閑話 16.呪われた魔法使いと、式神の子猫たち
「うにゃにゃーうにゃにゃーぞー」
「なうなうなーでしゅのー」
前方を飛ぶ子猫たちは、上機嫌に鼻歌を流している。
静かで肌寒いレンガ作りの廊下。鳴る声は甘く、不思議とあたたかい気持ちになる。どこか、懐かしくさえ感じられた。
あたし――自分がウィータの住まいを訪れた際、あてがわれる部屋は決まっている。本宅からレンガ造りの廊下を渡った先にある、小さな別館だ。簡易な調理場や浴場、おおむねの生活空間が揃っている建物。
大抵、ウィータの元を訪れる旧友たちにはその別館が貸し出される。自分を含めた旧友たちは、外部の仲介として依頼を持ってくるのがほとんどだ。また、世界一浄化された結界内は、魔法研究や魔道具の生成に最適ということも、訪問理由のひとつになる。けれど――
「らすたー! なに、にやついてるのじゃ。気持ち悪いのぞ」
いつの間にか振り返っていたフィーニスとフィーネが、不審な目を向けてくる。廊下の脇にある、ほのかなランプの灯りの中。思い切り、鼻に皺が寄せられているのがわかった。
二人並んでの様子に、くすりと笑いが零れた。
最近の訪問目的ときたらもっぱら、ウィータの愛弟子アニムと、弟子にだらしないウィータの観察なのだ。それに、一歩先で半目になっている式神たちの成長も。
「やーね、子猫ちゃんたち。ただあたしは、アニムちゃんとウィータがうまくいってるといいなぁ、って思ってただけよー」
「ほんとでしゅかー? らすたーしゃんは、あにむちゃにちょっかいばっかり出してましゅからにゃー」
「なのぞ! せんが言ってたのぞ。らすたーには気をつけるんだ、って!」
フィーニスから出た名前に、頬がかたく引きつった。
あの笑い魔め。己はウィータをからかいたくて、アニムちゃんにちょっかいを出しているのを棚に上げて。よくも、いけしゃしゃあとぬかしやがる。
まぁ、仕方がないのだろう。異質な子猫たちを受け入れる、センなりの接し方だと推測がついているので、目くじらを立てられない。すぐに苦笑が浮かんできた。
「子猫ちゃんたちー? あんまりセンのこと真に受けても、良いことなんてないわよー?」
センは、自分やホーラよりもウィータの近くにいた。不老不死のあいつらが物心つく前からというのだから、相当な歳月を共に過ごしていることになる。
その分、ウィータが初めて作り出した成長型という異質な存在、それにウィータ自身を変えていっているアニムという存在に、だれよりも戸惑っているに違いない。下手をすれば、ウィータ本人よりも。
「ほりゃ! 全部顔に出てましゅの!」
「図星なのぞ! らすたーは絶対男の姿になっちゃだめなのぞ!」
「あら。女のままだったら、アニムちゃんのあーんなとこや、こーんなとこに触れてのいいのかしら?」
自分の大きく膨らんだ胸部やくびれた腰を撫でてみせると、子猫たちは「ひょー!」と面白い声をあげた。頬に前足をあて、尻尾を逆立てている。
あまりに愉快な光景だったので、おまけにくねっと体を捻って「やん!」と付け加えると、ついには肉球で頭を叩かれてしまったが。
「やーん! らすたーしゃんは変態なのでしゅー!」
「自分を撫でて変な声だしゅなー!」
我ながら抜群のスタイルだと思う体だが、特殊な趣味を持っているつもりはない。しかし、ここでアニムちゃんを撫でた想像をしたなどと墓穴を掘るつもりもない。暴露すれば、子猫たちの鋭い爪を受けるどころか、後々、ウィータの耳にでも届けば制裁を受けるのは必至だ。
自分はこの結界内では女の姿をしているが、普段の生活はもちろん、心は男なのだ。自分の立ち位置を知り女の姿であることを条件に、アニムちゃんと会うことを許可したウィータなのだから……少しくらいは大目に見て欲しい。従順にルールを守っている自分は、相当偉いと思うのだ。
「子猫ちゃんたちは、アニムちゃんに撫でてもらうんでしょ? あたしも、アニムちゃんの白くて可愛い指でくすぐって欲しいわー髪や体を撫でて欲しいわー」
「うっしゃい! あにみゅはありゅじのお嫁しゃんぞ! ふぃーにすたちはいいけど、他のやつは、手はお膝、なのじゃー!」
お嫁さん。
女性関連で、これほどウィータに似合わない言葉もなかろう。けれど、アニムちゃんと並んでいると、しっくりくるから不思議だ。今はまだ、弟子以上恋人未満という呼称がふさわしい二人。まぁ、自分の前でいちゃついている様子だけでも、やってるコトやかもし出している香りは、下手な恋人たちよりも濃いが。二人きりの時は、殊更なのだろうし。
それに――、それにアニムちゃんの目に、自分が男として映っていないのは、明白だ。ウィータへの言い訳を思い出し、改めて痛感した。
微笑んでいいのか溜め息をつくべきなのかわからず。子猫たちを捕まえて、喉元をくすぐる。
「ふみゃぁー、じゃなくて、やめちぇー! おねむになるのでしゅー!」
「ふぃーね! らすたーなんて、さっさと部屋に置いて、戻るのぞ!」
「はいはい。じゃあ、さくさく進みましょう?」
手を離すと同時に、子猫たちは飛び出していった。こそこそ内緒話をしながら進んでいく子猫たちの背中に、大人しくついていくことにしよう。
廊下の外に目を向けると、月明かりと魔法陣の光を浴びた水晶が煌いていた。あぁ。今頃あの師弟は、こんな光景が似合うようなムードになっているのだろうか。ウィータの性格からして、白黒はっきりつけるまではいかないにしても。
今日、メトゥスと対峙した際の様子を思い返すと、多少なりとも進展はあるかもしれない。
「それにしたって。メトゥスのやつ、ただ杖を砕かれて腹をえぐられたくらいで退散するなんて。また近いうちに侵入してくるに違いないわね。ということは、そろそろなのかしら」
浮かんだ考えに、肩が落ちた。
まったく。どれだけの時間をかけて結ばれる二人なのだろうか。長寿である自分でさえも、呆れるくらいだ。出来れば早々にと願うばかりだが……無理なのは身を持って承知してしまっているので、今はそっと見守ることしか適わない。
はがゆいと奥歯を噛み締めつつ、もう少しこの状況を楽しませても欲しいとも思ってしまう自分もいる。
「あー、そういえば。ルシオラに女の姿見られたら、また、殴られるわよね。まぁいいか。ウィータが一言、事情があると告げれば、あの子はすぐに納得するだろうから」
アニムちゃんの想いを無視してしまった考え。後ろめたさをかき消すために呟いた言葉は、別の憂うつを連れてきてしまった。
明日には合流する弟子の冷たい目が、容易に想像出来る。
起きた震え。
腕を摩ると、無駄な抵抗だといわんばかりに、冷たい風が通り過ぎていった。
「明日も賑やかな一日になりそうだわ」
顔をあげた先では、子猫たちが部屋の扉を尻尾で叩いている。耽っている間に、別館に着いていたらしい。
質素ながらセンスのよい細工が刻まれた扉が、わずかに開けられている。本当に早く寝て欲しいのだという子猫たちの意思が伝わってきて、苦笑が浮かんだ。
「子猫ちゃんたち、ありがとう」
「任務完了なのぞ!」
「大人しくねてくだちゃいね!」
いい終わらないうちに、子猫たちは羽をばさつかせ離れていった。
「おやすみなさーいねぇー」
「おやしゅみ!」
遠くから微かに聞こえた律儀な返事に、口の端があがる。あれはウィータじゃなくて、アニムちゃんの世話の結果だろう。あいつも変に律儀な部分があるけれど、全員に向けられるものではないから。
子猫たちがウィータの寝室に着く前に、上手いとこまでいくといい。そして、明日からかってやろう。さらに、アニムちゃんにひっついて保護しようとするであろうウィータの様子を、詳細にセンやホーラに教えてやるのだ。
「アニムちゃんの幸せ顔はともかく、ウィータの自慢げな目つきは腹が立つわね。それでも、余裕が出るどころか独占欲がひどくなるだけだろうから。その分、もっとアニムちゃんに触れてやるんだから!」
いつものテンションになるため、女言葉で呟いたのに。どうしてか虚しさが生まれてしまった。
独占欲が強まったウィータの行動はともかく、きっと「アニムが気にしなくても、オレが嫌なんだよ」とかアニムちゃん以外眼中にないなんて言葉のせいだ。後者は、さすがに未遂だったけれど、言いかけて言葉を飲み込むこと自体が、驚きなのだ。
「大人気ないな。ウィータも……自分も」
落ちた息は。静寂の中、痛いほど耳に響いた。
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