引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

 

17.引き篭り師弟と、師弟交換6


 ハトが豆鉄砲をくらったような顔。それは、まさに今の私でしょう。
 ラスターさんから出た呼称に声のトーン、それに深く皺を作っている眉間。視覚がもたらしてくる情報全てが、私の思考を止めています。
 
「――あっと。アニムちゃんを驚かせて、ごめんなさい? つまり、何が、言いたかったっていうとね」

 隣の小部屋から聞こえる炎の音に混ざったラスターさんの声は、耳に馴染んだものでした。少しハスキーな、女性音域です。数秒前に聞いたモノは幻聴だったのではと、思うくらい聞き慣れた声です。
 ふぅっと。ラスターさんが吐き出した息が、大きく響きました。

「ウィターってば、『アニム、オレはお前を愛してる』なんて言いながら襲ってきても可笑しくないくらい、アニムちゃんを欲しがってるだろうに! ってね」
「ぶほっ! そんなししょー、思い描くも、不可能ですよ。おまけに、さりげに、欲しがるって!」

 すみません。おじさんみたいな破裂音が出たのは、私のせいだけじゃないと思います。ぶほって。
 だって、師匠がですよ?! あの師匠が『愛してる』なんて囁きながら迫ってくるとか想像出来ますか?! 私には無理ですね。断言します。
 昨晩だって、私が聞いたことに対して『あぁ』って返事してくれたのがやっとでしたもん。あと、すごく遠まわしな言い方。私は充分嬉しかったですけど。
 むしろ、『覚悟しろ』とか『観念しやがれ』なんて悪人面で押し倒されるイメージしかわきません。最近、妄想力豊かな私は、師匠が迫ってくる場面を想像してしまいました。途端、あがる体温。

「アニムちゃんの初々しい反応からするに、まだそこまではいってないのね。お姉さん、ちょっぴりほっとしちゃったわ。ウィータの接し方からも、わかってはいたけれど。惚れた女を前にしての忍耐力には、頭が下がるわよ」

 師匠、というか。男の人の欲って、忍耐力でどうにかなるもの? 私に魅力がないのではなくって。つい、胸に視線が落ちました。いやいや、艶めいた雰囲気が作れないのが原因?
 男の人と付き合った経験がない私には、いまいち判断がつきません。合コン前に千紗から、男の大半はすることばっかり考えてるから気をつけろと、釘をさされた覚えがあります。師匠は年齢的にも我慢出来てるのでしょうかね。

「もしかして、ししょーってば、昔の恋人さんたちには、普通に言ってたり、その関係持ってたりしたです?」

 別にやきもちじゃありません。決して、妬いてる訳じゃありません。純粋に気になってしまったからです! 好奇心からです!
 私の知る限りの師匠は、絶対に愛してるなんて甘く囁く人じゃありません。だから、興味が沸いただけ。しつこいくらい、自分に言い聞かせちゃいます。
 言い訳がましさを自覚させるように、激しい雨音に心音が重なっていきました。

「昔の恋人、ねぇ。なりたてほやほやの可愛い恋人さんは、相当気になるようねー」
「そもそも、私、ししょーの恋人、言って良いのでしょうか?」

 私の感覚では、間違いなく恋人同士がするようなことをしてます。でもですね。いかんせん、私はこの世界の感覚を知らないので、どうにも不安になってしまうんですよね。
 ほら。師匠の悪戯は前からあったし。名前呼び禁止は、さほど気にはしませんが……なんだか、もやもやはしちゃいますし。
 首を傾げている私は、変顔大賞だったようです。ラスターさんに苦笑が浮かんでしまいました。子どもっぽい質問でしたよね。

「想い人でもない女の子を、全てオレのだ的な宣言しちゃったり、口づけかましちゃったり、ましてや同じベッドの中で抱き枕にされたとかしたとか、あまつさえ相手の可愛さについて、鼻の下伸ばしてでれっでれに語るような男がいたら、驚きだけれど。しかも、何百年も付き合いのある、淡白人間だった男がよ? だれも見たことないんじゃない?」
「だっ抱き枕!? センさんですか、まさかセンさんから、聞いたですか?! 昨日のお昼、さよならしたばっかり、なのに!」
「あたしたちのウィータ・アニムの引き篭り師弟情報網を舐めてもらっちゃ、困るわよ?」

 そんな。手に腰を当てて、てへぺろ的にばちこーんとウィンクされても。いつぞやのホーラさんを彷彿(ほうふつ)とさせますね。
 さっきのフィーニスよろしく、今度は私が白目をむいてしまいそうですよ。もしかしなくても、皆さん、かなりお暇なんでしょうか……。

「でっでも。弟子可愛がる師匠の図でも、違和感ないですかと。孫どころか子孫級な歳の差、だし」
「ウィータが聞いたら拗ねるどころか、立ち直れないくらい落ち込みそうだわよ。大体、ウィータが三百歳近くて、昔は悟りきったような大魔法使いだったとしても、アニムちゃんといるあいつってば、ただの男だもの。むしろ、少年レベル」
「そういう、感じです?」

 『ただの男』。
 いくら素直じゃない私でも、物凄く嬉しい言葉として受け止められます。
 私にとって師匠は師匠で。師匠としてだけでなくって、大好きな男の人。だけど、師匠はすごい魔法使いで、普通に出会っていたなら、私なんて見向きもされないどころか、会話すら出来なかったかも。

「私といるししょーは、ししょーたす、ウィータ……さん?」

 自分で呟いて、じわじわと染み渡った幸せ。どっちかだけじゃなくって、師匠とウィータが重なってる。苦しいくらい、染みてくる幸せ。

「私だけの、ししょー。それに、だれも知らない、ウィータ。どうしよう。胸が、すごく、どきどきしてる」

 特に、ここ最近の、訪問者さんたちの反応をみて、少なからず抱いていた落ち込みです。だからこそ、弟子としてもっとしっかりしたいと思いました。結局、それがきっかけで、師匠を男の人として好きになってたのだと、自覚しちゃったのですけども。
 にへにへと、不気味に笑っちゃいます。不気味どころか、感極まって泣きそう。私、こんなに感情豊かだったかな。
 いつもなら、同じように笑ってくれるはずのラスターさんは、むっと口の端を横に落としちゃいました。あれ?

「まぁ、世間一般的な恋人という定義に沿うならば、そもそも百年前を基点として、それ以前のウィータに恋人という存在自体が有り得たのかと言う部分は難しいところかな。それに、相手が一方的に告げてくる機会はごまんとあったのだろうけれど。強請られたとしても、果たしてウィータから心を込めて口にした経験があるとか問われれば、間違いなく否かと。あいつにとって女なんて魔力や容姿目当てに擦り寄ってくる存在だったし、少ない感情の波を向ける対象ではなかっただろうしね。あぁ、とは言っても、別段、男にはというわけではないから安心しなよ」

 一気に吐き出された言葉は、不機嫌な声調でした。長い上に、難しい言い回しをされて、ちょっと理解に手間取ってしまいます。
 髪を束ねてしまっているので、整えている振りをして時間を稼ぐことも出来ません。よっこいしょと、腕の中でうとうとと船を漕いでいるフィーネたちを抱き直しました。

「えっと。つまり、ですね。ししょーは、一方的に告げられるに、うんざりです? だから、ししょーは、言葉で返すないです?」
「でしょうねぇ。まぁ、そういう相手には適当には返してたけど――」

 なんてことでしょう。私は自分の気持ちを伝えられたのに満足して、それを押し付けられた師匠側の迷惑なんて想像もしていませんでした。ただ、はっきりとした言葉がなくても、師匠が口にしてくれた想いや触れあいが嬉しくって、舞い上がっていました。
 私、師匠が嫌がる行動を、無意識にしてたんですね。頭が真っ白になって、ラスターさんの言葉も耳に入ってきません。

「ラスターさん」
「んー? って、アニムちゃん、どーしたの?! 真っ青じゃない! 大丈夫?!」
「私……どうしよう。昨日、すごく、一方的だった! しかも、ししょー独り占めしたいとか、子どもみたいなこと、口走って。大好き、ばっかり叫んで。なんか、色々、勝手な気持ちばっかり、押し付けちゃったよ……」

 視界が歪んでいきます。しゃべっている間も、こんこんと涙が湧き続けました。嬉しさの反動でしょうか。
 師匠は優しいから、他の女の人と同じようにした私にうんざりとしても、顔に出さなかったのかもしれない。師匠がくれた言葉を疑っているのではありません。
 ひどいことをしたのかもしれない、自分が情けなくて。駄目ですね。嘘。言い訳がましいです、自分。

「私にとって、ししょー、唯一の男の人だけど、ししょーとっての私、特別にはなれないのかなぁ。それどころか、私、ししょーに、いやな思いさせた?」
「ウィータにとってアニムちゃんはだれよりも特別だし、逆にあいつの方がアニムちゃんに惚れ込んでるのは、あたしたちが保障するわ!」

 私はずるい。ラスターさんなら慰めてくれる。安心させてくれる。心の奥底で確信があるから、ぼろぼろ愚痴ってしまっているんだ。単純に疑問を落としているのではなくって、否定の言葉を望んでいるんだ。
 小さな自分に、嫌気が差します。
 それでも。体を乗り出して頭を撫でてくれるぬくりもが、さらに喉の奥に詰まった気持ちを引っ張っていきます。

「ししょーは、私と同じ目線、立ってくれるから、忘れがちだけど。ししょーは人生経験いっぱい。名前呼んじゃ駄目も、一線越えないも、全部、今までの女の人と、同じなる私が、いやだったから、なのかな?」

 でも、たぶん無理です。師匠が大好きだから。弟子として向き合う時間も、私として触れ合うのも、全部が大切で大好き。きっとこれからは、もっともっと師匠に魅かれてしまう。
 ぽろっと。頬を流れた一粒。ぐっと口を結ぶと、幸い、それ以上零れていくことはありませんでした。

「恋っていうのはね。生きた長さや男女関係を持った数じゃなくって、恋をした経験がものをいうのよ? あたしの持論だけど。あっ! ウィータが節操なしとか来るものは拒まずだったって言ってるのではなくってね?!」

 ラスターさんが、しまったという風に口を塞ぎました。が、すぐに早口でフォローを入れてきたのに、へにゃんと力のない笑みを返してしまいました。
 気まずそうに自分の頭を掻いたラスターさん。咳払いをして、背を伸ばしました。

「つまり。今まで恋心なんて抱いたことなかったであろうウィータですもん。無理して目線合わせてるんじゃなくって、アニムちゃんとだからこそ自然とあぁいう感じなのよ。大魔法使いも形無しよ。正直、感情豊かな様子でアニム命みたいなウィータを見た当時は、心臓が止まったわよ。不気味だし、反応が外見年齢にあいすぎちゃってさぁ」

 私の髪に掌を滑らせながら、ぶるっと本当に体を震わせたラスターさん。思わず、声をあげて笑ってしまいました。
 確かに。出会った頃の師匠は多少意地悪の気は顔を覗かせていたものの、基本的には冷静で落ち着いた大人っぽい人でした。それが、一緒にいる間に子どもっぽくなって、どじな面も見えてきて、笑った顔が可愛いな、なんて思い始めて。照れたり、目を据わらせたりする師匠が、大好きだなって。

「だからさ。名前云々はほんと、どーしようもない理由だ――とはね、思うけれど、あくまで想像だけれど。アニムちゃんに見せてるあいつの反応も、しょーもないくらい遠まわしに伝えている気持ちも、本物だからさ。ウィータのこと、信じてやってよ。っていうか、アニムちゃんはそのままで良いんだから」

 あぁ。ラスターさんにとっても師匠って大切な存在なんですね。ラスターさんは慌てて付け加えましたけど、ちゃんとキャッチしました。
 我ながら的外れな思考に、苦笑が浮かびそうになってしまいました。

「ラスターさん、ありがとです。私、自分で見えてるししょーを、信じるです。ししょーは、ちゃんと私見てくれてるのに、私が一人で不安なるは、おばかですよね」
「根本的にはあいつが悪いんだけどねぇーそれにさ、特別ってのは、何も反応やら態度が他の人と違うから、特別に感じるんじゃないのよ?」

 優雅な仕草で紅茶に口をつけたラスターさん。
 切れ長の瞳が、意地悪に細められています。横目は危険です! 流し目は! 肩に流れてきた三つ編みを、だるそうに払う仕草が色っぽい!
 
「私は、よくわかんない、です。恋愛経験も、少ないです」

 少ないという言葉を選択したのは、ちょっとした意地です。いつものラスターさんになら素直に告げられたであろう事実も、目の前で頬杖をついて見つけてくるラス師匠には言えないです。不思議と。
 私の頬がふくれたのに気付いたのか。ラスターさんは、ハの字に眉を垂らしました。

「ごめん、ごめん。アニムちゃんは、一方的にウィータへ想いを告げたって言ってたけれど。中を解けば、その実、繋がりがあるからこその告白なのよ。アニムちゃんとウィータが育ててきた想いと時間が、根底にあるのよね。育ててきた想いっていうのは、その時点で『恋』だとわかりあってなくても、師弟であったり同居人であったりね」

 今度はゆっくりと。ラスターさんは、私の反応を見ながら進めてくれました。
 返事の代わりに、小さく頷き返しました。

「あたしが言った一方的の意味は、極端な話、すれ違った瞬間に『抱いてっ! 愛してる!』って叫ばれる光景よ。一目ぼれを否定するんじゃないの。ただ、それともまた意味合いが違うからね。勝手に腰振ってる女から、愛してるだのどうだの言われても、ちっとも燃え上がらないっての」

 ラスターさんの綺麗な指が、ぴんと三つ編みを弾きました。
 さりげなく、大人な内容だったのは気のせい? 私に経験がないから、でしょうけど! だから、歳の割りにとか言われちゃうんでしょうね。うん、ここはさらっと優雅な大人女子的に流すです!

「って、あらやだ、あたしったら、お下品な。おほほっ」
「今日のラスししょーは、色んな顔を、見せてくださいます、こと」

 二人して乾いた笑いを零してしまいます。
 心なしか、腕にかかるフィーネたちの体重が、重くなった気がしました。

「ラスししょーの、素って、今日のが、ほんとです?」
「アニムちゃんってば、あたしのこと、完全に女だと思ってるものねぇ。あたしも、立派なお・と・こだってのにー」

 流そうと思っていたのに、ラスターさんの言葉に反応してしまいました。なんてこった!なんて、思っていたら、ラスターさんにくいっと詰め寄られていましたよ。
 つっと頬を滑った指先。予想外すぎる行動にパニック状態です。
 と、地面が揺れました。地震ではないと思うので、私が揺れてるんでしょう。動揺しすぎです、私。

「まっまぁ、冗談はさておき。子猫ちゃんたち、泣きつかれたのかしら。アニムちゃんの腕の中で、すっかりおねむさんね」

 本当です。腕の中の二人はいつの間にか寝息を立てていますね。朝から南の森に行ってくれていたのと、雨の中を飛んでいたので、疲れちゃったのでしょう。
 ちょっと頬を引きつらせて冷や汗を流したラスターさんが心配ですが。すぐに、にこりと微笑まれたので、大丈夫ですかね。
 落とさないように気をつけながら。フィーネとフィーニスを指先でくすぐると、甘い鳴き声と一緒に擦り寄ってくれました。

「クッキーしゃん、パニース、うまーでしゅーしゃっく」
「うなぁ。あにみゅ、しょんぼり、ふぃーにす、いやにゃぞ。ふぇっく」

 ほにゃんと幸せそうによだれを垂らしたフィーネに反して。フィーニスは思い切り眉間に皺を寄せちゃいました。二人揃ってのしゃっくりに、笑いが零れてしまいました。
 フィーニスの眉間をぐりぐりと撫でると。フィーニスもよだれを垂らして、もみゃもみゃ言い始めました。

「良い夢見るの、魔法だよー」
「うななーもっちょー」
「あにみゅはーしゅごいのぞー」

 片方の腕に二人を抱き直して、垂れ耳をこしょこしょくすぐると。フィーネもフィーニスも、短い前足を空中で遊ばせました。きゅっと、二人の肉球をいっぺんに握れば、頬を摺り寄せられました。

「アニムちゃんが、魔法?」
「はい。フィーネとフィーニスが、素敵な夢見られたら、っていう気持ちを込めた、魔法です」

 ラスターさんが訝しげにフィーネたちを覗き込みました。
 さすがに片腕で支えるにはつらいので、両腕に抱きかかえましょう。胸元に寄ってきたフィーネたちに、頬が綻ぶのがわかります。可愛いのう。

「フィーネとフィーニス、それにししょー限定の魔法使い、ですけど」
「あぁ、なるほど。それを魔法って表現してるのね。けど、それって逆にアニムちゃんが本当の魔法使えないって言われてるみたいで、辛くはならないの? ウィータは眉をひそめない?」

 はて。私が辛くなる、ですか。理由が全く掴めず、きょとんと瞬きを繰り返してしまいます。
 ややあって。ようやく、理解出来ました。やっぱり師匠は他の魔法使いさんたちとは違う感覚の持ち主なんですね。

「私に魔力ないは、事実です。私の世界にも、物質的な魔法なかったです。でも、大切な人を想って作る料理、元気が出ますようにの願い、色んな気持ちを、魔法に例えるのはあったです。ししょーは、魔力じゃないけど魔法、っていう言葉も、おもしろいって笑ってくれたです」
「ふーん」

 たぶん、そういう表現自体はこの世界にもあるのだとは思います。
 ラスターさんが言うところの、本物――この世界の魔法のエキスパートさんからしたら、納得はしがたいのかもしれませんね。私が言うのはともかく、大魔法使いである師匠や式神であるフィーニスたちが、よしとしている点でしょう。

「だから、嬉しいですよ? ししょーやフィーニスたちは、今まで生きてきた『私』いう存在を、みてくれてるです」

 ついつい語ってしまいました。この世界にきて、嬉しかったこと三本の指に入る思い出です。
 寝ながら踊りだしたフィーネとフィーニスに、さらに幸せ気分になっていきます。

「ここも、あたしとウィータが違う点、か」
「にゃうっ! らしゅたーしゃんは、めー!」

 フィーネの舌足らずな声が、ラスターさんの呟きをかき消してしまいました。可愛いけど!
 目に映ったラスターさんは、あたたかく、けれどどこか苦味を含んだような微笑みを浮かべていました。




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