引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

15.引き篭り師弟と、告白2


「なにがそんなに楽しいんだか」
「だって、ししょー、いさぎよすぎて」

 ベッドの背に枕を敷いて。師匠は、脱力気味にもたれ掛かっています。さらに、私の背中が師匠にくっついている状態です。師匠ってば童顔の割に、しっかり胸は広いので、遠慮なく体重をかけられるんですよね。意外に。
 薄い夜着からは、ほどよく、師匠の体温が染みてきます。伝わってくる熱のくすぐったさも手伝って、私の笑いはさらに零れていきました。

「とりあえず、笑うのをやめろ。そもそも、希望なんてあんのかよ」
「んー、改めて、言われる、ぱっと、浮かばない」

 だって。好きっていう言葉は、催促して欲しがるモノじゃないと思うのです。あっ、恋人同士ならともかくですよ? 私と師匠って、それ以前の関係ですもん。あと、事実は省みず、たまには可愛いって誉めて欲しい気持ちもありますけど……いくら約束とはいえ、この師匠が素直にくれる部類だとも思えません。
 かといって、この機会をみすみす逃すのも勿体ないですよね。困ったものです。ひとまず、時間稼ぎのため、師匠と向き合う形に座りなおしましょうかね。よっこいしょと回転し、色気のない様子で腕を組んでも、残念ながら思い浮かびません。

「無理して考える必要も、ないんじゃねぇのか?」

 ひらひらと手を振った師匠の口振りといったら。疑問ではなく、ほとんど『ない』と決めてかかっているように聞こえるものでした。
 師匠は無視無視、ですよ!
 しばらく、暖炉や天井、それに積み重なった本たちを睨んでみましたが。ベッドに腰掛け、への字口でじっと見つめてくる師匠の視線に、焦りの色が濃くなっていくだけでした。負けてなるモノか!

「よし! 決めた、ですよ!」

 ぽんと大きな音を立てて掌を打ち鳴らすと、師匠は覚悟を決めたように体を強張らせました。あぐらを掻いて、じっと私の言葉を待っている姿は、すごく可愛いです。正直、この姿を見つめているだけでも、十分かなって。
 しかーし。そんなお願いしようものなら、師匠は真っ赤になって怒り出すでしょうから、自重しておきます。

「名前、呼んで?」
「あー、ちょっと、それは。って、名前だぁ?」
「ししょー、最初から、断る気満々、だったですか。っていうか、私が、どんなおねだりする、思ってたですか」

 今の私は、師匠顔負けの半目に違いません。びしっと指差してやると、師匠の口元が綺麗に引きつりました。心なしか、後ろ体重にもなってますよ。
 ふーんだ。やっぱり、最初っから断る気満々だったんじゃないですか! ひどいですよね。自分から提案しておいて。

「いや。まぁ、それはいいとしてさ。名前なんていつも呼んでるだろうが」

 師匠の反応は当然だと思います。師匠は常日頃から、結構名前で呼びかけてくれます。印象だけでなら、『お前』と呼ばれるより『アニム』って口にしてくれる方が、断然多い気がします。
 でも、一番無理のない範囲で欲しい言葉といえば、これしか思い浮かばなかったんですよね。きっと、うん、間違いなく。明日のお昼ご飯の準備なんてしてる時に、唐突に「こう、言って、貰いたかった!」なんて思いつくに違いありませんけど。

「いいの。じゃあ、ぎゅってしながら、呼んで?」
「アニムが、それでいいなら、別にオレが拒否する理由はねぇけど」

 掻いたあぐらの間に両手をついて、片眉を跳ねさせている師匠。師匠の言葉に、既に鼓動が煩くなっています。だって! 不満げな表情と拒否する理由はないなんて言葉、矛盾してません? その逆の色が、どんどん早鐘の後押しになっているんです。
 私が胸を押さえて動かずにいると、師匠から腕を広げてくれました。自分でも顔が輝いていくのがわかります。

「へへっ。お邪魔、します」
「不気味な笑いは、腰落としてた位置に、ちゃんと置いてこいつーの」

 師匠のひどい台詞は右から左へと、華麗に流しておきました。むしろ、不気味な笑みを深めて、遠慮なく抱きついてやりましたよ。胡坐を掻いた間に、自然な調子でフィットするお尻。
 またぐ姿勢は、相変わらず慣れなくて恥ずかしいですね。でも、羞恥心なんて、徐々に幸せが隠してくれました。

「今日は、ししょー、文句、垂れられない、のっ!」
「へいへい」

 呆れた声が落ちたのは、一回だけ。
 師匠の腕は、背に優しく寄り添ってきました。何度も「アニム」と繰り返してくれます。最初は照れが混じっていたようですが、回数を重ねるたび、声色に甘さが染み出てきて。体の芯から痺れが走ります。
 痺れに耐えるのと満たされていく心から、師匠にまわした腕に力を込めます。ほっとするのに呼吸が苦しくなって。けれど、やっぱり、心が震えるんです。

「アニム」
「うん」
「アニム」

 瞼を閉じると、師匠の体温と声、それに香りを強く感じました。あぁ、私は師匠が好きだなって、噛み締めます。
 この世界に召喚されるまでは、知らなかったどころか、同じ世界にいなかったなんて信じられません。師匠が「アニム」と、『私』に呼びかけてくれる。師匠が術を失敗した真意はどうであれ、今は出会えたことへの感謝の気持ちが広がっていきます。
 無意識に、にやけていたようです。訝しげに目を細めている師匠に、頬を挟まれました。そんなに、ぐいっと顔をあげなくても……。
 もしかして、振動が伝わるくらい、笑っていたのでしょうか。全く、気がつきませんでしたよ。

「あのなぁ。呼ぶ毎に、体を揺らされたり、口元に締まりがなったりされる、すっげー気になるんだが」
「体、ともかく。口元、見えて、ないでしょ?」
「あほアニム。普段から、オレがどんだけお前を見てると思ってんだよ。オレの声に、お前がうっとりしてるなんて、容易に想像できんだよ」

 うぬぬ。敗北感、いっぱいです。っていうか、お師匠様のご趣味はアニム観察ですか! 確かに、引き篭り魔法使いですからね。ウーヌスさんやフィーネたち、それに他の方は式神さんですしね。人間観察の対象になるのは、私くらいですけど!
 しかも、うっとりとか断定してくれちゃって。……見当外れではないのが、悔しいです。

「ししょー、自意識過剰!」
「ほぅ。違うのか?」

 こつんと額をあわせてきた師匠。三日月さながらの口元にも、見とれてしまいそうです。
 じんわりと。触れ合った部分から染みてくる温度に、涙が零れそうになります。人と触れ合って、涙が出そうになるなんて、ちょっと前の自分では考えられません。嬉しいなって思う機会はありましたが、切なさで瞳が熱くなるなんて。
 幸せなのに、どうしてこんなに泣きたくなるんでしょう。
 胸が苦しくてくるしくて。喉が震えてきます。

「違う、ない、けどさ。だから、ちょっと、悔しいんじゃない。私だけ、うっとりが」
「お前なぁ。毎度のことだが、素直になるのか意地はるのか、どっちかにしておけよ。両方一気にが、どんだけ破壊力あるか、理解してなさすぎだろ」
「はっ破壊力、って。女性に、失礼!」

 頬に触れている師匠の手を剥がして、つい声を荒げてしまいました。
 怒ってるわけじゃないですけどね。もし、私の想像している意味合いと同じなら。この上なく恥ずかしい台詞を、師匠はさらっと吐いたことになりますもん。

「うっせぇなー」

 ぶっきらぼうな調子に反して、耳に髪をかけてくる師匠の手つきは、この上なく柔らかいです。そのまま顎に滑ってきた指先に、こちょこちょとくすぐられました。瞳が瞑れるのを感じながら、肩を竦めました。
 ふっと。師匠の表情も柔らかいものに変わります。心臓に悪い、優しすぎる微笑は卑怯です!

「そのうち、嫌ってほど自覚させてやるから。今日のところは、掘り下げずにおいてやるよ、アニム」
 
 言い方は随分と上からなのに。雨が降り出す寸前の空を連想させた師匠の声色。
 何も言えなくて、師匠の胸に顔を埋めていました。色々考えてはしまいますが、師匠の体温は心地よいです。はふっと力を抜けていきました。

「うん、そのうちを、楽しみに、待ってる」
「ぬかせ」

 師匠の唇が耳に触れてきました。耳から直接甘い声を注ぎ込まれて、安心どころではなくなってしまいました。きゅっと全身がなった気がしました。
 師匠が小さく笑ったのが、揺れている肩からわかりました。いつの間にか、主導権が師匠に移っているじゃないですか。人には笑うなって釘刺してきたくせに。理不尽ですよ。

「ししょー」
「あぁ」
「……ウィータ、ししょー」

 初めて呼ぶわけでもないのに。師匠の名前を口にすると、どうしてか、頬が熱をあげました。初めて会った時を思い出します。自己紹介された直後に一度だけ、「ウィータさん」なんて呼んだのが嘘みたいな気恥ずかしさです。その際は、私の世界の言葉でしたけど。「さん」だけ。
 大体、カローラさんに見せられた過去の中で、熱にうなされた私は寝言で『ウィータ師匠』って口にしてましたしね。
 ただ、今はきっと。名前と師匠の間に、ほんのちょっと間を入れてしまったから、余計な恥ずかしさを感じたんでしょう。

「ししょー?」

 ぴたりと止まった師匠の声に、体を離すと。きょとんと、目を瞬かせている師匠がいました。なぜに。私の腰で両手は組まれていますが、心なしか師匠も、私から距離をとって見下ろしているような。
 仕方がなく、師匠から手を離して、目の前で手を振ってみます。
 ようやく焦点があった師匠。ぎゅっと、息が止まるくらい抱きしめられました。

「ぐぇ、ですよ」
「お前が、急に名前を呼んだのが悪い。つーか、相変わらず色気がねぇ反応だな」

 とか言いつつ、なおも覆いかぶさるように容赦なく抱き潰してくるお師匠様です。中身が出そう! 脂肪が出て行くなら大歓迎ですが、出ちゃいけない心臓やら内臓が口から飛び出しそうですよ!
 っていうかですね。私に非があることになっていますよね。すみません、ちょっと思考がついていけません。

「確かに、呼びなれて、ない。けど、たまには、いいじゃない」
「呼ばれる自体は悪かねぇよ。でも、オレはアニムの声でしたったらず『ししょー』って呼ばれる方がいい」
「マニアックですか、ししょーは」

 触れちゃいけない部分を覗いてしまった気がします。以前、アラケルさんが言っていたようなご趣味じゃありませんよね? 私としては、別段問題はありませんけれど。師匠は私の声でという前提をつけてくれていますから。
 でも、ここは突っ込みポイントだと本能的に察したので。一応、形式的に、です。

「だから、お前はオレにどんな特殊な趣味があると思ってやがるんだ。ただ、オレは、その――」
「はっきり、言ってくれない。センさんに、ししょーの、今の言葉、教えちゃう、です」

 センさんに、というのがよほど堪えたようです。師匠は可哀想なくらい、頬を強張らせました。私もセンさんの爆笑姿を、進んで見たいとも思っていないので。師匠には、ぜひとも素直になっていただきたいです。ので、引きません。
 緩んだ腕をいいことに、胸を押し返してやります。もちろん、離れる気はありません。師匠をじっと見つめるためです。
 柱時計の音が妙に大きく部屋に響く中、静かに師匠を見上げること、五分以上。
 やっとのことで折れた師匠が、ちっと舌打ちを落としました。いつものことながら、がらが悪いですよ、お師匠様ってば。

「アニムはオレのたった一人の弟子なわけだ」
「うん」
「ってことは、つまり。オレを師匠呼ばわりするのは、お前だけだろ?」

 観念しても、相変わらず遠まわしです。潔いという称賛は、前言撤回です。
 私は師匠にとって初にしてただ一人の弟子です。ですので、至極当然ですが、師匠呼びする人間は、私に限られるでしょうね。自主的に呼ぶような、コアなファンがいれば別ですけれど。

「相変わらず、鈍いな」
「鈍くて、いいです。だから、ちゃんと、教えて」
「ウィータって名前で呼ぶ奴は多いだろ。師匠って呼ぶのはお前だけなわけであって。つまりは、なんていうか、独占欲が満たされる数少ない手段っつーか」

 急ぎ早に紡がれた言葉を理解しようと、必至で頭を回転させます。眉間に皺を寄せているであろう私の髪を、師匠が引っ張ってきました。
 結っていない髪は、師匠に遊ばれています。随分伸びたな、なんて。全く方向へ思考が飛んでいると、髪は師匠の指にくるくるっと巻かれていました。

「えっと。わかったような、違うような。普通は、名前も、呼んで、欲しくない? 私は、ししょーに、アニム、呼んで、もらえるの、嬉しいよ?」
「オレにも色々事情があんだよ」

 するりと。抜かれた指から散っていく髪。まだわずかに湿っている髪は、思った以上に簡単に、師匠の指から離れていきました。
 ぽけっとしたまま見つめた師匠は、何故かとっても不満げです。それは私がするべき、というか私がしたい表情ではないでしょうか。

「たまに、『ウィータししょー』も、駄目?」
「時期がきたら、思う存分呼んでくれていいから。しばらくは我慢しろ。とにかく、オレは師匠がいいんだよ」
「ぶー。いつも、それ。時期って、いつ――」

 師匠は事ある毎に、『時期じゃない』とか『そのうち』とか口にします。一体、なにを待っているのやら、ですよ。
 考えたところで思い当たるはずもないので、従順にしておいてあげましょうかね。
 と、膨らませていた頬から一気に空気が抜けていきました。完全にスルーしていた単語が、今更ながら反芻(はんすう)されます。

「なんだよ」
「今、ししょー、独占欲、言った?!」

 独占欲。
 あぁ、もしかしたら。私が欲しかった言葉のひとつだったかもしれません。師匠は、訪問者の方が指摘する、やきもちという言動自体は否定しません。けれど、代わりとでも言うように、はっきりと気持ちを言葉にはしません。
 独占欲を抱く理由。いくら頭の回転が遅い私でも、わかる言葉の裏側。いつも一緒にいるのに、それでも独占欲を持ってくれているんでしょうか。
 
「あー、忘れたな。さすがに疲れきってんのかな、オレ」

 すいっと目を逸らした師匠の顔を、力任せに掴んでやります。ぐぎぎと、全く女らしくない力を込めて、無理矢理私の方を向かせようと試みますが。当然、師匠に適うはずもなく。
 逆に、手をとられてしまいました。




読んだよ


  





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