引き篭り魔法使いの師匠と、酔っ払いの弟子
「おかえりにゃしゃーい!」
「なんだ、この状況は」
落ち着け、オレ。平常心で、数十秒前を振り返るんだ。
泉から魔法石を採って戻ってきてたんだったな。うん。マントをかけている所に、出迎えの声が聞こえてきた。背後からかけられた声は、やけに甘ったるく高めだった。子猫たちかと勘違いして「飛びつくでしゅー」という言葉に「おぅ」と返したオレは悪くないだろう。
まさか……万が一にも、アニムだなんて想像もつかなかったんだよ。
「アニム、言葉が可笑しいぞ」
「ふぃーね、まねまねーん」
「お前が使うと、ただのあほだ」
アニムは不満げな様子で、さらにしがみついてくる。
あまり自然光が降り注がない水晶の森に引き篭っているせいで、袖から見えている腕は白い。少し強く掴むと、すぐに赤みを帯びていく。なんだか、痕をつけているようで、なんとも言えない気分になってしまった。
いかん。変な気分になるな、オレ。
そうだ。飛びついてきた柔らかい感触で、声の主が弟子であることを知ったんだっけか。身を持って。
背中に押し付けられてくる、決して大きくはないが程よい柔らかさに、改めて耳が熱くなっていきやがる。
別に慣れのない感触ではないが、アニムのものだと思うと、上手く感情が制御できないのも実際で。情けないとは思いながら、溜め息が落ちていった。
振り向こうとするが、後ろからきつく回された腕がそれを阻む。
「ししょー? お外、寒かった? 服、ちべたい」
拙い話し方が、より幼くなっている。これも子猫たちの真似かよ。いや、単に呂律(ろれつ)が回っていないだけか? どちらにしろ、心臓に悪いことには変わりないぜ。
アニムの腕を掴んでいた手を離し、眉間を押さえて、とりあえずと深呼吸を試みる。が、より一層と密着してくる柔らかさに心拍数は上がるばかりだ。しかも、不気味な笑い声をもらしながら擦り寄ってきやがる。
鼻先を掠めたのは酒の匂い。アニムのやつ、もしかして、酒に酔ってるのか? いや、たまに一緒に飲む時も、ちびちび舐めるみたいに飲んでた程度だったし、間違っても自分から飲むタイプでもねぇよな。
「あぁ、雨が降ってきたからな。つーか、冷たいなら離れろよ」
「らいじょーぶ! 弟子が、ちゃーんと、あっためる! 心配ご無用!」
一緒に住み始めて1年になるが、こいつの思考回路は未だに良くわからねぇ。
叩き込んでやった警戒心を、オレに向けることは皆無だ。そもそも、自分では警戒心を持って行動してるってつもりらしいが、オレにはむしろ尻尾振って訪問者たちに近寄ってるようにしか思えねぇ。
大体、あたためるのが弟子の仕事とか、魔法使いの弟子を何だと思ってるんだか。
そんなことを考えている間も、アニムは額やらこめかみやらを擦りつけて来る。自分がいたたまれなくなって、二回目の溜め息が落ちた。
「アニム、お前どんだけ酒飲んだんだよ」
「うーん。ケーキ、作るのに、ぺろぺろってだけ」
「二舐めで酔う強い酒なんて、調理場に置いてないだろうが」
ようやく緩んだ力を少しだけ残念に思いながらも、胸が撫でおろされた。こいつ普段自分からべったり抱きついてくるなんて、あまりないからな。髪をいじるのは好きなようで、何かと引っ張ってくるが。
いやいや、ちょっと嬉しいとか思ってる場合じゃねぇ。
「じゃあ。ぺろぺろぺろりん」
「あほ弟子。文章でしゃべれ。つーか、まじでどっから持ってきた酒を飲んだんだ?」
アニムは酒に弱いが、ここまで言葉がおかしくなるのや、行動が変わるのは見たことがねぇし。相当な量を口にしたか、度数が高いものだろう。
振り返ると、アニムは腕を組んで首を傾げていた。ついさっきの自分の記憶を辿るのに、なんで首を傾げる必要があるんだか。
「ケーキ入れるお酒、なくなってた。フィーネとフィーニス、地下から、重いの、一生懸命、持って来てくれたの!」
ぽんと大げさな調子で掌を打ったアニムは、オレの手を引いて料理場に引いていく。
ぎゅっと強く握られた手に、どくんと胸が跳ねた。
あー、さかってるガキじゃあるまいしと、自分を叱咤する。繋いでいる手をやたら楽しそうに振っているアニムの背中を見て、切なくなってきた。
目の前の弟子は、いつもオレをじじい扱いしやがる。まぁ、それはいい。実際年齢的には三桁も違うしな。昔は憎らしかった自分の外見だが、今はアニムと大差ない外見年齢に感謝さえしている。
それはさておき。アニムは自分を赤ん坊だと言ったり、警戒心もなかったりと、女として見られてるなんて微塵も考えていないようだ。つまり、ひとつ屋根の下で暮らしてはいるが、男女の色など匂いもしねぇ。
じわりじわりと。小動物を追い込んでいくように包囲網を敷いているのを気付かれていないのは、助かるがな。
「ししょー? 目、ぎらんて、肉食動物。かなり、お疲れ?」
アニムがいつの間にか足を止めて、顔を覗き込んできていた。空いた方の手で、自分の目の端を引っ張っている。変な顔だ。
つーか、いかんいかん。無意識のうちに、『そういう目』になっちまってたのか。気付かれついでに遊んでやろうか。アニムの顎に手をかけ、口の端をあげて笑ってやる。アニムいわくの、極悪人面で。
「ほう。ならお前はさしずめ、オレに捕食されようとしている小動物か?」
「小動物、言われるは、嬉しいよ? にゃーん!」
今にもくっつきそうな唇を嫌がることもなく、アニムはへにゃっと笑顔を浮かべた。ついでにと、首を傾げて手を丸めてみせる。
駄目だ。相変わらず捉えどころがずれてやがる。がっくりと全身の力が抜けていく。アニムの肩に手を置いて俯くと、「よしよーし」と頭を撫でられた。
「だー! あほ弟子が! つーか、フィーネとフィーニスはどうした!」
「ししょー、うるしゃいよ」
「うっせぇ!」
耳を塞いだ手を剥がして、耳元で叫んでやる。半分、ヤケクソ気味に。てっきりしかめっ面か赤い顔で怒りながら離れていくかと思っての行動だったのだが……酒の入ったアニムを舐めていた。
距離をとるどころか、服を掴んで体を寄せてきた。そんでもって。すげー、それはものすげー幸せそうに、蕩けた瞳で微笑みやがった。
「ししょーの声、好きだかりゃ、耳元で、聞ける、嬉しい。けど、もっと、優しく、ね?」
だれか助けてくれ。もう、この際、うざい笑いつきのセンでもいい。
なんだか色んな意味でやばい。今なら、目の前に餌を吊らされて、お預けをくらっている動物の気持ちが、痛いほどわかる。
やり切れなくなり、しゃがみこんで腕で顔を隠す。アニムがいう『やんきー座り』だが、今は突っ込まれることはない。むしろ、今こそ突っ込んでくれよ。
アニムはからかうどころか、ちょこんとオレの前に座込み、頭を撫でてきやがるし。
そんなしゃがみ方したら、下着が見えるぞ。あほ弟子。オレの赤ん坊っつー言葉を、本気にしてんじゃねぇだろうな、こいつ。
まじで、アニムの言葉どころか存在がやばい。もう、オレ、このまま押し倒してもいいじゃないだろうか。
「ししょー? だいじょーぶ?」
「大丈夫じゃねぇ。ぜんっぜん、大丈夫じゃねぇよ! あほ弟子のせいで!」
耳元をくすぐってきたアニムの手を掴んで、やけくそ気味で叫ぶ。年甲斐もなく真っ赤になっている自分が容易に想像でき、悔しかったのもある。いわゆる、八つ当たりだ。わかってる。
仰け反った姿勢を元に戻すと、アニムがきょとんとしていた。酒のせいで頬が赤い。
しばらく、むすりと口を結んだオレを見つめていたが……やべぇ。酒が感情を高ぶらせてるのか、アニムはくしゃりと泣き出す寸前の顔になった。
「わたしの、せい?」
げっ。みるみる内に涙が溜まっていく。体を震わせたかと思うと、俯いてしまった。途端、ぽろぽろと大きめの雫がスカートを濡らし始めた。
アニムの泣いてる顔は嫌いじゃないし、むしろ見たい部類に属する。が、不本意に泣かせてしまうのは、好まない。
「アニム、どなって悪かったよ」
「にゃーん! ごめんですー! かわいく、お迎え、できず、面目ないー!」
「がっ!」
抱きしめようとした瞬間。アニムの頭がオレの顎を直撃した。急に顔をあげるな、石頭め! しかも、また変な言葉覚えやがって。
本当にわざとじゃないのかっていうタイミングだよ。それに毎回翻弄されてる状況は心地よくもあるが、正直お預けばっかりだとオレの鋼の忍耐力もヒビが入るってもんだ。
顎をおさえて悶絶しながら報復を考えていると、調理場の奥から歌が聞こえてきた。
「あー! あるじちゃまー! おかえりでしゅよーん!」
「どうしたのじゃ? うじゅくまって、へーんなにょぞ!」
今度こそ、本物の子猫たちだ。小さな体の二つ分程もある大きさの酒瓶を抱えて、ふらふらと近づいてくる。手――いや、肉球を滑らせないか心配になる酔い方だな。
なんとかオレのところまで辿り着いたフィーネとフィーニス。こいつらも相当酔っ払ってやがるな。まぁ、こいつらは楽しそうに鼻歌鳴らしてる程度だから、アニムみたいにたちは悪くねぇけど。
「フィーニス、ちょい。酒瓶見せろ」
「ありゅじも飲むにょか?」
「やーん! ふぃーにす、かわゆい!」
じゃれ始めたアニムたちを余所に、酒瓶に目を凝らす。ラベルの色から、とてつもなく嫌な予感がする。
笑顔で子猫たちを抱きしめたアニムは、まだ涙が止まっていない。ふらふらと寄っていったフィーネが目元を舐めると、至極幸せそうに「ふみゃん」とか鳴きやがった。
「……お前ら、これ何本飲んだ」
「これっくりゃい」
じろりと睨んでやっても、アニムは怯む様子はなく両手を広げた。
もう何も言えなくて、ふぅと息を吐き出す。そんなオレを見て、アニムが首を傾げた。目をぱちくりさせているアニムに、酒瓶を突きつけてやるが、やはり反応はねぇ。
「アルコール度数、ちゃんと見たのかよ。つーか、なんであえて、これを選んでもってきやがったんだ?」
「うっしょだー。らって、ふるーてぃー、甘くて、おいしかったよ?」
アニムはけらけらと笑い声をあげて、オレの額を叩いてきた。師匠の額を叩くたぁー良い度胸じゃねぇか。
一口味見したら旨くて、ばかばか飲んだってとこかよ。
「でしゅでしゅ、しゅてきな香りしたから、ケーキ用にふぃーねとふぃーにす持ってきたのでしゅ」
「ふぃーにす、これしゅきぞ!」
「あー、よかったな」
ケーキ作ってたってことは、夕方過ぎからずっと飲んでたのか。そりゃ、できあがるわ。
もう怒るのにも疲れたぜ。
片膝を立てて肘をついて、楽しそうにはしゃいでいる三人を遠めに見るしか出来ないわ。……赤い顔で歌を口ずさんでいるアニムや、周りで合いの手を入れているフィーネとフィーニスを見ているのは、悪くはねぇが。
「ありゅじちゃまにも、おしゅしょわけーでしゅ!」
「ずりゅいぞ、ふぃーね! ふぃーにすも!」
どう分けてくれるつもりかはわからねぇが、フィーネが顔に飛びついてきた。負けず嫌いなフィーニスまで頭に張り付いてきて、雨で冷えていた体が温かくなる。そのまま頭に移動した二人が、場所を取り合って手をぶつけ合っている気配を感じて、思わず苦笑が浮かんだ。
っていうか、あほ弟子が羨ましそうに目を据わらせていやがる。フィーネとフィーニスをとられたのが、気にくわねぇんだろうなぁ。
このままでもいいが、いい加減腹も減ってきたな。立ち上がろうと床に手をついたところで、アニムが「ずるい!」と声をあげた。
「ずるい、です! だから、私も!」
「はっ?」
「私も、くっちゅくの!」
制止するより早く、アニムが胸に飛び込んできた。気がついた時には、見下ろした先にアニムのつむじがあった。
ちょっと待て、なんだこの状況。
思い切り胸に擦り寄ってくるアニムは、背中をきつく握ってくる。つーか、オレの足の間に挟まって正面からもたれかかっているが、腰は痛くないんだろうかとか思ってしまうあたり、オレは混乱しているのだろうか。
「あの、アニムさん。なにをしてらっしゃるんですか」
「ししょーの、胸、かたいね。しょれに、せなか、おっきい。しんぞー、ばくばく。わたしと、いっしょ」
「話を聞け。全体重かけられると重い」
暗に離れろと伝えてみるが、普段から鈍いアニムだ。おまけに酒が入っている状態なので、顔をあげはしねぇだろう。オレもさして期待はしていなかった。
ところが、意外にもアニムは顔をあげた。しかし、余計にまずい体勢になり、自分の発言を激しく後悔した。
密着はそのままに、唇を胸につけたまま上目遣いになりやがった。むしろ、顎をあげたことによって、胸同士の密着度が増してしまった。
「女子、の、おっぱいには、ゆめが、つまってます。だから、ずっしり」
「あほ弟子。だれも胸の話なんかしてねぇよ」
「じゃあ、ししょー、への、あいじょーが、つまってる。だから、重いにょよ」
それは揉んでも良いって許可か、おい。全部オレのもんだってことかよ。食べつくしていいのか。
いやいや。そもそも、じゃあじゃねーじゃねぇか。落ち着け、オレ。複雑な魔法式を脳内に思い浮かべ、意識を逸らすんだ。
両手を浮かせたまま、必死で頭を回転させていると、何を勘違いしたのかアニムがしょんぼりと眉を垂らした。
「ちっちゃいけど、肌ざわり、だんりょく、かたちは、だいじょーぶ」
「だまらっしゃい」
もういいや。ぐっと押し付けられた部分が理性をさらっていく。ぎゅっと包み込むように抱きしめると、アニムから「ふへっ」と笑いが零れた。あぁ、もうこのふにゃんと崩れた笑顔に魅かれるとか、オレも重症だ。髪に擦り寄ると、甘ったるい香りが鼻をくすぐってきた。もっと吸い込もうと、抱きしめる腕に力を込める。
これ以上アニムの笑顔を見ていると、本当に押し倒してしまいそうだ。アニムの髪に顎を埋めて、とりあえず下を向かせる。
「不気味に笑ってんじゃねぇーよ」
「ししょー、しつれーい。いいもん、思い切り、あまえちゃうも――」
「意味わかんねぇし」
わざと不機嫌な声を放つと、アニムの指が背中を走った。ぞくりとやばい感覚が全身を震わせる。
って、おい。頭の上からも下からも、気持ちよさそうな寝息が聞こえてきたんだが。寝てやがる。まじで寝てやがる、この状況で。
フィーネやフィーニスは仕方がないとして、アニムは男に抱きついた体勢で眠るのかよ!
「むみゃーん、ししょー」
「はぁ。アニム、お前さぁ。オレを男だって意識してねぇだろ」
自分の呟きで、虚しさがましてしまった。深く考えるのはよそう。いつものことだ。うん……なんだかさらに辛くなってきたぞ。
頭を振ろうとした寸前で思いとどまる。フィーネとフィーニスが落ちてしまう。アニムを抱いていた手を離し、子猫たちを掴む。
「らめっ!」
「あ?」
「離す、らめ」
顔を覗かせたアニム。拗ねているのか、唇を尖らせている。
起きたのかと前髪を払うが、瞼は閉じたままだ。しばらく観察してみるが、動く気配はない。寝言かよ。
姿を現したウーヌスに、子猫たちを渡す。空いた手で頭を撫でてやると、また、へにゃと表情を崩した。擦り寄ってくるアニムが悔しくて、髪の隙間から覗いた耳をかじってやる。アニムはぴくりと身じろぎするが、すぐに静かな寝息を立て始めた。
「ったく。師匠って立場も、都合が良いのか悪いのか」
「ウィータ様、お顔がにやけてらっしゃいます。それに赤みが――」
「うっせぇ」
ウーヌスの言葉を遮って、アニムを横抱きにして談話室に足を向ける。
三人とも、しばらく目を覚ましそうにもないな。ソファーで本でも読んで時間を潰すか。
経験上、おそらくアニムは覚えていないだろう。今日ほどひどくはないが、今までに何度も酒に酔ってやらかされたことがある。
膝枕でもしてやっていれば、起きた時の驚きを楽しめるかもしれねぇな。ささやかな仕返しだ。
ソファーに深く座り込むと、どっと疲れが襲ってきた。クッションの上にアニムを乗せてやると、わずかに口角があがった。
「それにしても、腹減ったなぁ。耐えられんのかな、オレ……」
「ウィータ様、先にお夕飯を召し上がられますか?」
間髪入れずに尋ねてきたウーヌスに、自嘲気味の笑みが浮かんだ。
ウーヌスは不思議そうに目をしばらかせながらも、フィーネとフィーニスをアニムの胸の上に置いてやる。子猫たちは嬉しそうに、アニムに擦り寄った。
アニムは眠りながらも、子猫たちの背を撫でてやっている。また、酒の甘い香りが、ふわりと漂った。
「いや、そっちじゃねぇーんだ」
「はぁ」
手渡された本で顔を隠したオレに、やはり、ウーヌスが疑問を含んだ声を返してきた。
― おわり ―
|
|