、私、ししょーの照れたり拗ねたり、意地悪なとこ、大好きなんです。いってらっしゃいに、にかって笑いかけてくれるししょー。私のぼけ突っ込みに脱力してる、ししょー。呆れて半目でぺしぺし叩いてくる、ししょーも。からかってくるくせに、私が拗ねると、なぜかししょーもね、拗ねるですよ。ししょーって、拗ねてるとき、足首掴んだり離したり、するですよ?」

 瞼を閉じると、鮮明に浮かんでくる姿。傍にいるわけでもないのに、どきどきとしてきます。師匠が私を呼ぶ声が耳の中で響いているような、不思議な感覚です。
 って、妄想?! やばいですよ、私。一体、いつから乙女チックアニムになったんですか!
 とは思っても、口は止まりません。たぶん、ラスターさんが持つ空気が、そうさせるのでしょう。

「へぇ。あたしも知らなかったわ、そんな癖」
「あとですね! 微妙なとき、口をへの字に、するです。拗ねてるときは、ぴよって唇尖るです。嬉しいときはね、にへらってするです。当たり前な反応かもですけど、それをししょーがしてるだけで、どきどきするです。みなさんと、じゃれあってるのもですけど、それが私相手だと、たまらなく、なるです」

 言葉にあわせて顔真似をしてみせると、ラスターさんがくすくすと笑い出しました。
 あぁ、ボキャブラリーのなさと表現力の拙さがもどかしい!
 それでも、古いお知り合いのラスターさんがご存じなかった癖を、私が気付いた。とても嬉しいです。にやけが止まりません。




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