12.引き篭り師弟と、南の森の花畑1
玄関先でセンさんを見送って、さぁ今度こそお掃除をしなければと気合を入れます。が、ほうきを数回振ったところで、ぐったりしていた師匠がマントを羽織りだしました。
今日、お出掛けするとは聞いていませんでした。お茶の時間に、センさんに何か頼まれたのでしょうかね。それにしても、訪問者の方が帰られた日や師匠が疲れた様子の時は、家に引き篭っていることの方が多いのに。
「ししょー、どっか行くです?」
「あぁ。センから、魔法道具を作ってくれって頼まれたんだよ。道具の中身に使う花が、南の森にあるから摘みに行く。昨日はつい、飲みすぎちまったからな。言うのが遅れて悪かった」
昨晩、いつものように夕飯を兼ねたお酒会が開催されたのですが。私は病み上がりと言うこともあって、夜中前には部屋へ戻ってしまったんです。
ですが、師匠とセンさんは明け方まで飲んでいたっぽいんです。男同士の話ということで、二人に追い出されたという方が正解かもしれませんね。師匠は「そんなんじゃねぇ」とグラス片手にセンさんへガンを飛ばしていましたけれど。
「南の森、ですか。フィーネとフィーニス、お気に入り散歩道」
南の森は、外界の植物に近いモノがたくさんある場所らしいです。とはいえ、結界外よりは、空気も土も比較にならないくらい澄んでいるのだと聞いています。どちらかというと、外界の成分に近くなるよう、浄化が調整されているらしいです。
私は足を運べない領域ですが、とても綺麗な花や動物が溢れているんですって。フィーネやフィーニスが、お散歩の報告で教えてくれます。
いいなぁ。元の世界の、春という季節に酷似しているらしいですし。さぞかし美しい光景が広がっていることでしょう。
春らしさを想像して、小さく息が漏れてしまいました。元の世界で春といえば、桜のお花見をする季節です。
「お前も突っ立ってないで、用意しろよ」
「私、も?」
あまりにも予想外だった師匠の呼びかけに、首を傾げてしまいます。しかも、かなりの角度で。
お見送りの準備でしょうか。とはいえ、火打ち石を打つわけでもないので、お見送りに準備も何もあったものではありません。
そう疑問を抱く一方で、期待に胸が躍りました。
疑問と期待が入り混じった表情は、相当、複雑怪奇だったようです。師匠は、戸惑ったように頭を?きました。
「いや、もし体調がすぐれねぇようなら、ウーヌスだけ連れて行くから、無理にとはいわねぇが」
師匠の視線が、私を通り過ぎます。それを追うと、いつの間にかウーヌスさんが畏まって控えていました。相変わらず音も無く現れるウーヌスさんに、びくっと肩が跳ね上がりました。
ウーヌスさんは、失礼な私の態度を別段気にする様子もないです。大き目のバスケットと、チョコレート色の薄手のストールを掲げて見せてくれます。
ウーヌスさん、中性的な容姿を引き立てるようなパンツスタイルがバシッと決まってます。若草色の髪と瞳が、相変わらずかっこいいです。
じゃなくって!
「体は、全然大丈夫! ししょー、問題、そこなくて! 私、南の森、行って、平気?!」
うわずった声が、玄関に響き渡りました。師匠のマントに、爪を立てて掴みかかってしまいます。
用意されたストールを見て、一気に現実味が沸いてきたんです。これが冗談だったら、号泣しますよ。それこそ、駄々をこねる赤ん坊みたいに暴れますよ?
「オレ、言わなかったか? 急に、存在固定が進んだって。それに、センと話してる時も、外に出られるようになっても許可出せねぇぞって、言ったろ」
「言った! けど、私、その程度、わからないし、もっと先の話、思ってた!」
「あー、そうだよな。まだ外界は無理だが、南の森程度になら行っても問題はねぇよ。ただし、長時間は心身ともに負担がかかるから、駄目だけどな」
師匠の言葉に、世界がぱあっと明るくなりました。それこそ、お花畑にいるような気分です。嬉しい。すごく、嬉しいです!
結界内とはいえ、少し世界が広がったような気がします。これで、ちょっとは師匠に近づけたのかなと、前向きになりました。師匠が生きてきた世界を、もっともっと知りたい。
満面の笑みで、師匠に飛びつきます。
「行く! 行きたい! むしろ、連れて行って!」
「うぉ! わかった、わかったから。アニム、ちょい落ち着けって」
勢いあまって、師匠がドアに頭をぶつけてしまいました。それに関して文句は言われなかったので、さらっとだけ謝ります。ついでに、後頭部を撫でておきます。幸い、たんこぶは出来ていないようです。
でも、喜びは止まりません。師匠の両手をとって、くるくると回ってしまいます。スカートの裾が盛大に踊るのも、気にかかりません。
投げ出してしまったほうきは、ウーヌスさんが見事キャッチしてくださってます。よかった。
「アニム、目がまわる……たく、そんなにはしゃぐこたねぇだろうが」
「だって、だって! ちょっとでも、世界広がる、嬉しい! 水晶もきれいけど、生の植物、大好き!」
「とはいえ、まだ病み上がりなんだからな? 少しでも熱があがる気配があれば、即帰宅するから、注意しとけよ?」
注意しろと言いながら、師匠は優しい笑顔を浮かべてます。返事の代わりに脇元でガッツポーズをとると、苦笑に変わりましたけど。
師匠の気が変わったら大変です。ウーヌスさんが渡してくれたストールを体に巻きつけて、一番のりで外に出ました。
氷で出来ているような水晶の森は、今日もひんやりとしています。この澄んだ空気も好きですが、やはり、自然に近い植物に触れられるのは嬉しいです。
「ししょー、早く!」
「へいへい、お弟子様の仰せのままに。ウーヌス、悪いが先に行ってくれるか?」
「かしこまりました、ウィータ様」
短く返事をしたウーヌスさんは、あっという間に姿を消しました。瞬間移動というやつでしょうか。便利そうですよね。ただ、私が使えても、ただでさえ運動不足なのに、足腰が弱くなるだけだと容易に想像出来ますが。特に、お腹周りとか、悩みの種が増えちゃいそうです。
そんなことを考えながら、にやける頬を押さえます。しばらくは、おさまってはくれなさそうです。
玄関から階段を下りた場所に、師匠が魔法陣を描いていきます。前々から思ってたんですけど、魔法で生成される杖、重くないんでしょうか。師匠の体格からしても、相当長くて大きいですけど。
「今日、移動、鳥さん、呼ばないの?」
師匠が他の森に移動する手段としては、ツーパターンあります。転移魔法で瞬時に移動するか、大きな鳥やペガサスみたいに飛行出来る生き物に助けてもらう方法です。
大きな鳥さんは、私もお友達です。鳥さん、人間語は話さないのですが、フィーネたちが通訳になってくれるんです。
それはさておき。どっちで行くかは、急ぎ加減にもよると聞いているので、今日は時間を節約する必要があるのでしょうかね。
「普通の人間なら、転移魔法ってのは体に負担がかかる。式神やオレみたいに、魔力が強いやつ以外にはな。けど、お前の場合は、長時間、結界外に近い上空を飛んでいく方が、体にも魂にも悪いからな」
「私、ししょーの魔力、持ってるから、転移魔法、平気?」
「ん、まぁ、それに近いな。ちょい、待ってろ。ウーヌスから報告が来た」
若干、師匠の言葉が濁ったような。結構、説明するのが面倒くさい仕組みなのかも知れませんね。私としても、今聞いたところで、ちゃんと飲み込めなさそうです。深くは追求しないでおきましょう。うきうきが勝っていますから!
静かに瞼を閉じている師匠の横顔を見つめて、時間を潰しましょうかね。魔法陣の光が蛍のように、師匠の周囲を浮いています。とてもよく似合っています。レモンシフォンの髪にも、アイスブルーの瞳にも。
そう言えば。訪問者の方々もですが、この世界の方は髪や瞳の色が綺麗です。鮮やかと言うか、色のバリエーションが多いというか。それも魔法が関係しているのかなと思ったり。
「きらきら、まぶしいな」
自分の髪を掬い上げてみます。元の世界にいた頃よりは、幾分か紫がかっている気もしますが、髪も瞳も黒いです。
いいなぁ。小さく溜め息が落ちてしまいます。
珍しい、とは言われますが、綺麗とほめてもらったことはない気がします。アラケルさんが神秘的とは言っていた記憶がありますが、それも物珍しさからの言葉だとわかります。それに、ラスターさんのお土産話を手紙で読んでいると、東方では多いみたいですし。
変なところで、元の世界との共通点が多い異世界です。
「おし。花畑の魔力成分も、大丈夫そうだな。朝から特に変化はなさそうだ」
「やったー! ぬか喜び、なくて、一安心」
好きな人の容姿を羨んでどうする。小さく頭を振って、両腕をあげます。
師匠ってば、下調べもしてくれてたんですね。いい男過ぎる師匠に、ちょっと嫉妬です。私も、出来る女になりたいです。
師匠が魔法杖の先を魔法陣に打ちつけたので、準備は整ったようです。私も魔法陣が描く円の中に、ひょいっと飛び込みます。
「アニム、もっとこっち寄れ」
「よいしょっと」
「だから、オレにくっつけって」
今でも十分近いんですけどね。一歩踏み出せば爪先同士がこんにちは、とぶつかる距離に立ってます。
これ以上ということは、つまり、抱きつけって意味じゃないですか。人がいないとはいえ、外では躊躇われます。
「今更、なに照れてやがる」
「勢い、話の流れ、触れると、くっつけ言われてくっつく、乙女的、違うです」
師匠は時間の無駄だと言わんばかりに、しかめ面です。魔法杖片手に、マントを広げられてるので、そこに貼り付けという意思表示でしょうね。
っていうか、今更とか表現されると、私がいつも師匠に抱きついているみたいじゃないですか。……ここ最近は、否定出来ませんけど。ひっついてる自覚は、ありますけれど。
師匠は全く恥ずかしがっている様子がないので、余計に二歩足を踏んでしまうんです。だって、私だけ意識しているみたいで悔しいです。
「あほ弟子。別にとって食おうってわけじゃねぇんだからよ」
「男は狼、センさん言ってた。あっ、ししょー、は、お犬さま。じゃなくて、にゃんこ」
「……置いてくぞ、こら」
師匠の眠そうな瞼が一段と降ろされたので、慌てて飛びつきます。
本気で嫌がっていたわけではなく、師匠との会話を楽しみたかっただけなんですけど。へそを曲げられては、元も子もありません。
正面から抱きつきますが、師匠はマントを張っているので、いつもよりは体温は伝わってきません。ほっとしたのか、残念だったのか。って、さっきまで散々くっついてましたよね、私。
「しっかり掴まってろよ」
大きく頷いたものの、マントの胸元を軽くだけ掴みます。しっかりっていうと、首に掴まるか、マントに潜るしかないんですもん。
魔法陣の光が強くなってきたので、ぎゅっと瞼を閉じます。浮遊魔法と同じく、違和感があるのでしょうか。瞬間移動ってどんな感じなのか、ちょっとばかり怖いです。
頭の上で、師匠がふっと笑いを零したのが聞こえてきました。顔を上げようとすると、顎が頭に乗せられてしまいました。それでもなお、振動が伝わってきます。何がそんなに愉快なのか、さっぱりわからないのですけど。
でも、おかげで力んでいた全身がほぐれていきました。師匠に寄りかかると、腰に重みを感じました。これ、抱きしめられるより恥ずかしい体勢かもしれないです。
「一呼吸の間に着くから、アニムは寝るつもりで、力抜いてろ」
私が返事をするより早く、魔法陣から立ち昇った光に包まれていました。一瞬だけ、ぐらりと、全てが歪みます。肌全体に電気が走ったような、痛み。
はっと息を飲み込むと、師匠の指が軽く弾みました。
その振動に安心した次の瞬間、耳に届いたのは小鳥のさえずりでした。瞼の向こう側に、ほのかな明かりも感じます。
「アニム、もう目を開けてもいいぞ」
「うっ、うん」
頬を撫でるあたたかい風に背中を押され、恐々、目を開きます。くっついていた師匠のマントが真っ黒だったせいでしょうか。飛び込んできた光が眩しすぎて、再び、ぎゅっと目を瞑ってしまいました。
ですが、わずかな合間に見た光景に、動機が激しくなっていきます。
震える体を動かすことが出来ずにいると、師匠が柔らかく肩に触れてきました。そのまま、くるりと向きを変えられます。一層、瞼に降り注ぐ光が強くなりました。
「ししょー」
「ん」
小刻みに揺れている手をさまよわせていると、師匠がぎゅっと手を握ってくれました。
さらに強く握り返します。どうやら、師匠は私の横に並んだようです。正面から背中から、全身に絡んでくる風を思い切り吸い込みます。
「草の、香り」
鼻から吸い込まれたのは、懐かしい草と花の香りです。水晶の森でも全く嗅ぐ機会がなかったわけじゃありません。師匠やウーヌスさんが、さり気なく用意してくれていました。
けれど、今、包まれているのは、比較にならないくらいの香りです。夢の中で嗅いだ山の葉より、青々としています。
「わぁ……」
感動を、もっと色々言葉にしたかったのに。絞り出されたのは、それだけでした。
目の前に広がっているのは、見渡す限りの花畑。赤、青、黄色はもちろん。パステルカラーからビビッドまで、様々な色合いがグラデーションを作っています。瑞々しく咲き乱れているのは、くるぶしまでの背丈の花々。樹かと思えたのは、不思議な形をした花でした。
綺麗な花畑に降り注いでいる、光。空には幾重もの魔法陣が回転していますが、水晶の森とは違い、限りなく透明に近いです。魔法陣全体ではなく、文字と線だけが、薄く光っています。その光が降り注ぎ、小さな虹をいくつも描いています。さらに上空には、鮮やかな青空が広がっています。
上を見上げすぎてぐらついた体を、師匠が支えてくれました。そのまま足元に視線を落とすと、柔らかい草が薫風を流しています。その風にのって、エメラルドを背負った蝶が、空に舞い上がっていきます。
「すてき」
叙情的に表現したいとは思いますが、この一言しか浮かびませんでした。だから、ありったけの感動を込めて、呟きました。胸の奥が熱くなっていきます。
ふらっと前に出ると、師匠に強く腕を引かれました。師匠も一緒に行こうという意思を込めて、ぎゅっと握り返します。が、師匠は動く気配はありません。
無言な師匠が心配になり、首を傾げて振り返ります。
大きな樹と青空をバックに背負った師匠。どうしてでしょう、眉間に皺を寄せています。ですが、不機嫌というより、儚げに見えてしまいました。太陽と魔法陣の光を浴びて、レモンシフォンの髪がひときわ色を薄くし、輝いています。
「ししょー?」
呼びかけてみても、表情が和らぐどころか、強引に引き戻されました。特に抵抗する意味もないので、流れるまま従います。
一転、視界に広がったのは、真っ黒な世界。それも、師匠の魔法衣だと思うと、心地よい色にさえ感じられました。
気がつけば、手は繋いだまま、片腕で抱きしめられていました。肩口に埋められた師匠の顔が、体温を上げていきます。
「アニム。なぁ、アニムっ――」
「どっどど、どーしたの、ししょー! 私なくて、ししょーの調子、悪くなった?!」
耳元で名前を囁かれ、心臓が大きく脈打ちだしました。切ない響きに、急速に喉が渇いていきます。
メルヘンチックな情景に似つかわしくない、挙動不審な声が花畑に響き渡ります。どもりまくりです。目がぐるぐるまわります。
どうしたものかと固まっていると、わずかな振動が伝わってくるじゃないですか。最初は自分の鼓動だと思ってたのですが、どうやら師匠が発信源みたいです。
「すげぇ、心音」
当たり前です! 師匠にあんな目で見つめられて、抱きしめられて平然としていられるほど、大人の女性じゃありません。自分から甘えるならともかく、乞うように名前を呼ばれながら密着されたら、心臓も爆発する勢いで跳ねるに決まってるじゃないですか!
もしかして師匠、私がただ子どもみたいに甘えたくて、絡んでるって思ってないでしょうね。
「煩いくらい、鼓動が伝わってくるな。オレの心臓にも、突き刺さってきそうだ」
「ししょー! まさか、胸のお肉薄いから、よく響いてく、とか、言いたい?! また、私の胸、それなりおっぱい、言いたかっただけ?!」
確かに、病み上がりでちょっと痩せましたけど。体重計がないので、あくまでも目算ですが。
おかげで、元からささやかな胸のふくらみが、やや縮小した自覚はありました。ささやかとは言っても、あくまでも訪問者さんたち基準で、元の世界では小さくない方でしたもん!……巨乳でもなかったけど。
っていうか。幻想的というか美しい風景の中でまで、どうして胸の件で落ち込まないといけないのか、だれか教えてください。
「ししょー、笑ってる、でしょ。もしかして、私で、遊んでる?」
顔を背けた師匠を、じろりと睨み上げます。それでも、師匠は口元に手をあてて、笑いを押し殺し続けます。いつものことながら、腰を折ってまで笑いを堪えられるくらいなら、爆笑して頂いた方が爽快なんですけど。
センさんのようにお腹を抱えて振り返った師匠は、涙目でした。目に涙を溜めるくらい、可笑しかったですか。私の胸の存在が。
「あほ弟子。お前、どんだけ、胸に劣等感あんだよ。ったく、色気のねぇ反応しやがって。普通は『このまま溶け合いたい』とか頬染めるとこだろうが」
「あほ、は、こっちの台詞! ししょー、普段の行い、えろじじい、だからでしょ!」
中二病の次は、ロマンチストですか。
くそう。師匠なんてキス魔のくせに。ご希望通り、真っ赤になった顔を向けてやります。ただし、微笑みではなく鋭く尖った視線をつけて、ですが。
ほにゃんと表情を崩して涙を拭っている師匠は、幼さが際立って可愛いです。無防備で、とっても可愛いし、不覚にも胸がきゅんとしちゃいました。けど――。
「大体、普通ってなに。だれと、比べてる、知らないけど、どうせ、私、可愛くない反応しか、出来ないもん」
私の馬鹿。折角、師匠が花畑に連れてきてくれたのに、喧嘩売ったりして。
楽しい時間を過ごせると思ったのに、揚げ足とるみたいに『アニムさん』を思い出すなんて最低です。『アニムさん』は、可愛く瞳を蕩けさせて、そっと唇を寄せていたのかもしれませんね。きっと、そうに違いないです。
駄目だ、泣きそうです。深呼吸を繰り返すと、ちょっとだけ落ち着きを取り戻してきました。ぷいっと顔を背けて歩き出すと、今度は師匠もちゃんと着いてきます。
「比べるって、お前。一般論だろうが」
「一般論、ですか。体験談、ないですか。どっちにしろ、私、一般的、可愛い女なくて、ごめんですよ」
この上なく面倒くさい女になってます、私。陽だまりみたいな素敵な森で、とげとげしい発言ばっかりして、自分の子どもっぽさが情けないです。
恋愛の神様、教えてください。世の女の子たちは皆、両想いだってはっきりもしていないくせに、面倒くさくやきもちを妬くものなのでしょうか。恋愛すると可愛くなるんじゃないですか?
恋愛スキルが低い上、初めて心底好きになった男性と色んな意味でレベルが違いすぎます。どうしたら、自分の気持ちを押し付けるばかりじゃなくて、相手に寄り添えるようになりますか。
「なんだ、アニム。お前、やきもち妬いてんのか」
あっけらかんとした声が、後ろからぶつかってきました。しかも、断定系ですよ。
下へ下へと落ちていた顔が、ふいな衝撃で一気にあがります。師匠が、後ろから髪を引っ張ったようです。結構な引力に、頭皮が痛みます。はげたらどうしてくれようか。
おかげで、潤んだ目を誤魔化せましたけど。
頭を摩りながら振り返ると、師匠が満面の笑みで腕を組んでいました。しかも、なんか一人で納得しているのか、大きく頷いちゃってます。
「ししょー、なんて、知らない!」
「そーか、そーか。お前、やいてんのか」
私が否定しなかったのを良いことに、なおも、師匠は続けます。
上機嫌なオーラで、髪をくしゃくしゃに撫でてきます。緩く編んでいたのもあって、リボンが解けてしまいました。タイミング悪く吹いた風に、桃色のリボンが攫われていきます。
青い空と桃色のリボンが織り成すコントラストに、目を奪われてしまいました。
じゃなくて、お気に入りのリボンが! 届くはずもないのに、咄嗟に手を伸びます。と、空中で一度止まったリボンが、すいっと手元に戻ってきました。おぉ、魔法が使えるようになったのでしょうか?!
そんなわけないです。師匠が、風の魔法で手繰り寄せてくれたんですよね。
「オレは、お前みたいな反応、可愛いと思うけどな」
「……それって、私、一般論的可愛い台詞言ったら、可愛くなくなる、いう含み?」
師匠が考えている可愛いって、面白いとか愉快という意味だったら悲しすぎます。もしや、本当に慌てふためく様子を観察されてるだけだとしたら、女らしい反応をした時、師匠はがっかりするんじゃないか。そう考えると、悲しいより怖いかもしれません。
髪を結いなおしながら、口から出たのは、やっぱり可愛さの欠片もない言葉。尖らせた唇だって、不細工に違いありません。
ですが、師匠は、にかっと歯を見せて笑いました。
「それはそれで、美味しいだろ」
「美味しいって。可愛いは、食べ物、違うよ」
じっと訝しげに見つめると、師匠は歩き始めてしまいました。さすがに、可愛げのない発言ばかりで呆れられちゃったのかな。めったにくれない言葉をくれたのに。
横に並ぶと、手を取られました。そのまま、師匠は一歩先に出ます。
「アニムなら、なんでも。まぁ、そういうこった」
「どういう、こった?」
「うっせぇ! それ以上繰り返すと、口塞いじまうぞ!」
等々、出ちゃいました。ぶっきらぼうな、決まり文句。さっきまでは、あんなにご機嫌だったのに、すこぶる荒っぽい口調です。
でも、薄い綺麗な髪の合間に見えたのが、花よりも鮮やかな赤だったので。
「……ありがと、です」
緩んでいく頬もそのままに、小さくお礼だけ零しておきました。
骨ばった大きな手をぎゅっと握ると、師匠の顔が横に向きました。仏頂面のまま、横目だけで私を視界に入れています。へらっと笑いかけると、すぐ、前を向いてしまいました。
咳払いが聞こえたので、単なる照れ隠しでしょう。ひとまず、安心です。
「それは置いておいてだな。アニムが子どもみたいに走り回りそうだったから、つい止めちまったんだよ」
「こんなに素敵花畑、みたら、飛び込みたくなる。当然」
師匠の横に並び、大きく腕を広げます。師匠はすっかり眠たそうな瞼に戻って、迷惑そうに体を横にずらしていきました。
全身に、爽やかな空気が流れ込んできました。清々しい気分になりますね。
目の前には、相変わらず、綺麗な花たちが咲いています。
「あんまり……遠くに行ってくれるなよ?」
風にかき消されそうなくらいの囁き。師匠の視線は、まっすぐ花畑を捉えています。
凶暴な動物がいるという心配なら、はっきり忠告してくれるでしょう。ひたすら続く花畑で、迷子になるなと言うことでしょうか。それにしては、随分と硬い響きです。
師匠の意図はわかりません。けれど、どうしてだか耳に残った声に、ただ頷きました。
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