引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

13.引き篭り師弟と、謎の傀儡(かいらい)10


「はぁっ、はぁ、はっ」

 ひたすら逃げ続けて、どれくらいたったでしょうか。怖いほど静かな森には、私やフィーニスたちが鳴らす音しかありません。
 鳥の鳴き声すら聞こえないのは、走っているせい?
 樹の根にひっかけて豪快に転んだ際、軽く捻ったのでしょう。右の足首が、熱を帯びています。
 けれど、状況的にも心理的にも、立ち止まる余裕は皆無です。

「あにみゅ、ふぃーにすたち離すのじゃ! 足止めくらいは、できるのぞ!」
「しっ! 舌っ、かむ、よっ!」

 先ほどから、フィーニスとフィーネは自分たちを離すようにと、繰り返し言ってきます。もちろん、頷けない話です。強く抱いて、決して力を弱めません。二人はまだ、攻撃魔法を上手く制御出来ないんです。練習中に、師匠が言ってました。暴走した魔法は術者に返ってくるって。
 アラケルさんとの魔法戦の際は、師匠の圧倒的な力からか、戦闘に対する恐怖は感じませんでした。いわゆる試合みたいな感覚でした。傀儡が襲い掛かってきた時も、今思えば魔法戦で実感がわかず、どこか危機感が足りなかったのかもしれません。
 けれど、たった今。血の臭いと残忍な様子を目の当たりにし、命の危機を感じずにはいられません。
 
「わっ!」
「あにむちゃ!」

 急に現れた崖を、滑り落ちてしまったようです。幸い、浅い崖だったので、足に切り傷程度で済みました。暗くて傷が見えないのも、助かります。白いブーツに色がついているのはなんとなくわかりましたが、そんなの無視です。
 フィーネとフィーニスを抱く腕だけは、絶対に解かないようにはしないと。二人にあんな危ない人の相手をさせて、自分だけ逃げるのは嫌ですから!

「へいき。えっと、あっち、いけば、いいかな。たっ」

 尻餅をついていた体をあげようと、膝に力を入れましたが。ずきんと、捻挫以上の痛みが襲ってきました。ぎゃっ! ずりむけてる! しかも、落ちた瓶が割れて、破片が散らかっていました。落としどころが悪かったのでしょうか。それとも、瘴気(しょうき)に当てられてしまったのか。
 大きく頭を振って、立ち上がります。フィーネとフィーニスが腕の中から、涙目で見上げてきていました。おそらく、枝で切った顔の傷を見ちゃったからでしょう。
 にかっと笑っても、二人の表情は曇ったままです。

「だいじょうぶ。ししょー、すぐ、来てくれるよ。ウーヌスさんたちだって、もう、きっと、傀儡なんて、やっつけてる。だから、もうちょっとだけ、頑張って、逃げるね」
「ふぃーにすたちが、ちっちゃいから、頼りにならないのぞ?」
「全然。むしろ、怖いから、一緒いて、欲しいの」

 ふーと、肺から全部息を吐き出す勢いで深呼吸をしましょう。
 当然のことながら、未だに納得いっていない様子のフィーニスに、もう一度微笑みかけ。きゅっと気を引き締めます。
 と、すぐ近くから「おにごっこはーたのしいなー」と奇妙な音程の鼻歌が聞こえてきました。あの気持ち悪い臭いも、伴って。

「いこっ!」

 自分に大丈夫だと言い聞かせます。胸元にある、師匠にもらったネックレスに勇気を貰って、足を踏み出します。
 怪我をした足では、あまり早くは逃げられません。どこか逃げ込める洞窟(どうくつ)――は駄目か。袋のねずみですよね。樹を登るのも、この足では無理です。

「ねぇ、フィーニスとフィーネ、ししょーのとこまで、飛んで、助け、呼んできてくれるは、どう? ちょっとでも、ししょー近づけば、きっと安全」

 走りながらも周囲を伺っていた私の提案に、二人が暴れ始めてしまいました。
 だって、あの変な人の狙いはあくまでも私のようです。小さな体の二人なら、上手いこと隠れながら、師匠の元にたどり着ける可能性は高いでしょう。万が一、師匠が苦戦しているとしても、師匠とラスターさんが揃っていれば、現状よりは何万倍もましなのは間違いないです。
 せめて二人は先に逃がしたいのと、師匠の様子が気になっているのがあっての問いかけだったのですが。

「いやにゃのー! あにむちゃ置いて、ふぃーねたちだけが、あるじちゃまのとこ行くは、だめでちょー!」
「うにゅにゅ。したら、ふぃーねは、あるじ探しにいくのじゃ! あにみゅは、ふぃーにすが守るのぞ」
「やーん! ばらばらは、余計に危険なのでしゅよー! しょれに、ふぃーねだけ逃げるは、めー! なら、いっちょ、いるのー!」

 フィーネが前足を腕から抜いて、ぶんぶん振り回します。
 踏ん張ると、逆にがくんと力が抜けて座り込んでしまいました。なんかよく見たら、左の足もざっくりいってました。傷口を見た瞬間、全身から力が抜けてしまいました。
 なんか、呼吸も苦しいです。えーい、軟弱者め!

「あにみゅ!」
「ごめ……ん。ちょっと、息、苦しくて」

 ついに腕まで解けてしまいました。可笑しいです。確かに傷は痛みますが、へたりこむ程ではありません。人一倍血に弱いわけでもなく、むしろ平気な方なのに。傷口が焼けるようです。天を仰いで冷たい空気を吸い込もうと試みますが、意思とは真逆の方へ顔は垂れていってしまいました。
 フィーネとフィーニスが、私の膝に手をついて見上げているのが、ぼんやりと見えてはいます。けれど、激しくなっていく動悸と歪んでいく視界が、それを許してはくれません。

「ふぃーにす、あにむちゃ変でしゅよ!」
「あにみゅ、ちょっと我慢するのぞ!」

 フィーニスの声を認識するのと、膝の傷口を舐められたのと。ほぼ同時でした。
 湿ったざらついた感触に、つい「いっ!」と声があがってしまいました。慌てて口を押さえようと腕に力を入れます。が、もはやソレさえも叶いません。
 フィーニスの目が、かっと見開いたのが、なんとなくわかりました。

「毒なのぞ!」
「しょんな馬鹿な、なのでしゅ! 南の森、毒もってる怖いこわいな植物、ないでちょ?!」
「ふぃーにすだって、知ってるのじゃ。けど、間違いないのぞ!」

 毒、ですって? そんなの、舐めちゃったフィーニスが危ないじゃないですか。子猫サイズなフィーニスと人間の私では、毒がまわる早さも違うでしょうに。
 自分のこと以外になると、頭の回転は通常運転になるようですね。
 落ちてくる瞼を必死に押し上げて、フィーニスの頬を撫でます。

「私より、フィーニス、舐めたの、危険」
「ふぃーにすは式神ぞ! 毒や魔法には強いの、あにみゅだって知ってるのぞ? 相当、毒が回ってるのじゃ」

 あぁ。そうでした。でも、つい浮かんでくる心配に、事実は関係ないんだと思います。
 へらっと笑うと、フィーニスは怒って目を赤くしました。フィーニスの隣で泣きそうだったフィーネが、前足をぶんぶんと振っているのが見え、首を傾げると。身体に強い衝撃を受けました。あれ、視界が変わってる。

「あにむちゃ! ふぃーね、解毒魔法使うの! うー! みゃぁー!!」

 フィーネが涙声をあげると、真っ白な光が視界の片隅に入り込んできました。
 すると、不思議なくらいすーと身体が涼しくなっていきました。ひりひりしていた脛(すね)と痺れが、なくなったようです。とは言っても、相変わらず痛みはあるのですが。
 ゆっくりと起き上がります。飛び上がったフィーネが、頬の土を払ってくれました。

「完全には無理だけど。ちょっと毒は抜いたのでしゅ! でも、ふぃーねはお怪我への治癒魔法は使えないのでしゅ。早く、あるじちゃまに、根っこから治してもらわないと、あにむちゃの身体だと、どうなるのか予想がちゅかないにょ!」
「なのぞ!」
「ありがと。だいぶ、楽、なったよ。一刻も、早く、ここ離れよう」

 と、漂ってきた臭いに、吐き気がわき上がって来ます。胃から上がってくる気持ち悪さ。
 フィーネとフィーニスが、私を庇って前に出ます。何とかしなければと思うのに、だるくて重い体は、全く意思を反映しません。

「まさか、お前があにみゅに毒つけたのぞ?!」
「せーかい。さっき、こーんなに薫香に、むせたよねー? 臭いと俺が持っていたモノに気をとられて、足に毒針が掠ったのに気がつかないでいたんだねー大魔法使いウィータの、一番弟子くせに、まるっきり普通の人間みたいに、脆弱なんだーなぁ。ウィータってやつも大したことなさそうだなー」
 
 師匠の名前を耳にした途端、かっと全身が燃えてきました。
 弟子の火事場のくそ力です! 自分はともかく、師匠をばかにされるのは我慢なりません。立ち上がれ、私! 真っ白に燃え尽きるまで!
 うん、大丈夫。さっきフィーネがかけてくれた解毒魔法のおかげで、本当にだいぶ楽になっています。少しばかり立ちくらみは起きましたが、問題なく仁王立ちになれています。
 
「へらず口、きいていられる、今のうち、なんだから! ししょー、かかったら、あなたなんて、ぎったんぎったん! ぺっちゃんこ!」
「べー、にゃ!」

 ここから逃げられない現状、師匠が来てくれる可能性にかけて時間稼ぎをするのが、私が今出来る唯一のことです。悔しいけど。ぶんぶん腕を振って抵抗の意思を示してやります!
 フィーネとフィーニスは横で舌を伸ばしています。目の横を引っ張った姿は、迫力よりも可愛さが勝っています。
 ただ、目の前にいる人か傀儡(かいらい)か謎な人物は、全く興味を持っていないようです。手に持った刃物だけを眺めています。

「つぎはーね、なに、しよっかなぁー鬼ごっこはねー、飽きちゃったしぃー」

 一見すると、無邪気な子どもが楽しげに零す鼻歌のようです。けれど、彼――狂人と呼ぶにふさわしい空気を纏った傀儡もどきは、ぐるぐると目玉をせわしなく動かしているんです。奇妙すぎて、ぶるりと芯から震えがきました。
 だらしなく口が開いて数秒。傀儡もどきは、ぴたりと止まりました。やばいかも!

「気持ちよくなるの、きれてきた! 頭、痛い! もういい! お前、とっととやる!」

 ついさっきまでは、上機嫌だったのに。浮かび上がった血管がぶち切れんばかりに叫びだしました!
 危険だと思ったところまでは良かったんです。けれど、形相を変えた傀儡もどきが、自分の頭を樹に打ちつけ始め、驚きのあまり立ち尽くしてしまいます。

「そーはさせないのぞ! ふぃーね!」
「んな! 変な人、嫌なにょ!」
「あっ! ふたりとも、まって!」

 伸ばした手をすり抜けて、フィーネとフィーニスが前に飛び出していきました。二人を引きとめようと後を追います。けれど、かっと広がった閃光が眩しくて、顔を覆ってしまいました。
 必死に目を擦ります。
 ぼんやりと映ってきたのは、フィーネとフィーニスが共にひとつの魔法陣を作り出している姿でした。
 傀儡もどきはちっとも眩しくないようです。落ち着いた光の向こうに見えたのは、にたりと笑いながら首を傾げている傀儡もどきの姿でした。

「フィーネ、フィーニス! ししょーいない、攻撃魔法使うは、二人が、危ない!」

 返事がない小さな背中に手を伸ばします。ばちんと大きな音が鳴り響き、体全体に痺れが走りました。傷口の部分が特に痛みますが、とにかく二人を止めないとです。
 もう一度と土を踏みしめます。

「おまえら、肥えてて、美味そうだなー」
「しちゅれーでしゅの!」

 しゅっと。フィーネが尻尾を振り下ろした瞬間。紅蓮(ぐれん)の色をした魔法陣から、怒涛の勢いで炎が放たれました!
 後ろ側にいる私でさえ、かなりの熱さです。風に煽られた炎が、周囲に火の粉を撒き散らします。樹の密集地帯じゃなくって、助かりました。

「すごい」

 もろに炎をぶつけられた傀儡もどきは、ひとたまりもないでしょう。
 それでも、フィーネとフィーニスが気を緩めた様子はありません。さらに魔法陣に近づき、前足をかざしました。

「もっとぞ!」
「フィーニス、おひげ、焦げてる!」
「気にするないのじゃ!」

 確かに、おひげの先がちりっとなるくらいなら、問題はないのかもしれません。でも、実際は煙があがり、火種がともっているように見えるんですもん! フィーニスもフィーネも、いつ柔らかい毛が燃えだしてもおかしくない状況です。慌てもしますよ!
 って、思ってる傍から尻尾の先も!

「えいっ! あつっ!」
「うみゃ?!」

 ぎゅっと握って火を消したのは、無謀だったでしょうか。とは言え、水もないですし。掌がちょっと水ぶくれするくらいは我慢です。
 二人は火に気配に、全く気がついていなかったようです。握られた驚きはすぐにひき、ぶんぶんと勢いよく顔や尻尾を振り始めました。
 すぐに、はっとして、私の掌を一生懸命舐めてもくれました。

「ありがと、大丈夫だよ。今のうち、離れよう!」
「んな! あいちゅ、丸焦げに違いないでしゅ!」
「水晶も森、あっちぞ!」

 ちょっとグロい場面が浮かんでしまい、思い切り頭を振りました。いやいや、動揺している場合じゃないです。いつ自分がそうなるのかも知れないんですから!
 再度、掌を舐め始めてくれた二人を抱きかかえ、踵を返します。思いっきり走りたいのですが、気力だけでは足は思い通りには動いてくれないようです。でもでも。足を引きずりながらでも、可能な限り距離をとらないと。

「なんだこれ、美味いな! もっと!」
「――っ!」

 炎の轟音をかき消すほど大きな声。高揚した声の持ち主を確認する前に。襲い掛かってきた衝撃で、息が止まりました。一瞬、自分の身に何が起こったのか、考えることも出来ませんでした。視界が真っ暗です。

「あぅ」

 はっと。息を吐き出した一呼吸後。骨が軋んで、悶絶してしまいました。

「あにみゅ! しっかりするのじゃ! ふぃーにす、わかるのぞ?!」
「息してましゅ? いたいいたい、でしゅよね! やーん、変な人のばかばかー!」

 瞼を開けると、泣いているフィーニスとフィーネがいました。よかったです。二人に目立った変化はありません。
 私、もしかして倒れてるんでしょうかね。起き上がろうと試みますが、下にある冷たい根っこで頬を擦っただけでした。呼吸をすると、肋骨が痛んで仕方がありません。
 あぁ、そうか。突風が吹いてきて、樹に打ち付けられたんですね。今度は、めまいがしてきました。目を開けていても、閉じていても。気持ち悪い。

「おまえらも、美味そう。だけど、魔法はもっと好物!! 予定変更だな。もっと炎出せ。おまえらは、切り刻んでおもちゃにするぞ」
「そんな風、言われて、従うやつは、いないのじゃ!」
 
 頬を撫でてくれていたフィーニスの気配が、離れていくのを感じました。フィーネは額に体を擦り付け続けています。元気付けてくれているようです。
 目を閉じると血と焦げた臭いを一層強く感じてしまい、生理的な涙が零れていきます。熱を帯びている頬で、ただちに蒸発しそうですね。
 うん。死にそうに痛いけど、まだ意識はしっかりしています。恐怖心が麻痺してくれているのかもですね。

「おんし、魔法食べるなんて、普通の人間じゃないのぞ!」
「正解だよー俺は元々、火口に住み、炎を主食にする魔物だからねー火加減は全然気持ちよくなかったけどねー味は上質だったぞー! くさっても大魔法使いウィータの式神だな!」
「うそでしゅよ! その一族に人型はいないでしゅ。あるじちゃまが教えてくれたの、ふぃーね、ちゃんと覚えてましゅの」

 根っこからずり落ちたおかげで、地面から傀儡もどきの足音が聞き取れました。うっすら瞼を開けると、傀儡もどきの足自体も認識出来ました。なんとか目を転がして、上を見ます。
 何が可笑しかったのか。二人の言葉を受けた傀儡もどきは、高らかに笑い声をあげました。空気が揺れて、全身が軋むのでやめて頂きたい。

「別にいいけどねー信じなくても。でも、ある人がねー身体の構造を変えてくれたおかげでさー炎より美味いモノや楽しいこと知れたんだーご褒美で、魔法の薬もくれるしー」
「だれなのじゃ! そいつが傀儡たちを操ってるのぞ?」
「まーねーでも、どうでもいいじゃん。炎、早くだせよ」

 上機嫌だった口調が、荒々しいものに変わりました。いけない。
 ずきんと響いた痛みを堪え、上半身を起こすと。フィーニスが傀儡もどきに握られていました! 缶を握りつぶすように、フィーニスのお腹を圧迫しています!
 声も出せないくらい苦しんでいるフィーニスを目の前に。反射的に、膝元で転がっていた灯りの瓶を、傀儡もどきに投げつけていました。力の限り。

「がっー!!」
「ぶにゃ!」
「フィーニス、こっちでしゅ!」

 幸い、瓶は傀儡もどきの眼前で栓が外れてくれました。もろに、魔法水と花びらを浴びた傀儡もどき。何故か苦しそうに悶え始めました。綺麗な魔法は毒なのでしょうか。
 いやいや。どうでもいいです。とにかく、逃げるチャンスを逃すまい!
 フィーネが、咳き込んでいるフィーニスの手を引っ張ってきます。ばさりと、フィーネの羽が音を立てた矢先。傀儡もどきが足元の枝に手を伸ばしました!



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