引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

15.引き篭り師弟と、告白1


  急に静かになった空間。隣に立つ師匠の存在を強く感じ、今更ながら鼓動が早くなっていきます。ちらりと師匠を横目で盗み見ると、猫みたく可愛いあくびをしていました。私と違って、とってもリラックスモードです。
 ちょっとだけ悔しい、なんて拗ねてはみるものの。いつも通りの眠たそうな瞼を見ていると、傀儡に与えられた恐怖なんてすっかり消えてしまったように思えました。
 フィーネたちってば、師匠と私をふたりっきりにするためにラスターさんについて行ったのでしょうか。まさか、ね。

「さーて! フィーネとフィーニスのため、ベッド、あっためて、おくです!」
「そんな元気いっぱいな調子で、眠れるのか?」

 師匠の呆れ声はスルーして、ベッドに潜り込みます。だって、師匠が入った後にっていうのは、どことなく恥ずかしいじゃないですか。
 ですが、師匠はシーツには潜らず、隣に腰掛けただけでした。まさか寝ずの番でもする気でしょうか。それなら私も起きてお付き合いします。
 よっこいしょと、声付きで体を起こすと、可哀想な人扱いの視線を向けられましたよ。気にせず、枕を背に敷いて、ぼけらと今日の出来事を振り返りましょうかね。もちろん、前半の幸せ気分だけです。
 はっ! 大切なこと、確認するの忘れてました!

「ししょー、フィーネとフィーニス、くれた、花飾り、どこかな?」
「安心しろ。一度ウーヌスが森から家に戻ってきた際に、泡の中に入れてる。明日にでも好きな場所に飾っておけよ」

 よかったです。お昼寝から目覚めた時に、ウーヌスさんがバスケットごと持って帰ってくださったとは聞いていましたが、改めて無事を確認できて安心しました。
 フィーネとフィーニスが、結界内を飛び回って作ってくれた花飾り。私の新しい宝物ですもん。傀儡に壊されていたら、腸が煮えくり返るだけじゃおさまりません!
 というか、泡ってなんでしょう。魔法なのは推測出来ますが。

「泡って。もこもこ、魔法泡?」
「あぁ。フィーニスたちも魔力を注ぎ込んではいたみたいだし、余計な世話かとも思ったが。少しでも長持ちした方がいいかと、長持ちする魔法道具に入れておいた。まぁ、泡っていっても、時間がたてば水に変わって染みこむんだがな」
「そっか。ししょーも、ウーヌスさんも、ありがと、だね」

 私を想って行動してくれたのが嬉しくて、へらっと締まりなく笑ってしまいました。師匠はいつだって、さり気なく優しいんですよね。スマートさに人生経験の差を感じつつも、くすぐったくなって幸せになるんです。
 おずっと、師匠の腕に頭を触れさせます。にやけた顔を不気味がられたくないですからね。と言い訳しつつ、単純に触れたかっただけなのですけど。

「……怒ってないか?」
「へっ? 怒る? だれ、っていうか、私?」

 頭上から降ってきた声。突然すぎる声色の変化も手伝ってか、すっとんきょんな声で問い返してしまいました。よくよく考えてみても、どこに私が怒る要素があったのか、さっぱり検討がつかないです。
 師匠の頬が頭に乗ってきているので、表情は伺えません。けれど、師匠にしては珍しく自信のない細い声色に、胸がざわめいたのだけはわかりました。

「なんつーかさ。ふと思ったんだ。アニムに渡された贈物に、勝手に魔法かけたりして。元々、花や玉自体が魔法成分で形作られているとはいえさ。アニムは生花のまま楽しみたかったんじゃねぇかって、思ってだな。後の祭りだが、オレの常識――不老不死や魔法使いって立場で、当たり前みたいに魔法かけちまったから、アニムとしては、違和感とかあるんじゃねぇかと反省してみたわけで」

 驚きのあまり、言葉が出ませんでした。きっと、今の私は間抜けを通り越して、無表情かもしれません。それは、悪い意味ではなく、本気でびっくりしているという意味で。
 この世界に来てから、師匠にこんな言葉をかけられたこと、あったでしょうか。もしかしたら、会話や行動の端々に秘められてはいたのでしょうか。私が、気がついていなかっただけで。
 あぁ、ひとつだけ思い出しました。直接ではなく、カローラさんに見せられた看病風景です。熱を出した私の手を握り、魔力関係の影響だけを考えていて、体力的な面に思い至らなかったというような後悔を、吐露していた師匠の姿です。
 でも、こんなに具体的に直接告げられたのは、初めてな気がします。

「ししょー? 急に、どーしたの? 熱、あるですか」
「ねぇよ、あほアニム」

 額で体温は測れないので、投げ出されている手をとって頬に当ててみました。日ごろよりは高い気がしますが、お風呂上りの範囲ですよね。
 師匠が呆れ声で離れていったので、隙ありと私も体を起こします。一瞬、師匠の眉間に皺が寄りました。私が怒っていると勘違いしたのでしょうか。口をへの字に曲げて、私から視線を離しません。

「変な、ししょー。私、ししょーの、魔法、不思議思う、あっても、嫌とか違和感、なんて、考えたないよ?」
「どうしてだよ。アニムの世界では具現化された魔法はなかった。世界が違うって、割り切ってるからか? 無理にあわせてる訳じゃ、ないよな?」
「ほんと、今日の、ししょー、変。私、そんな風、見えるのかな。傷ついちゃう、なー」

 当然ですが、本音じゃありません。だって。師匠は、この世界で私がどう過ごしてきたかを一番知っていてくれる人ですもん。
 そんなわけで、場を和ませようと軽い口調でわざとらしく肩を落としたのですが。師匠にとっても強い調子で肩を掴れてしまいました。いてて。真っ直ぐ私を瞳に映している師匠は、切羽詰った空気を纏っています。

「誓って、オレはアニムを歪んだ目で見たことねぇよ! お前が、この世界で一生懸命生きてるのも。お前が生きてきた世界の経験やモノを取り入れながら、この世界を知ろうとしてくれてるのも。十分すぎるくらい伝わってる! ……けど」

 早口で紡がれる言葉に、呆気にとられてしまいました。瞬きさえ忘れてしまいます。でもね、師匠。たぶん、視線を逸らした師匠が思っているのとは対極の感情から、ですよ? その証拠に、頬が緩みきっているのが、自分でもわかります。
 私ね。師匠が私の世界を知りたいと耳を傾けてくれた時期も、最近妬いてくれているやきもちも、やっぱり拗ねながらもちゃんと受け入れてくれるのも、全部ぜーんぶ嬉しいんです。
 何より魔法のない世界で生きてきた私と、この世界で生きている私。丸ごと、抱きしめてくれる師匠が、大好きなんです。

「あくまでオレが思っているだけで、他の奴にはお前が無理してる姿が映っているのかもって」
「ししょー、もしかして、傀儡、繰り主に、変なの言われた?」

 私の問いには答えず。師匠は深い溜め息を吐き出し、手を離しました。私から視線を外したまま、首筋を掻いている姿は、とても気まずそうです。
 人って不思議ですね。今、だれよりも近くにいるのは師匠なのに、それはきっと物理的な距離で。心は近づくほど、お互いが見えなくなるものなのかも知れません。けれど、悲しいなって感じるんじゃなくって、私が抱いている幸せも切なさも、師匠も持っていると思うと、嬉しくて堪らないんです。すれ違いとも取れる言動にすら、柔らかい感情から目の奥が熱くなっていくのは、私がこどもだからでしょうか。

「ありがと、ししょー。私、ししょーが、くれた言葉、全部嬉しい。私を思って、花飾り、魔法かけてくれたのも、ちっとも違和感、なんて、ないの。むしろ、すっごく、嬉しい」
「アニム……」
「今の私、無理してる、よう、映ってる?」

 私が首を傾げるのと同時。師匠が音を立てて顔をあげました。師匠のアイスブルーの瞳が、ちゃんと私を見つめてくれています。
 未だに頬を強張らせている師匠に、へにゃんと笑いかけます。すると、師匠も眉を垂らしながらも、笑みを浮かべてくれました。口の端だけわずかにあがっている力ない微笑みのまま、おずおずと指が伸ばされます。耳裏に滑り込んできた指先に、心持ち擦り寄ってみました。

「ほら、私って、順応能力、すごいから! 魔法でも、不思議動物でも、引き篭り魔法使いでも、なんでもござれ! 大魔法使い、唯一の弟子、伊達ない、でしょ。えっへん!」

 これまた。恥ずかしげもなく、えっへんとか口に出すと。師匠の笑みが深くなっていきました。今だけは、存分に呆れてください。笑ってください。幸せキャンペーン期間なので、許してあげちゃいます。とっても上から目線な自覚はあります。けど、今日ぐらい良いですよね?
 てっきり、得意げに鼻を鳴らした私を、冗談交じりに諌めてくるのかと思いきや。師匠ってば、私の肩口に顔を埋めてきました。曖昧に触れる唇に、ぞわっとなんとも言い難い痺れがお腹に響きます。

「ししょー、嬉しさ爆発、泣いてる?」
「あほアニム。この減らず口め」
「ね? 私、正直、でしょ。言いたいの、いえてる、もん。私もね、不安だった。だけど、ししょー、昼間みたく、不安吹き飛ばしてくれる。たまには、弱って、くれる――じゃなくて、弱いとこ、みせてくれるも、嬉しい」

 めったにない、自分の優勢に口が動き続けます。でも、そろそろ危険かなと思った矢先。ちくっと走った、痛み。
 びくんと体が跳ねました。ちょっと前のとは違って、どこか心地よい跳ねですけれど。

「――っ!」
「うっせぇ。あんまり調子に乗ってると、喰っちまうぞ」
「かっかっ、噛み付いて、から、警告、しないで!」

 しかも、歯を立てた痕に口づけしないでください! 髪をわしゃわしゃ乱してやります! 修羅場を乗り越えたアニムは強いのです。押される一方じゃあ、ありませんよ。
 と、たぶんドヤ顔になっていただろう私ですが。わしゃわしゃ攻撃からあっさり抜け出した師匠に額を押され、ベッドに沈んでしまいました。しかも師匠つきで。
 私を抱きしめつつ、胸に顔を埋められている状況です。いやいや、誤解を招く表現でした。耳を当てられてるって方が、正確ですね。
 弾んでいく心臓に、訂正を入れます。が、心音は静まりません。

「すげぇ、音。耳どころか、全身から振動が伝わって、オレのと混ざってくみたいだ」
「もう、それ、昼間も、聞いた、ですよ。ししょー、へこんだり、甘えたり、めまぐるしかったり、私、みたい」

 とりあえず、窒息寸前までは師匠にされるがままで、いましょう。とはいえ、たいして重くないのはなぜでしょうか。
 ついさっき、私がぐしゃぐしゃにしてしまった師匠の髪を、ゆっくりと撫でます。まだ湿り気を帯びた髪は、すんなりと整ってくれました。それでも、くせのある部分はぴこっと跳ねます。それがまた、愛しいなんて。私、重症すぎますよね。

「自分で言うな。ってか、別に甘えてるわけじゃ、ねーよ」

 一通り、髪が綺麗になった頃。師匠が、むくりと起き上がりました。私にも手を差し出して、引っ張り起こしてくれます。
 すとんと。ベッドの上に落ち着いた私と師匠。二人で寝てもあまるくらい大きなベッドが、まるで小島のように感じられました。実際、そこまではないですけれど、薄暗く、薪の音と私たちの声だけが響いている空間の影響かもしれません。

「アニムが、ちゃんと生きてるんだなって、実感してたんだよ。時々さ、恐ろしくなるんだ。確認しないと」
「私、そんな、死にそうな顔、してるですか。いつも」

 ここ数日は熱で寝込んでましたから、わかります。けど、常日頃はどちらかと言わなくても元気で血色もよい人間です。師匠の方が繊細で可憐に見えます。ものすっごく悔しいけど。
 師匠の『時々』という単語が、どうにも頭の片隅にひっかかってしまいました。

「お前、顔色も良いし、ありあまる体力もあるだろうが。そうじゃなくって、ほんとに傍にいるん――っていうか、無事でよかったなってさ。今回ばかりは、本気で焦ったぜ」

 一瞬、げっと口元を引きつらせた師匠。誤魔化し気味に心配されましたが、つい口が滑ってしまったという色が隠せてません。全く。
 早々に寝付くべきだったでしょうか。冴えまくっている思考が恨めしい。
 師匠は私を――『アニムさん』を百年間、ずっと探していた。百年というのは想像し難い時間の流れですが、とても長いのは、私にも理解出来ます。だから、今、傍にいるのが信じられなくて、不安になる。だから、だから。抱きしめたり、口づけしたりして、存在を確かめたい。そういう、こと?

「ししょーが、私、触れるのは……ただ、傍にいる、確認したいから? 私、傍にいる、どーして、確かめたい? 私、一緒いるは、不思議?」

 決して、嫌味のつもりはありません。
 醜い感情がわいたのは否定しません。けれど、師匠が感じている存在は、だれでもなく『私』なんですもん。自分の都合のいいように解釈してやるって決めたんです。
 師匠の太ももに手をついて、顔を覗き込むと。師匠はぐっと喉を詰まらせました。私の言葉の裏を探るように、瞳の奥を睨んだまま。

「そら、不思議だろ。異なる世界の人間に出会う機会は、少ないとはいえ皆無じゃねぇ。けど、アニムみたいに魔法自体が存在しない世界から、肉体を持って次元を越えてくるってのは、相当希少なんだぜ?」
「ほー、いわゆる、運命、ってやつ、ですか。ししょー、ロマンチック、ですよ」

 まっ! 白々しい!
 上手くかわしましたねと、小指を立てて悪人面で微笑んでやります。心の中で。
 現実の私ときたら、余裕もどこへ吹き飛んでいったのか。ぶすりと饅頭顔負けのふくれっつらを作っています。
 9割方は、高鳴った胸の照れ隠しです。『アニムさん』はさておき。改めて師匠と出会えた奇跡に、感謝しちゃったんですもん。術に巻き込んでくれてありがとう。そう口にすれば、絶対に師匠は戸惑うから。複雑な想いを抱くだろうから。この気持ちは、私の心にだけ、そっと仕舞っておきますけれど。
 私の心の内など知らない師匠は、いつも通り、両頬を挟んで空気を抜いてきました。

「なんだよ、その疑ってる目つきは。大体、運命なんて単語引っ張ってくるお前の方が、よっぽど夢見てんじゃねぇかよ」
「私、夢見る、ないよ。引き篭り、浮世離れししょーの、弟子は、しっかり者!」
「ほぅ。嘘をつくのはこの尖った口か。一回、魔法で心の中、丸ごと覗いてやろうか」

 にんまり。まさにそんな効果音が似合うご様子で、師匠は距離をつめてきます。師匠の悪人丸出しの台詞はともかく、心臓に悪い顔つきで近づいてくるのに、全身の熱があがっていくのを押さえられません。ぎゅっと強く瞼を閉じて、師匠を視界から消してやります。
 後悔先立たず。私が瞼を閉じたのをいいことに、唇を寄せてきた師匠。師匠って、目元に口づけするの好きですよね! このキス魔!!

「覗いても、驚くは、ししょーだよ! 私、真っ直ぐ、単純明快。私、だって、ししょーの心、覗き返して、やるんだから」

 本当に心を覗かれて、私の師匠への想いが筒抜けになったら、穴に入るどころか、世界の裏側に突き抜けていきそうです。師匠なら余裕綽々に「しかたねぇーな」なんて愉快そうに微笑んじゃうかもですけどね。
 あえて、えろししょーとは発言しないでおいてあげましょう。この状況でそんな暴言吐いて痛い目みるのは、私でしょうから……。学習能力を発揮です。

「はいはい。失礼しました、お弟子様。つーか、単純明快って、自画自賛になってねぇっつーの」

 ふーと、相変わらず大げさな仕草で頭を振った師匠は、すくりと立ち上がり水差しに手を伸ばしました。綺麗なラインの背中を睨むと、わずかに振り向いた師匠と目が合いましたよ。さらに目じりをあげてやっても、にやりと意地の悪く笑いかけられたじゃありませんか。
 あんな風に笑いながら水を飲んで、よく水が口から零れないですよね。腹を立てながらも感心してしまいます。と、思った先から、つっと唇を伝った雫。やけに色っぽく感じてしまいました。
 怒っている振りをしながら、元の位置に戻りましょう。すごすごと尻尾巻いて逃げる負け犬の様相でしょうけどね。
 ぼすんと。枕を立てかけ直した音に紛れてきたのは、溜め息。

「オレの心の奥を覗いたら、アニムは離れちまうかもな」

 確かに、私が離れると聞こえました。掠れてはいましたが、やけ耳に残った声は自嘲の色が濃かったのです。不安になるというよりは、ぎゅっと抱きしめたくなる。そんな感情が込められている気がしました。
 師匠は、小さなちいさな呟きが、私に聞こえているとは思っていないようです。溜め息ごと押し込めるように、ぐっと水を煽りました。

「ししょー、体、冷える。早く、隣、もぐって。人肌――なくて、体温ないは、寒いの」
「だーかーらー! どーして、お前は、際どい言い方、するんだよ!」
「理不尽、ですよ。ぐぇ」

 折角頭を抱きしめて慰めてあげようと思ったのに。ベッドに物凄い勢いで膝をついた師匠に、羽交い絞めにされてしまいました。耳まで真っ赤になった癖に、どこまでも強気な師匠です。ついさっきまでは、不安な気持ちを吐露していた人とは思えない、所業ですね。
 体重をかけてやると、師匠ごと倒れてました。ちょうど、さっき立てかけた枕に倒れこんだので、衝撃はありませんでした。

「私、衝撃受けて、頭回転したです。ししょー、なんでも、言ってくれる、いったよね?」
「あー、まぁ、言ったかな」

 途端。私を締めていた腕が、すとんと腹部辺りに落ち。声をあげて、笑ってしまいました。夜はまだ長いですよ? ししょー。
 なぜでしょう。挑戦的に心の内で呟いたはずの呼び名は、拙い声と同じく、片言になっていました。





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