引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

 

1.引き篭り魔法使いの師匠と、巻き込まれた不幸な弟子

「ししょーも男、木登りくらい、頑張れ!」

 美しい水晶の森に、刺々しい声が響きます。小さな動物たちが、ぎょっとして水晶の実を食べる手を止めました。
 私だって煌めく光りに相応しく、優雅に「お師匠様ってば、うふふ」なんて穏やかに言いたいんです。ですが、出てくるのは涼やかな空気よりも冷たい声。
 だって、一生懸命、水晶の樹から実を取っている私の視界に、ちらちらと写ってくる姿に、苛々させられっぱなしなんです。

「頑張れよー不肖の弟子。若さだけが取り柄なんだからなー」

 アイスブルーの瞳を眠そうに半分隠したのは、師匠ことウィータ。樹の上にいる私を見ようともせず、気だるそうに手を振ってきました。上質な漆が塗られた椅子の上で胡座をかいている師匠は、アフタヌーンティーセットを目の前に魔法書を読んでいます。
 口に放り込んだレモンシフォンと同じ色をした短い髪が風にそよいでいる姿は、絵になりますね。黒目黒髪な私には、羨ましい容姿です。
 師匠は私の声を防ぐだめか防寒のためか、フードを被りました。尚且つ、襟に顎を埋めました。私が長いシフォンワンピースで、寒さに耐えながら木登りしているというのに!

「どうも! ししょーは、若作りおじいちゃん」
「誰が、年寄りだ!」

 毎度のことながら、変な所に突っかかってきますよね。本当のことです、師匠。
 あっ、乱暴に置いたティーカップから紅茶が盛大にこぼれました。私のお気に入り紅茶の茶葉なのに。もうストック切れていたはずです。許すまじ。
 首の両側で緩く結んでいる髪を掴む手に、力が入ります。

「ししょー、紅茶、買いに行け! 引き篭り!!」
「……オレは引き篭りだからな。お前、自分で街に降りてこい」

 師匠は子どものように頬を膨らまし、思い切り顔を逸らしました。しかも、腕を組んで「ふん」とか鼻を鳴らした。可愛いな、おい。長女心が疼くじゃないですか。っていうか、木下にまで近寄ってきたなら、手伝ってくださいよ。
 師匠は見た目こそ十七・八才の少年ですが、歴とした二百年生きたお年寄りです。良くわかりませんが、不老不死なんだそうですよ。私が知る所の仙人てやつでしょうか。二十一才の普通の女と対等な目線になっちゃうくらいなので、悟りは開いていないようですけど。むしろ、いちいち細かい部分を気にする上、突っかかってくるおこちゃまです。

「行けない、わかってるのに。外、魔法含んだ空気、まだ身体に悪い。ししょー、ちゅうに病! 変な森名、つけた、知ってる!」
「相変わらず意味はわからんが、悪口なのはなんとなーく理解出来るぜ。アニム、ここの言葉も良く理解出来てねぇのに、名前の意味がわかんのか!」

 水晶の実を上から投げつけてやります。師匠は余裕の顔でよけやがりました。何て大人げない笑顔。空を仰ぎ見ると、七色の魔方陣を挟んで、青い空が広がっています。この森一帯を何個もの魔方陣が取り囲んで、清涼な空気を保ってくれているらしいです。
 魔薬に使用する実が、かちゃんと割れた音が耳に届きました。視線を落とせば、青い玉が粉々になり、地面に吸い込まれていくのが見えます。あー、勿体ないです。青い実は、高温の火を起こせるのに。
 師匠は百年程、結界内に引き篭っているらしいです。不慮の事故により、私が師匠に弟子入りして厄介になるようになったのは1年前からなので、真偽の程はわかりません。と言いますか、あほ師匠が術に失敗して、無関係の私をここに落としちゃったという、思い切り有責事故なんですけど。「あー、悪い悪い。間違えたわ」って満面の笑みで言われた時の虚脱感と言ったら、今思い出しても腸が煮えくり返ります。
 大体、自分が住んでいる森に『メメント・モリ』なんて付けちゃうって、どう考えても中二病です。

「この前、お友達、聞きました。古代語、『死を記憶せよ』なんて、自分でつけちゃう、あほ。ウィータの意味、『生』、反対つけるとか、かっこつけ、葛藤、酔ってる」

 べーと舌を出すと、師匠は面倒臭そうに頭の後ろを掻きました。でも、すぐに顔を上げて「うっせぇ」と悪態をつきました。

「ちっ。昨日来たセンの奴か。アニムに余計なこと教えやがって」
「余計、ない。私、アニム、ない」

 名前については、私も本気で文句を言っているわけではありません。中二病は撤回しませんけど。
 引き篭っている師匠の元に時々やってくる旧友さんたちは別ですが、師匠は、私が外界と関わるのを嫌がります。私が知識をつけていくのが気に食わないのか、ただの過保護なのか。基本的に、外の世界に買物に行くのも、式神さんたちです。まぁ、魔法に耐性がない私は、水晶の森から出ると肌に火傷というか痣のような傷が出来てしまうので、買出しの雑用どころか、森の外に出ること自体、無理なんですけど。
 それに、最近やっと言葉や文字を覚えてきたくらいです。まだ、片言しか話せませんから、外に出られても街の人たちとコミュニケーションは取れません。

「それは何回も説明しただろ。別の場所から来たお前の真名(まな)は、オレが預かっておくって。お前、此処に真名を捕らわれたら、帰れるものも無理になるんだぞ。最悪肉体だって滅ぶ可能性もある。言葉を覚えてきたからって、うっかりオレ以外の人間に、教えるな」

 見上げてきた師匠の瞳が、思いの外真剣だったので。うっと、喉が詰まってしまいました。きっと、先日師匠の腐れ縁(こちらもうん百才のおじいちゃん)であるセンさんに聞かれた際、答えてしまいそうになったのを、まだ怒っているのでしょう。
 センさんは「独占欲って醜いよ」と言って私の肩を抱き寄せてきましたが、師匠は単に言い付けを守らなかった私に、かちんときているだけです。
 ちなみに、師匠は私の国の言葉も話せます。理屈はわかりませんが「天才」だからだそうです。さっぱり意味がわかりません。ちゃん論理的に説明して欲しいです。
 しかも、ここの言葉を覚えるためと、滅多に使ってくれません。ただでさえ私は言語学習が苦手なのに、師匠ときたら教えるのが下手すぎるんですよ。さすが人と触れ合ってないだけあります。

「アニム、返事は!」
「はーい、はい。がってんしょうちのすけ」
「……それも、センか。変な言葉ばっかり、覚えやがって」
 
 教えてくれないよりはましだと思います。そう喉まで出掛けたが、何とか飲み込みました。
 木から離れた場所に置かれた机に目を向けると、魔法書の下にノートらしきものが見えます。普段口の悪い師匠が、私には出来るだけ綺麗な言葉や使用頻度の高い単語を教えようと書き纏めた、教育研究ノートです。すみません、この間掃除していて落としちゃった時、見ちゃったんです。なんだか難しい単語ばっかりだなとは思っていたんですよね。おかげで助詞はあまり使えませんけど。

『ツンデレめ』
「はぁ? 故郷の言葉は極力使うなって言ってんだろうが。異質な言霊は、異質なモノも呼ぶって教えたよな」

 師匠が顔を歪めました。言葉の意味まではわからなかったようです。それにしても、本当に心配症というかネガティブというか。悪い方に、悪い方に考える人です。
 自分が魔法の力を高める水晶に護られているのは知っています。けど、淡い期待を抱いてしまうんです。

『私としては異質な言霊に呼ばれてくる異質なモノが、もしかしたら元の場所へ戻してくれるかもとか想像も出来るわけですが』

 水晶の実が詰まった竹籠を抱えると、青い香りがしました。水晶が発する綺麗な匂いも嫌いではないですが、私はやっぱり植物の香りの方が安らぎます。
 両足をばたつかせて不満そうに呟いた私を、師匠は睨みあげました。口をへの字に曲げて仁王立ちしている様は、少年の姿とはいえ、迫力があります。減らず口の弟子に苛立っているのは一目瞭然です。怖いです。童顔とはいえ、色素が薄くそこそこ整った顔をしている師匠が怒ると、冷や汗をかいてしまいます。

「わっ!」

 背を丸めて降参の意を示そうとすると、ふわりと浮遊感に包まれました。実際、目の前の景色が変わっていきます。二階建てのレンガ風建物の屋根が見えたかと思うと、今度はすーと地面に近づいていきました。
 どうやら師匠が魔法を使ったようです。太い枝に腰掛けていた私は、宙に立った状態で下へ降りていました。風がスカートの下の腿を撫でて、少し肌寒いです。

「ししょうー、魔法使う時、ちゃんと言って」
「うっせぇ」

 師匠の口癖です。柄が悪い口調ですが、大抵耳を染めているので、どちらかというと可愛く見えてしまうんですよね。私は、嫌いじゃないです。

「なに、拗ねてるの?」

 確かに師匠を怒らせるような反発をしたのは私ですが、今の様子は怒っているというより、拗ねているように見えます。
 師匠の肩に手を置いた状態で浮いたままなので、そっぽを向いている顔は覗き込めません。レモンシフォン色の柔らかそうな髪だけが見えます。猫の毛みたいで、つい触りたくなってしまうんです。猫は可愛いですよね。故郷で飼っていた仔猫のミャーを思い出します。小さなおててと、垂れた耳がたまらなかったです。もう、大分成長してしまっているんでしょうね。
 今も式神の子猫たちがいますが、とっても可愛いんです。癒し成分です。あんまりお家に居ませんけど。
 気が付けば、師匠の髪をぐしゃぐしゃに撫でくりまわしていました。あっ、睨まれたやばい。そう思った瞬間、ぐらりと身体が揺れました。

「ひどい!」
「アニムはまず、安全かつ楽に降ろしてくれたお師匠様に、礼を言うべきだろ」
「最後、安全じゃなかった!」

 最後の数センチだけ急降下した勢いに耐え切れず、たたらを踏んで尻もちをついてしまいました。下は水晶なので服が汚れることはありませんが、その分お尻への衝撃は悶絶ものです。絶対赤くなってる。
 でも、弟子の意地で、竹籠は死守しましたとも。
 師匠は口の端を三日月顔負けにあげて、私を見下ろしています。薄い瞳が冷徹さを強調していますよ。今日の夕飯には、師匠が大嫌いな辛味きのこを入れてやる!

「明日取引に使う魔薬に入れる実が無事で何より。不肖の弟子にしては、上出来だ」

 師匠は私の腕から竹籠を奪っていきました。中身が割れていないのを確認すると、心底ほっとした表情に変わります。師匠の手にある実は、ひび一つ入っていません。実を守った私と、犠牲となった私のお尻に感謝して欲しいですよ。お尻には、実際されたら変態だと罵るつもりですけど。複雑な女心です。独り言です。
 私と言えば、地面に座り込んだまま、師匠を睨みあげています。私の視線に気が付いた師匠は、大きな溜息をつきました。心外です。

「ししょー、思ってる。自分、人を不幸にする。だから森の外に出ない」
「っかぁー! それもセンから聞いたのかよ。つーか、何で今その話を――」
「出なくても、今まさに、私不幸。お尻、痛くて死にそう」

 師匠の過去など知らないから、私には中二病的な台詞にしか聞こえないですよ。だって、言ってくれないし、知る術がないんですから、これぐらいの悪態は許して欲しいです。
 お尻を摩って立ち上がろうとすると、再び身体が浮きました。竹籠が地面に置かれたのが確認出来ました。

「ししょー? 非力、無理しない」
「黙れ、あほ弟子」

 師匠に軽く頭を叩かれてしまいました。恥ずかしさからの憎まれ口です。今、私は何故か師匠に抱きかかえられています。
 いや、ほんとに。もやしっこに見える師匠、無理されてギックリ腰になんてなられると、私の雑用が増えそうなんですけど。見た目が少年とはいえ、実年齢を考えていただきたい。
 コートの袖のおかげで体温は伝わってきませんけど、顔が非常に近いです。色んな部分に。
 師匠は眠たそうな目のまま、無言で家へと歩いていきます。憎たらしいほど、普通の顔です。ブーツと水晶が鳴らす音だけが、森に響いています。

「ほれ。お前は先に戻って、夕飯の準備しておけ」
「がってんしょ――」
「それはもう良い」

 敬礼しようとすると、おデコにちょっぷを食らってしまいました。暴力反対です。
 それでも、人として、運んでくれたお礼はしなくてはですね。

「ししょー」
「あぁ、そうそう。太ももの内側にある傷、木に登る時擦ったんだろ? ちゃんと薬塗っておけよ。後々面倒になる」

 珍しく心配してくれているのでしょう。照れくさいのか、目元から耳元が綺麗に赤く染まっています。うん? 照れくさい?

『師匠、見ましたね! このむっつり引き篭り変態魔法使い! そう言えば、胸に指が触れてましたよ!』

 良く考えなくても、木の上から降りた時にスカートの中がばっちり披露されていたんでしょう。二百才以上のおじいちゃんから見たら、私のスカートの中身なんて赤子のおむつ程でしょうが。
 それにしても、赤くなってまで言わなきゃいいのに。損な性分ですね。

「うっせぇ! お前なんて赤ん坊みたいなモンだ! 色気づいてんじゃねぇよ!」
『うわぁ! 最低、最低! 師匠は赤ん坊のパンツに照れるんですか?!』

 折角広い心で許してあげようとしていたのに。恥ずかしさのあまり腹の底から出た叫びは森に響きわたりました。小動物たちが身を震わせ、逃げてしまいましたよ。私が生み出したこだまに、師匠は真っ赤になっていきました。詰襟で見えませんが、間違いなく首まで染まりきっているでしょう。いつもは眠たそうに半分閉じている瞳が、満月顔負けに丸くなっています。

「呆れてるんだよ! つーか、言葉!」

 人を指さして言い逃げした師匠は、水晶に躓きました。どじっこめ。ついでに頭の上に水晶の実が落ちたので、良しとしておきましょう。



 中二病くさい引き篭り魔法使いが術を失敗して、全く知らない場所に来てしまった私。責任を取って面倒を見てもらっていますが、本名を取られ、師弟関係にも馴染んできてしまっています。
 本当に帰れる日は来るんでしょうか。



読んだよ

 




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