引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

17.引き篭り師弟と、師弟交換2


 ラスターさんの高らかな宣言が響いた直後。目にも止まらぬ速さで、ラスターさんは床に突っ伏していらっしゃいました。
 私といえば、師匠に頭やら肩を抱えられている状態です。師匠の肩口に頬を押し付けられているので、自由に動けません。けれど、ラスターさんの体周りに電気が走っているのは、確認出来ました。
 どれだけ強い雷魔法を使ったのかと、冷や汗が流れますよ。お師匠様。

「ひっひどいわ。ウィータだって、あたしの弟子をとったくせに!」
「お前は下心みえっみえなんだよ! ったく。女のなりして、油断も隙もありゃしねぇ」

 師匠が片腕を離した隙に、息を吐いて離れます。ぷはぁ。いえね、ちゃんと呼吸は可能な姿勢で抱きしめてはくれてたんですけど。気分的に、ぷはぁなんです。
 私が深呼吸をしている間に、師匠はラスターさんの前にヤンキー座りなっていました。おまけにと、ぐりぐり拳を押し付けてるじゃありませんか。
 ラスターさんが師匠の雷魔法にやられるのは、初めてじゃありません。こんなこと、前にもありました。その時、師匠は背に庇ってくれました。今は、丸ごと抱きかかえてくれた。その違いに、鼓動が早くなっていきます。

「くすぐったい。触れ合い方、ちょっとずつ、変わってる、ですね」

 ふと。ルシオラさんを見ると、むず痒そうな、どこか嬉しそうな雰囲気です。うん、やっぱりそうだ。
 腕を組んで立っているルシオラさんは、私の視線に気がつくと、ぷいっとそっぽを向いてしまいました。可愛いなってほくほくしているのが、ばれてしまいましたか。

「大体! ラス兄、今日はわたしの魔法生成手伝うって言ってたじゃん!」
「だってぇーウィータが直に指導するんだったら、あたしは暇じゃないのー」
「そうだけど……。まぁね。ウィータ様、常時なら生成手伝わない主義だもんね。教えてもらったのを実践するのが難しくって、そこを補佐してくれるのがラス兄だから、いらないか」

 ルシオラさんの口調は、どこか刺々しいです。納得しているような言葉だけれど、心の中では全く腑に落ちていない。よく雪夜がしていた態度です。はっきり意見主張をするのに、変なところで我慢しちゃう感じ。
 起き上がったラスターさんは、太ももが見えるのも気にせず、胡坐をかいています。セクシーすぎて目に毒ですよー。そんなラスターさんをひと睨みして、床を鳴らしたのはルシオラさん。

「でも、今日は『ウィータ師匠』だから、もちろん手伝ってくださるんですよね? というか、師匠で良いですよね?」
「あぁ。ルシオラさえよければ、今日中に完成させちまおうぜ」
「うわっ! ほんと、嬉しいです! 一生の思い出どころか、あの世にも持っていく!」

 きらきらと。水晶の森が放つ輝きに劣らない、眩しい笑顔。ルシオラさんは、全身から興奮を放っています。その煌きは、魔法使いとしての高揚からでしょう。
 とっても素敵な光景なはずなのに。私の胸はちくっと痛みました。ルシオラさんの頭を軽く撫でた師匠に、ほんのちょっとだけ、本当に少しだけ、やいたのもあります。けれど、一番の苦味を連れてきたのは、『ウィータ師匠』と呼ばれた師匠が、ほのかな笑みを浮かべたこと。私には駄目だって言い聞かせてきたのに、ルシオラさんなら良いんですか?

「私だって、声に出して、呼びたい、のにな。実感したい、のにな」

 思わず落ちた溜め息は、腕を摩ることで誤魔化しました。愚痴は、衣擦れでかき消せるくらいの音量でしたし。実際、玄関先は冷えてもいます。激しくなってきた雨の影響を、強く受ける場所ですもんね。よし、誤魔化せた。
 一応、玄関扉の横にも暖炉はありますが、今は薪が置いてあるだけです。

「私、弟子なるって、ラスターさん、なにか、魔法調合、するです? お手伝いくらい、しか、出来ませんけど」

 よっこいしょと声をつけて、ラスターさんの前に屈みます。首を傾げてみますが、ラスターさんは満面の笑みを浮かべただけです。乙女チックに、掌をあわせて同じ方向に頭を傾けられました。
 うーん。今のラスターさんは、どこをどうとっても立派な女性にしか見えませんね。私より遥かに女性らしいです。ちらりとルシオラさんを見ると、やっぱり不機嫌そうでした。うん、間違いない。

「いいの! アニムちゃんがあたしの弟子ってだけでも、もう、嬉しくって!」

 ルシオラさんと師匠ならわかります。ルシオラさんは師匠から魔法関連で学びたい内容が尽きなさそうです。ですが、一日とは言え、ラスターさんが私を弟子にして、一体どんな意味があるのでしょう。さっぱり思い当たりません。
 あっ、もしかして。たまには手のかかる弟子の面倒をみたかったとか? ルシオラさんて、物事を手際よく一人で機敏に進められそうな、しっかり者に見えますので。

「おい、ラスター。調子に乗るなよ。だれが許可した」
「ふーんだ。ウィータの許可なんていらないわよ。あたしはアニムちゃんにだけ頷いてもらえればいいのよー」
「私は、大丈夫、ですけど……」

 見上げた先にいるのは、師匠ではなくルシオラさんです。じっと見つめていると、師匠とラスターさんも視線を動かしました。
 三人に注目されたルシオラさんは、見事に顔を歪めています。

「わたしはどうでもいいって。ウィータ師匠、さくさくっとお願いします! 一分一秒、無駄には出来ません! 人生でたった一度きりの奇跡の時間です!」
「ルシオラ、大げさなだなぁ……じゃあ、まぁ、移動するか。必要な荷物だけ持ってついて来いよ。地下の実験室で生成しようぜ。他の荷物はウーヌスが部屋に運んでおく」
「はいっ!!」

 意気揚々としたルシオラさんの返事が、玄関に響き渡りました。ほぼ同時に、ルシオラさんの手が、荷物をひっきかき回し始めます。無造作に投げ出されていた大きな袋から、どんどん魔法道具や分厚い察しが出てきます。すごい。まさに、魔法の袋です!
 私を挟んで、師匠とラスターさんが未だに小競り合いをしているのも気にならないくらい、俊敏な動きです。見とれていると、ウーヌスさんがカートのようなものを持ってきました。いつもながら、ぐっじょぶ。

「ウィータ師匠、準備完了です! くぅー、どれだけ、こう呼べるのを夢見たか! 十年前、意気消沈していた過去のわたしに、教えてあげたい」
「あんた、興奮しすぎて爆発なんて起こさないでよ?」
「ラス兄こそ、さっさとその気持ち悪い女装といておいてよねっ」

 いいなあ。私も名前呼びたいです。
 はっ。いかんいかん、です。笑顔でお見送りしましょう。楽しそうなルシオラさんに水を差すようなまねはしたくありません!
 ガッツポーズをとって「頑張って、ください!」とエールを送ると、嬉々とした笑顔のまま、ルシオラさんが「もちっ!」と指を立ててくれました。

「じゃあ。オレたちは地下四階にいるから、なにかあればすぐ呼びに来いよ?」
「うん。でも、ラスターさんも、いるし。心配御無用」

 眠そうな瞼の師匠の指が、下に向きました。
 この家、建物自体は二階建てなんですけど、地下は何層もあるんですよ。地下に降りるほど水晶の効果影響が高く、魔法の実験や魔道具の生成にはうってつけなんだそうです。私も魔薬調合のお手伝いする時には、降りる機会もある場所です。上の二階にも調合部屋はありますけど、簡単な調合しかしません。
 ただ、単純な調合や生成にとって、強すぎる水晶の魔力は逆に悪影響なんだそうです。そんなわけで、地下四階は、私も立ち入ったことがない階層です。本格的な魔法生成を行うのだと、察してしまいちょっと切なくなりました。自分が、魔法使いでないことをやんわり突きつけられた気がして。
 うーん。私、贅沢者ですよね。出来ることを頑張ると決めておきながら、魔法使いだったらなんて考えちゃうなんて。しかも、恋心からの嫉妬なんて公私混同もいいところです。せめて人様の前では弟子っぷりを発揮するです!

「えぇ、まかせてよ。さーて、あたしはアニムちゃんと、ナニしよっかなー。アニムちゃんは今日の予定あった?」
「えっと。今日は、フィーネとフィーニス、お菓子、作る約束です。けど、今日は、私、ラスターさんの、弟子だから、違うお手伝い、した方がいいです、よね?」

 可能なら、フィーネとフィーニスにお菓子を作ってあげたからだと、ありがたいのですけど。しょんぼりするであろう二人の姿を思い浮かべると、私もしょんぼりとなってしまいます。でもでも、魔法関連なら手際が悪いから、お手伝いも時間がかかってしまいそうですし。早い時間から取り掛かったほうが良いですよね。
 どうしましょう。と頭を悩ませていると、ラスターさんが自分の両頬を抑えて、くねくねしだしました。

「あぁん。もう、そんな切なそうな瞳で見つめられたら、きゅんときちゃうじゃない! すでにアニムちゃんの師匠になって得した感じ!」
「すみません、です! 私、顔に、嫌、でてましたか。あっ、嫌、思ったなくて、ただ、お菓子だけは、思って!」

 お恥ずかしいです。加えて、誤解を招く言い方をしてしまいましたよ。慌てて頬を押さえると、冷えた玄関では熱く感じるほどになっていました。
 失礼を言ってしまったと思えば思うほど、体がかっかしてきます。ラスターさんは、そんな私を責めるわけでもなく、むしろ目を細めて髪を撫でてくださいました。
 訪問者の皆さん、年齢がとっても上というのに加え長身なので、癖のように撫でてくださいます。うん。嬉しいけど、子ども扱いみたいですとか、思っちゃったり。

「うふふ。安心して。アニムちゃんの気持ちは、ちゃーんとわかってるから。それに、前に一緒にお料理したでしょ? あたし、お菓子作りにも自信があるの」
「ラスターさん、一緒、お菓子、作ってくれるです?」
「えぇ! ただ、あたしを『師匠』って呼んでね」

 ばっちこーんと。星やらハートが飛び捲くっていそうなくらい、見事なウィンクです。
 ちらりと師匠を目の端に入れると。この上ないくらい頬を引きつらせていました。少し後ろにいるルシオラさんは呆れ顔です。雨音に混じって、「料理に関して言われると、何も返せないよ」という小さな呟きが聞こえてきました。

「ラスター、ししょー?」

 師匠は、私が師匠を呼ぶことで独占欲を満たしていると言ってくれました。なので、ちょっと引け目を感じつつも、ルシオラさんには『ウィータ師匠』と口にされて何も言わなかったので、おあいこですよね! 一日限定ですし、私も我慢するし。
 一方、ラスターさんは、珍しく顔を上気させていらっしゃいます。ルシオラさん、普段は『ラス兄』って呼んでいるみたいですから、よっぽど師匠という単語が嬉しかったみたいです。喜んでいただけて何よりです。

「どうせなら、ラスターじゃなくってラスって言ってみて?」
「ラ――」
「今ここで殺られるのと、じわじわなぶられ時間かけて昇天させられるのと、どっちがいい」

 ぶわっと。冷気が漂います。ドライアイスのような煙が広がっていきます。っていうか、さむっ!! スカートから流れ込んでくる冷気で、太ももが凍りそうっ!
 こんなことするの師匠しかいません! 悪役どころか殺人鬼ばりの発言は、やめてください!
 ばっと音をたてて振り返ると。腕を組んで……それはそれは恐ろしい形相でがんつけている師匠がいるじゃありませんか。なぜ怒る。

「ししょー! 寒い、よ! お花も、枯れちゃう!」
「やーね、アニムちゃん。ウィータは師匠じゃないんだから、名前で呼んであげれば?」

 ラスターさんがにやにやと師匠を指差します。ぐっと喉を詰まらせた師匠。おかげで、一気に冷気が引いていきました。まぁ、外は雨なので、暖かいとまではいきませんが。
 それよりも。名前、ですか。私だって、出来れば『ウィータ』なんて微笑みかけてはみたいです。でも、だれよりも、当の師匠が嫌がるんですから、無理な相談です。

「ししょー、私に、名前、呼ばれるは、駄目みたい、です。だから、すみません。ししょーは、ししょーって、呼んでも、いいです? ラスターさんは、ラスししょーで」

 たぶん、力のない笑みになってしまっていると思います。気を紛らわせるため、髪をいじりながら、へらりと笑いかけます。
 ラスターさんは一瞬眉間に皺を寄せました。が、すぐに「ははーん」と納得したように謎の声を出しました。

「ウィータは、なーんであたしがアニムちゃんに『ラス』って呼ばれるの嫌がるのかしらねぇー」
「確かに。ウィータ様、じゃなくってウィータ師匠も、昔はラスって呼んでましたよね? 他のご友人方も。ここ一・二年前じゃないですか? 愛称使わなくなったの」

 おっ、初耳情報パートツーですね。瞬きを繰り返していると、つかつかとブーツを鳴らした師匠が近づいてきました。
 って、師匠! ラスターさんに手刀を振り下ろしたじゃありませんか。ラスターさんは見事に受け止めましたけど。

「うっせぇ! 使い分けだよ、使い分け! 単純に女の時はラスターで、男の時はラスって呼べって、お前が言い出したんだろうがっ!」
「記憶にないわねーそ・れ・に! アニムちゃんの甘い声で『ウィータ』って呼ばれたがらないなんて、あんたらしくもないわよねぇ」
「そうなんだ? ウィータ師匠、今まで名前呼ばれるの拒否したなんて、耳にしたことないけど」

 ぐさっ! 大きな槍が胸にぶっささりました。はい。見事に体を突き抜けました。私だけですか。特別は嬉しいですけど、マイナス方面での特異は悲しいです。
 落ち込んではいけないと口を結びつつ、心が沈んでいくのを押さえられません。

「アニム様。もうすぐフィーネとフィーニスが湯浴みから戻ります」
「え? ふたりとも、お風呂、してたですか」

 地下へと続く階段は、玄関を入って右の個室をいくつか抜けた先にあります。一旦その方向へ姿を消していたウーヌスさんが、いつの間にか戻ってらっしゃいました。そのウーヌスさんから告げられた内容に、きょとんとしてしまいます。
 それに、フィーネとフィーニスが午前からお風呂って珍しいですね。

「昨日なくしてしまった七色の花を、再び瓶に詰めに行っていたようです。先ほど帰宅し、ずぶぬれになっていましたので、ひとまず湯につけてきました」
「フィーネとフィーニス、南の森、行ってくれてた、ですか」

 起きた際、一目散に部屋から飛び出て行った二人。まさか、昨日怖い思いをした場所にまた行っていたなんて。しかも、私のために。
 うん、頑張ってお菓子を作ろう。
 ぽっと心があったまっていくのを感じて、はたと気がついた気遣いに、さらに幸せいっぱいになりました。

「ウーヌスさん、ありがとです」
「いえ。私は事実をご報告申し上げただけですので」
「へへっ。ウーヌスさんは、さり気なささん、です」

 ウーヌスさんは一切表情を変えることはありません。気温と同じ涼しげな様子で頭を下げて、踵を返しました。
 一見、全く違う話の流れを投入したウーヌスさんに、ルシオラさんは訝しげに眉を寄せています。
 きっと。ううん。絶対に。ウーヌスさん、私に気を使ってくださったのでしょう。伊達に一年半近く一緒に暮らしてません。
 そうですよね。師匠に関しても、周りの方に関しても。知らなかったのを気に病むよりも、発見できる幸せに向き合おう。師匠が名前を呼ばれたがらないのにだって、必ず理由があるはずですもん。あれこれ想像して、最後の答え合わせを楽しみにしましょう。
 心なしか、雨音が優しくなった気がしました。




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