引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

 

17.引き篭り師弟と、師弟交換5


「ラスターさん――なくて、ラスししょーは、ルシオラさんが、ししょーの弟子なれる、喜んでたの、寂しくなかったです?」

 ぽんっと。心を反映したかのように、白い生地に痕がつきました。アルミに似た物質で作られた型は、柔らかく沈み続けます。
 そっと引き抜くと、ぽろりと、丸い生地が掌に落ちてきました。元の世界でいう、クッキングシートのようなものを敷いた鉄板に、そっと乗せます。
 やけにゆっくりとした動作になったのは、腕を組んで考え込んでしまったラスターさんの影響でしょう。

「寂しい? どうかしら。あの子はずっとウィータの弟子になりたがっていたし。良かったと……思うのだけれど」
「らすたーしゃん、変なお顔でしゅのー」

 フィーニスとの競争に疲れたのか。フィーネはのほほんと、浮いています。フィーネの手元には、ネコの型があります。
 フィーニスは無我夢中に、ひたすら型を叩きつけていますね。目を瞑って、必死に叩きつけているので、競争を諦めているフィーネに気がついていないようです。

「ラスししょー。ししょーや私の仲、気にしてくださるのに、自分の大切な人には、鈍いです」
「アニムちゃんはともかく、ウィータを気にしているつもりはないのだけれど」

 ラスターさんは、いまいち腑に落ちないようです。気難しい顔で、唸っちゃいました。唸るほど、ですか。男の友情って、難しいですね。
 横目に、充実感いっぱいの面持ちで額を拭ったフィーニスが映りこんできました。が、次の瞬間、鼻歌を刻んで型を選んでいるフィーネを発見し、ぴんと尻尾を立てました。

「ふぃーね! なにやっちょる! ふぃーにすの、勝ちぞ?!」
「どうじょ、どうじょ。今夜のあにむちゃのお膝は、ふぃーにすにあげるのでしゅ」
「あたりまえじゃー! ふぃーにすが、ひとりでごろんごろんするのぞ。一緒に、レシピ、描くのぞ!」

 フィーネからお花の型を渡されたフィーニス。余裕のフィーネに怯みながらも、ふんと鼻を鳴らしました。ぽっこりお腹が、自慢げに突き出されています。
 フィーネは自分用の星型を持ち上げると、ふっと目を細めました。小悪魔女子な様子です! 私より、断然色っぽく見えてしまったのは、なかったことにしておきます!

「ふぃーねは、明日、じゅーと、あにむちゃに抱っこしてもらうのでし」
「いっ言ってるの、無茶苦茶なのぞ……!」
「だって、ふぃーね、いろんな形のクッキー作るほうが、楽しいでしゅもの。おなじのいっぱい押してても、飽きちゃうでちょ?」

 フィーニスってば、驚きのあまり仰け反っちゃってます。白目むいちゃいそうですよ。フィーネの飽きちゃう発言に、今にもぶっ倒れちゃいそうなくらい衝撃を受けているようです。
 確かにフィーネの言葉、全く勝敗関係なくなってしまってますね。
 私は間違いなく。矛盾を感じつつも、フィーネにおねだりされたら、首を横には振れないでしょうけど。

「ほりゃ。ふぃーにすも、お花しゃんのクッキー食べたかっちゃのでちょ? ぐったりしゃんで、休憩しゅるなら、あとはふぃーねがやってあげりゅ」
「……いいのじゃ。ふぃーにすも、好きな型で作るのぞ」

 背中を丸めたフィーニスが、ぽすんと花型を生地に埋めました。まさに猫背。じゃなくって。自由なフィーネは首を傾げつつ、型抜きを再開しています。
 私とラスターさんは、二人の様子に顔を合わせて苦笑を浮かべあいました。とりあえず、フィーニスが頑張ってくれた型を鉄板に乗せてあげましょう。目が合ったフィーニスは、悟った眼差しになっていました。師匠のような半目です。

「フィーニス、いっぱい型抜いてくれて、ありがとね。鉄板に、並べておくから、チョコチップと、ドライフルーツ、好きなの乗せてね?」

 お礼を言った途端、フィーニスの瞳がうるっと湿っちゃいました。埋めた型もそのままに、すいっと顔の前まで飛んできました。尻尾をいじりながら、もじもじしています。
 掌を差し出すと、すとんとお尻が乗ってきました。防御魔法を纏っているので、もちろんあたたかさも毛の感触もありませんが、脳内補正できる可愛さです!

「あにみゅー、ふぃーにす頑張ったのじゃ。じゃから、ふぃーにすが作った花に、お絵かきしてくれるのぞ? 銀色のつぶつぶもつけて欲しいのじゃ」

 いつもはフィーネが強請ってきて、そのついでにという調子で自分の型を指差すフィーニス。きゅっと、小さなお口を結んで答えを待つフィーニスが、たまらなく愛おしいです。
 フィーニスのささやかなおねだりに、にまにまと口の端が緩んでいくのがわかりました。

「うん、いいよ。生地、使い終わったら、ディーバさんくれた粉で、フィーニスの好きな色、つけようね」
「やーん、ふぃーねもー! ふぃーねのネコしゃんにも、おりぼんかいちぇー!」
「ふぃーにすの後なのぞ!」

 フィーニスが、糸目でぶんぶんと前足を振ります。怒りながらも、駄目とは言わないのがフィーニスらしいですね。フィーネも、しぶしぶと言う様子で頷き返しました。
 仲直り、といいますか。再び、楽しげに歌いながら型抜きを始めた二人に、ほっと安堵の息が漏れました。

「ラスししょー、話し、途中でごめんなさ――」

 くるりと向きを変えると。そこにいたのは、あたたかい眼差しのラスターさんでした。作業台に片手をついて、体を傾けている姿勢。物静かな笑み。その微笑み方が、母性ではなく大人の男性を連想させたのに、少なからず動揺してしまいました。
 それに……優しいだけじゃなくって、どこか懐かしさを含んだ視線に、心臓がどくんと跳ねます。
 私の後ろを見ているような、感覚。変なところばかり、悟ってしまう自分が、恨めしいです。浮かんだのは、『アニムさん』。
 頭に浮かんだ考えを追い出すように、一歩踏み出します。

「ラスターさん?」
「あぁ、ごめんなさいね。なんだか……微笑ましくって」
「フィーネとフィーニス、可愛さは、万人、万国共通です!」

 おどけて腕をあげて宣言してみても、なかなか胸騒ぎはおさまってくれません。

 ――なんだか――

 言葉の後が、わずかに詰まったように聞こえました。ラスターさんの視線が、ついっと生地に落ちたせいかもしれません。掴まれた丸い生地が、ゆっくり鉄板に運ばれていきました。つっと、離れた指は綺麗で。女の人の指先なのに、その持ち主であるラスターさんの表情は、師匠の力のない笑みと重なって……。

「話し戻します、ねっ! ラスターさん、ルシオラさんが、やきもち妬いてる、気付いてないです?」
「ルシオラが? まさか」
「やっぱり……私、すぐわかったですよ? ルシオラさんってば、ぷくって、頬膨らむの」

 ハリセンボン顔負けに。実際両頬に空気を入れて見せると、ラスターさんがぷっと噴き出しました。慌てて謝られて。胸が撫で下ろされました。うん、いつものラスターさんです。
 落ち着きましょう、自分。ラスターさんには、あらかた型を抜き終えた生地の練り直しを頼みます。私はクッキーに乗せるクリームを水に溶かしましょう。

「それは、ただ単に、ウィータがアニムちゃんを可愛がっているからじゃないのかしら。ここだけの話し、ウィータが人前――というか、女の子の髪を撫でたり、からかったり、ましてや口づけするなんて有り得なかったもの」

 がたんと。ラスターさんの言葉に動揺して、粉と溶かす腕が暴走してしまいましたよ。幸い、零れはしませんでしたけれど。
 溶かしたものを、二つのボウルにわけます。フィーネ用とフィーニス用です。
 とろんとした白い液体に、薄い桃色と黄緑色のエッセンスを混ぜます。パステルカラーの淡い色が、心を落ち着かせてくれるような気がしました。

「口づけは、ともかく、です! ルシオラさん、内心、ししょー、どう思ってるかはわかりません。けど、私とししょー、触れ合ってるときなくて、ですね。ルシオラさんが、不機嫌なるは、ラスターさんと私、絡んでるの、見てですよ」
「あたしとアニムちゃん? 自分で言うのも虚しいけれど、あたしとアニムちゃんの間は潔白なのに。ルシオラが妬く要素が見当たらないわよ?」

 むむっ。ラスターさん、なかなか頑固でいらっしゃいます。フィーネとフィーニスが、物凄く残念そうな目でラスターさんを見ていますよ。
 まぁ。あまりお節介してもいけませんかね。最後の一押しと、びしっと指を突き出します。

「たぶん、ですけど。男女っていうより、お兄ちゃんとしての、ラスターさんを、とられるの、寂しいのでは? ルシオラさん、『絶縁よっ!』って、叫んでたですよね? 私、構ってくれるラスターさん、お姉ちゃ――なくて、お兄ちゃんみたいだから」
「お兄ちゃん、かぁ。師匠としての威厳も危ういけど、兄としてもどうかしら。あの子、あたしの存在をどうとらえているのやら」

 『お兄ちゃん』という単語に、苦々しい表情を浮かべたラスターさん。
 ルシオラさん、弟と妹がしていたむくれ顔によく似ていたのです。親戚の集まりなんかで、私が他の子を構っていたり膝に乗せていたりの時です。華菜は抱きついてきたり泣いたり、直接行動で示すことが多かったです。けれど、雪夜はまさにルシオラさんみたく不機嫌オーラを出すだけだったり、「姉ちゃんの節操なし!」という子どもらしくない言葉で怒ってきたりでしたもん。
 ルシオラさんとは会って間もないですし、女の心は海より深いとも言いますし。男女関係なのか兄妹関係としてのやきもちなのかは、断言なんて出来ませんけれどね。少なくとも、妬いているのだけは確かだと思います。
 無意識に、困り笑いしてしまっていたようです。ラスターさん自身も、軽く肩を竦めました。

「あにみゅ! ふぃーにす、花びらのとこ黄緑にして、周りを銀の玉で飾って欲しいのじゃ」
「こんな感じで、いい?」
「うなー! かっこいいのぞー!」

 やっぱり。ラスターさんらしくない大人しいリアクションに、戸惑ってしまいます。大切に思っているルシオラさんに関することですので、きっと真剣なんでしょうね。
 内心で微笑みつつ。出来上がった色をクッキーに乗せると、フィーニスとフィーネが全身で喜びを表してくれました。丸っこい体を左右に動かしている様子は、まるで踊っているようです。

「あにむちゃ! ふぃーねも、ふぃーねも!」

 フィーネも、きらきらおめめで見上げてきます。桃色と黄緑を交互に塗ると、うっとりとほっぺたを押さえました。
 さて、最後に焼く準備完了ですかね。

「ラスししょー、これ、窯に持っていくです」
「はーい。あたしが二つとも持っていくから、任せて!」

 言葉通り。ラスターさんは軽々と天板を持ち上げてしまいました。結構重くて分厚いのですけど。体自体は女性のままのはずなのに、すごいですね。

「力持ち、です! ラスししょー、かっこいー!」
「やんっ! もっと誉めてくれていいのよーなんなら、アニムちゃんも抱っこしてあげちゃうわよ?」

 ばちこーんとウィンクされました。大げさなラスターさんに、へにゃんと笑い返していました。
 おどけた調子に安心するというのも可笑しな話でしょうかね。まっ、いっか。
 楽しげに窯へ鉄板を入れていくラスターさんの手つきは、かなり慣れていらっしゃいます。鉄板をひっかける道具も、飄々と使いこなし、あっという間に鉄の扉も閉めてしまいました。

「じゃあ、焼けるまでの、ちょっとですけど。お茶、します?」
「嬉しいー! アニムちゃんにお茶淹れてもらえるなんて! お礼に、ぎゅって抱きしめてあ・げ・る!」
「全然お礼じゃないのぞ」

 抱っことか抱きしめるとか聞くと、師匠を連想してしまうのは何故でしょうか。きっと、最近抱きしめてもらってばっかりだし、昨日の夜も横抱きして家まで運んでもらったからですかね。師匠、童顔に似合わず、力持ちだし!
 自分を納得させようとした思考は、先ほど人前でキスされた記憶を引っ張ってきてしまいました。なぜに。と自分に突っ込んでみるものの、効果はなく。ぼっと顔に火がついてしまいました。

「あら、アニムちゃん。お湯沸かすのに、そんなに熱くなっちゃったのー? それとも、昨晩、あたしが部屋を出てから、ウィータとイイコトでもあった?」
「ラスししょーが、イイコト、言うと、艶めいた感じです。それに、思い出してたのは、玄関先のことで――」

 しまった! 墓穴を掘ってしまいました。
 案の定、にやにやと愉快そうな視線に加え、口の端が三日月級にあがっちゃいました。ラスターさんらしからぬ笑い方です! 作業台を片付けてくださったのは嬉しいですが、広がったスペースに肘をついて、意味深な笑みで見つめてこないでください!

「アニムちゃんたら、ホーラみたいな台詞言わないでー? で、どうなの? 二人の甘ったるい空気から、進展はあったと思うのだけれど」
「ふぃーね、知ってりゅ。今の、らすたーしゃんみたくは、井戸端会議のおばちゃま言うのでちょ?」
「らすたーは両方だから、おじちゃんとおばちゃんを混ぜて、おじばちゃまなのぞ」

 腕を組み、神妙に頷いたフィーニスの姿に、思わず噴出しちゃいました。だって、おじばちゃまって。しかも、フィーネが「ふぃーにす、しゅごいのでしゅ! あるじちゃまに報告でしゅ!」と誉めるものだから、腹筋がよじれて。横っ腹が痛い。
 ラスターさんは打ちのめされています。作業台に突っ伏して、しくしく泣いてらっしゃいます。三つ編みになった真紅の髪も、だらんと垂れちゃっているように見えますね。

「はい。フィーネとフィーニスには、ミルクね。ラスターさんのは、もうちょっと、待って下さいね」
「わーい! はちみちゅ、入ってるでしゅー!」
「いただきます、なのぞ!」

 二人用の小さなコップを器用に持って、こくこく喉に流し込む姿は、赤ちゃんみたいで可愛いですねー。癒されます。
 紅茶の硝子ポットにお湯を注いで、葉が開くのを見つめていると。ポットの奥にいた、ラスターさんが起き上がりました。

「魔法を使う者にとって、自由な発想は武器になるからねぇ。よしとしておきましょう。それより、アニムちゃんの話しが聞きたいわ?」
「今日のラスターさんは、やけに食い下がる、です」
「やーね。ラスししょーって呼んでちょうだいよー。女子会っていうのだっけ? 折角甘いお菓子の香りに包まれているのだし、アニムちゃんの恋話、聞きたいのよー」

 今日のラスターさんは、やっぱり、ちょっと雰囲気が違います。抜けた感じだったり、意地悪に笑ってきたり。調子が狂ってしまいます。
 とはいえ、昨日の夜、ラスターさんが去り際に一言くれなければ、告白にまで辿りついたり、師匠の声で『オレの、アニム』なんて囁かれるなんてのも。なかったかもしれません。ご報告はしなきゃですよね。

「私、ですね」
「うん、うん」

 満面の笑みで頷いてくるラスターさん。すっすごく話しにくいです。はい。相槌(あいづち)なのに、相槌じゃない。
 おそらく、私が師匠に想いを寄せているのって、訪問者の方々にはバレバレなんですよね。なので、あえて秘密にする必要もないですし、今更感は半端ないとは思うのです。けれど、実際口にするのにためらいがないのかと問われれば、否、ですよー。

「ゆっくりで、いいのよ?」

 手持ち無沙汰にいじっていたポットが、ラスターさんにさらわれていきました。
 全部表情に滲み出ていたのでしょう。ラスターさんは、目じりを下げて微笑んでいらっしゃいます。ポットから、ぽこぽこと音を立てて注がれている紅茶のように。あまりにあたたかい空気に肩を押されて様な気がして、椅子に落ちました。

「私、ししょーに、告白、したですよ。ししょーが、大好きだって。溢れ出てくる気持ち、とめられなくって、すごくみっとも無い、告白でしたけど」

 思い出しても、赤面ものな勢いでした。昨晩の、私は。けれど、不思議と幸福感に満たされていきます。
 落ち着こうと、紅茶が揺らめいているカップに口をつけると。余計に喉が熱くなっていきました。こくんと。流れていく紅茶の味なんて、さっぱりわかりません。

「ラスターさん?」

 意を決して、ご報告したのに。ラスターさんからは、一向に反応がありません。
 はてと、首を傾げてしまいます。顔をあげた先にいらっしゃったラスターさんは、これ以上ないってくらい眉間に皺を寄せていました。
 わっ私が告白したのが、そんなにも怪訝な行動だったのでしょうか。

「アニムちゃんが、ウィータに告白したの?」
「はいです。告白いうよりは、勝手に、気持ち、ぶちまけた、ですけど……」

 私の言葉に、ラスターさんは頭を抱えてしまいました! 盛大な溜め息をともなって。
 もっと雰囲気よく告げて欲しかったという意味でしょうか?! それとも、この世界では、女の人から告白するのって、とんでもなくはしたないとか、有り得ないってこと?! はたまた、世界に名を馳せる台魔法使いウィータにふさわしくないという、お友達心なのでしょうか。
 考え得る全ての可能性に思考をめぐらせ、魂が抜けそうな私の気配を察したのか。フィーネとフィーニスが、慰めるように手に掴ってきました。

「で、ウィータも同じ言葉を返してくれたのかしら? 念のために聞くけれど」

 え? 師匠うんぬんに話が移るのですか?
 カップに張り付いていた手をなんとか外し、フィーネたちを胸に抱き上げます。突然の行動にも関わらず、二人は大人しくされるがままでいてくれました。

「ししょーは、あぁいう人だから。はっきりとは――」
「――っかぁー! ウィータのやつ、どこまでも情けない! 大体、あいつはいつもいつもアニムちゃんの気持ちに甘え過ぎ! 臆病になるの、わからないでもないけど、それにしたってさ、あんなに根深い想い抱いて、独占欲丸出しに周りを牽制(けんせい)するくらいなら、どーしてもっと強引になれないのさ! アニムちゃんが知らない単語使って熱愛してるとか遠まわしにでも言っちゃうくらいなら、本人に伝えてあげろっての! もー、何がしたいのか意味不明なんだけど!」

 がたんと。椅子と床がぶつかる音が、豪快に響き渡りました。フィーネとフィーニスの垂れ耳が、ぴんっと立っちゃうほどです。かわいそうに。
 かといって、ラスターさんを責める気にはなれない様子なのですよね。むしろ、私の立場になって怒ってくださってるのですし。
 それにしても、ラスターさんの怒りっぷりは、まるで娘を庇うお父さんのようです。あんぐりと、口を開けることしか出来ません。

「アニムはさ、よく、あんなのに愛想尽きないよな! いっそのこと、元の世界に戻ってやるとでも宣言して、ウィータのやつを追い込んじゃうくらいしても、罰は当たらないと思うんだけど!」

 ぐいっと、ラスターさんが体を乗り出してきました。それなりに幅のある作業台ですが、高身長なラスターさんは軽々と距離を詰めてきます。
 目の前で、自分のことのように眉を吊り上げているラスターさん。子どものように拗ねている様子に、ぱちくりと、ただ瞬きを繰り返すばかりです。
 ラスターさんに『アニム』と呼ばれたのに驚いたのもあります。けれど、内容もですが、何よりラスターさんの口調というか言葉使いにびっくりしています。

「ふぇっ……らすたーしゃんのばかちん!! あにむちゃは、いなくなんて、ないのでしゅよ! あるじちゃまとあにむちゃは、お婿しゃんとお嫁しゃんで、ずーとずっと、ふぃーねたちと一緒いるの! お月しゃまなんかに、行かないでちょー!」
「あにみゅは、ありゅじに意地悪なんてしないのぞ! あにみゅは……あにみゅは、絵本の続きだって、読んでくれる約束してるのじゃ! ふぃーにすたち、嫌いない言ってくれたのぞぉ」

 びえぇと、大きな泣き声が調理場に木霊します。真珠のように大きな涙の粒が、フィーネとフィーニスから零れ落ちていきます。二人を抱えた腕、袖から染みてくる熱さに、じんと胸が震えます。
 慌てて抱え直し、よしよしと背中を撫でると、余計に泣かせてしまいました。激しく泣きすぎているせいで、しゃっくりまで出ちゃってます。

「ごっごめん、なさい! 子猫ちゃんたちを脅かしたかった訳ではなくって。あくまでも、煮え切らないウィータに、腹が立っただけで……」

 ラスターさんの弁解は、語尾が掠れていました。顔に『後悔』と書いたまま、力のない調子で椅子を持ち上げていらっしゃいます。
 しょんぼりと肩を落としてしまっているラスターさんに、出来る限りの笑みを向けます。フィーネとフィーニスを悲しませてしまったのは、胸が痛みます。けれど、ラスターさんのお気持ちも、すごく嬉しいから。

「わかってる、です。ラスターさん、本気で、私とししょーの関係、心配してくれてるからこその、言葉だって。ありがとう、です」
「そんな……あたしの勝手な感情で口走って、申し訳ないわ」
「ほんと、嬉しかった、ですよ? どうでもいい人、真剣に考えたりはないです。ましてや、怒るって、それだけで、とっても疲れるですから。フィーネとフィーニスの反応、元々は、昨日の私のせい、なんです。ラスターさんは、気にしないで、くださいです」

 元を辿れば、昨日、私が花畑で零した不安が原因なんですよね。フィーネとフィーニスの動揺って。
 必死にしがみついている二人の背中を撫でると、ぶんぶんと大きく頭を振られてしまいましたけれど。
 ミルクと蜂蜜の甘い香りがするフィーネとフィーニス。それに、渋い面持ちのラスターさん。
 皆から伝わってくる優しさに、私も涙腺が緩むのがわかりました。

「むしろ、ありがとう、ございますですよ。私、ししょー、一番大好きですけど、ラスターさんも、大切な人です。センさんやホーラさんも、それに会ったのないですけど、ディーバさんも。ラスターさんが大事想ってる、ルシオラさんも。ししょーから繋がる関係、幸せ思うです」

 グラビスさんも、アラケルさんも。引き篭っている森で出会った全ての人。前向きな思い出ばかりではありませんけれど、その出来事がなければ、師匠と想いを通わせたり、この世界に残るかどうかに真剣に悩んだりも、なかったかもしれません。
 辛い出来事ばかりなら、間違いなく落ち込んでいたと思います。けれど、師匠をはじめ、訪問者の皆さんのあったかい感情に触れられるからこそ、そうとらえる事が出来るのでしょうね。

「私、ししょーに、召喚してもらえて、とても幸せ、です」

 そして、ラスターさんが私のために感情を動かしてくれている。
 どうして今、そう思ったのかも、正直わかりません。けれど、理由はわからなくても、感じた想いは本物です。ただ、それを伝えたくて、溢れ出そうな涙を押し込めて、へらっと笑ったのですが――。

「アニム、『俺』は――」

 硬く低い声が、耳に響いてきました。



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