引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

拍手お礼SS
― セン視点(本編2話より登場)―

おかしな訪問者と、引き篭り師弟2


「じゃあ、ししょー、行ってらっしゃい!」

 玄関先に、アニムの明るい声が響いた。いつもより、さらに楽しそうな調子だ。
 僕の隣で大きく手を振っているアニム。見送りの言葉をかけられているウィータは、なにやら疑わしげな目をしている。こちらは、眠そうな瞼がいっそう重そうだよ。
 まぁ、ウィータの瞼があぁなのは、実際眠たいわけではなく、結界を保っているせいなのだけどね。さすがの大魔法使いも、広大な土地に幾重にも結界を張りつつ、普段も魔法を使ったり、諸々同時に発動させたりするのは負担がかかるらしい。
 ちなみに、アニムに教えようとすると、殺気が漂う。なので、大人しく黙っている。

「やけに嬉しそうだな、アニム。あとセン、アニムに変な言葉教えるんじゃねぇぞ」
「嬉しいない。私、寂しーよ? でも、美味しいご飯、作って待ってる、から、泉で魔薬調合、頑張って!」

 ウィータの嫌味に負けることなく、アニムは満面の笑みを保っている。胸の横で、小さく両拳を握り締めて応援する姿が、可愛いね。
 ウィータと言えば、口をへの字にして、ぐっと何かを堪えている。「寂しい」とか「待ってる」とか、色々つぼったんだろうね。耳まで赤くして、ちょっと後ろに身を引きながら、ぷるぷる震えているよ。

「そうだよ。頑張ったら、その分、早く戻って来れるだろう? 大丈夫。ウィータが帰るまで、僕がアニムの勉強をみているからさ。安心してよ」
「センの言葉が、一番信用できねぇーんだよ!」

 思わず、僕の体も震えてしまったよ。笑いで。
 歳を取るとね、笑いすぎると腰が痛くなるんだ。僕の腰のためにも、ウィータにはさっさと泉に出かけて欲しい。切実に。
 しゃがんで腹を抱えた僕を見て、アニムが「とにかく、いってらっしゃい。早く行かないと、晩御飯、間に合わない」と、ウィータの背を押してくれた。

「……ったく。んじゃ、行ってくる」
「うん、帰り、待ってる」
「おぅ」

 ウィータってば、気持ち悪いくらい、にやけかけたよ。けど、僕を見て思い切り顔を歪めた後、「けっ」と吐き捨てた。そのまま転移魔法を発動させて、姿を消してしまった。
 魔法陣の淡い光が、名残として漂っている。
 アニムを無言で見上げると、不思議そうにしながらも微笑を返してくれた。きっと、ウィータのにやけも、アニムからしたら「にかっ」に見えてるんだろうね。
 前にさりげなくアニムに聞いたことがある。ウィータの、あの笑みをどう思うか。そうしたら、アニムってば「にかって笑顔、少年みたいです」と、ほんのり目元を染めて答えてくれたんだ。照れているのは無自覚だろうけどね。
 アニムは人の心に敏感な割に、身の危険には疎いみたいだと良くわかった。

「センさん、お茶、しましょ?」

 未だに止まらない笑いを抑えて立ち上がると、アニムが遠慮がちにマントを引いてきた。
 空いた指で指された家の中に視線を移す。フィーネとフィーニス、子猫を模した――世間で言う「異質」な式神たちが、暖炉の上で寄り添って寝息を立てているのが見えた。
 僕も最初は戸惑った成長型の式神。今ではすっかり微笑ましく見ることが出来るようになったけれど、おそらく、この世界の魔法使いの大半が脅威の感情を抱くだろうタイプだ。
 他など関係ない。小さく、頭を振って口の端を上げる。

「煩いお師匠様もいなくなったしね」
「センさん、ししょーいた方、楽しそう、なのに?」
「アニムと一緒にウィータの話をするのが、最近の楽しみなんだよ?」

 アニムに微笑み返し、肩を押す。すると、僕の長い髪に突風が絡んできた。風が舞い上げた埃に、片目をつぶってしまう。一歩先に家の中に入っていたアニムには、全く被害は及ばなかった。
 苦笑した瞬間、魔法陣の光が弾けて消えた。

「全く。煩い師匠だよね」

 水晶の森に、埃が舞うなんて……貴重な体験が出来たよ。これはぜひとも、ラスターに報告しないといけないね。こちらは、別の意味で嵐が起きそうだけど。それも、水面下で。
 震えた喉をこっそり押さえる。あぁ、平和だな。そう、噛み締めて。それに、親友に訪れた――。

「え?」
「いや、何でもないよ。確か、前回に引き続き、ウィータの苦手な物が議題だったかな?」

 小さく動いた唇が見えたのだろう。アニムは上半身だけ振り向いた状態で、小首を傾げた。それが、繰り返しの催促なのだろうと予想はしながらも、僕は違う答えを紡いだ。

「です! でも、その前、紅茶、淹れますね」

 上質なソファーに腰掛けながら、手際よく動きまわるアニムを見つめる。膝までの長い裾を翻しながら、あっという間に紅茶とお菓子を用意していく。
 この世界に来た頃は、湯の沸かし方にも戸惑っていたのにね。それに、ウィータが好きな茶葉の量や、美味しい淹れ方を一生懸命覚えようとしていた姿を思い出すと、感慨深いね。

「アニム、この間お土産に送った東方のお茶は、やっぱりアニムの国の物と似ていたみたいで、安心したよ」
「はい、改めて、ありがとうです! 私の国よりは、近い国の似てたです。大好きなお茶、似てて、嬉しかったです!」

 アニムの顔が、一段階きらめきを増した。表情を崩して、とても嬉しそうに微笑んでくれた。送ったかいがあるというモノだ。
 とは言っても。ホーラの馴染みだという東方の茶葉店でラスターが購入し、それを託されて僕がウィータに転送した、という聊(いささ)かややこしい経緯がある茶葉だ。巻き込まれてはいるけれど、ある意味では第三者な僕は、楽しくて仕方がないけれどね。

「あの時は、手紙ありがとうね。今夜、酒会の後に、そのお茶を頂けるかな?」
「はい! 誠心誠意!」
「楽しみにしてるよ」

 ふわりと香ったのは、紅茶からか。はたまた、僕の前で腰に手を当てて、意気込んだアニムからか。どちらにしろ、鼻腔を刺激した甘い香りに、頬は勝手に緩んでいく。
 べたつくモノではなく。金平糖のように、小さな可愛い欠片がもたらしてくれる甘い時間。もしかしたら、その中毒に溺れかけているのは、ウィータだけじゃないのかもしれない。

「まぁ、ウィータなら、蜂蜜みたいな濃度にも、喜んで浸るだろうけれど。いや、ウィータが、むしろ、望んでいるのかな」

 アニムが運んでくれた紅茶に、そっと口をつける。こくんと飲み込んだ、ほんのりと紅を纏った茶が、呟いた言葉を喉に押し戻した。
 机を挟んで座しているアニムは、幸せそうにお菓子を頬張っている。彼女の世界で言うところの「マカロン」というお菓子に似ているらしい。
 間違いなく。時が流れるほど、目の前の彼女に魅かれている親友。けれど、複雑な状況から、自分の想いを言葉にすることはない。零れ落ちては、いるみたいだけれどね。

「あまくて、美味しいです。センさん、お菓子好き、奥さんの影響、でしたね」
「覚えてくれてたんだね。美味しそうに食べてるアニムを見ていると、僕も嬉しいよ」
「このお菓子、奥さん手作り。すっごく、美味しい、大好きです。それに、嬉しいです」

 一瞬、お菓子が食べられて嬉しいのかと考えた。けれど、アニムの少し潤んだ瞳から、きっと違うのだと悟った。切なさを含んだ、幸せを噛み締めている姿。それが、僕が知る人と重なったから。
 僕が喉を詰まらせていると、甘い匂いに目が覚めたフィーネとフィーニスが、アニムに飛びついていく。アニムは、柔和な笑顔で、彼らにマカロンを差し出した。

「アニムは、嬉しいのかい? どうして?」

 尋ねたことに、深い意味なんてなかった。ただ単純に、会話の切り替えしのパターンとして、出た言葉。
 僕やウィータぐらいの歳になると、ある程度会話が読めるようになる。
 けれど、逆に歳若い人間から発せられる言葉は予想外なモノが多い。なので、何気ない普通の言葉も面白いわけで。
 やはり今日もウィータ絡みで腹部を刺激してくれるのかなと、ある程度、口の端があがった。

「嬉しい、です。だって、好きの連鎖、です」

 アニムは膝に子猫たちを抱えて、思いの外、穏やかに微笑んだ。
 「好きの連鎖」。それが示す意味を考える。前の僕の発言を考えると、きっと、好きな菓子を食べることによって笑顔が伝染するという意味だろう。僕の奥さんが作ったお菓子を食べて笑顔になったアニムを見て、僕に幸せが返ってくるという。
 勢い良く食べ過ぎてむせている子猫たちの背をさすってやりながら。アニムは、やはり、金平糖のような愛らしさで頬をあげる。

「だって、好きな人の好きな人、作ってくれたお菓子、さらに好きになって、また好き伝えたくなる」

 少し斜め上な答えが返ってきて、目を瞬かせてしまった。
 それを自分の言葉の拙さだと勘違いしたのだろう。アニムは頭を抱えて、唸り始めてしまった。

「えっと、ですね。センさん、ししょーの大事な人。でも、それだけなくて、私個人とっても、センさん、大切な人、勝手、思ってます。だから、そのセンさん、好きな奥さん、繋がれて嬉しい。センさん、奥さんのお話、聞かせてくれる時、とっても幸せいっぱい、見てる私、幸せ貰ってるです」

 気がつけば、心の中で頭を振っていた。
 そんな僕に気がついた様子のないアニムは、指にじゃれてくる子猫たちをくすぐりながら、さらに笑みを深めた。暖炉から生み出されている控えめな熱が、空気を揺らす。

「その奥さん、作ってくれたお菓子、食べれる、嬉しい。そのお菓子、私が大好き、フィーネとフィーニスも、幸せそう食べる。上手、言えない、けど……とにかく、幸せの輪!」

 アニムが両腕をめいっぱい使って、円を描いた。
 フィーネとフィーニスは、アニムの突拍子もない行動に慣れているのだろう。特に驚いた様子もなく、膨らんだ腹を撫でで「うにゃ」と欠伸を吐き出しただけだった。
 そのまま、フィーニスは彼女の膝上に仰向けになり、フィーネはフィーニスの腹の上に頭を乗せ、寝息を立てた。

「私、この世界きた時、一人でした。もちろん、ししょーやセンさん、いたから、今、知らない場所でも、生きてる。けど、ほんとはね、能天気な私でも、しばらく、寂しかったです。言葉上手く使えない、何も出来ない、自分だめばっかり。はじめて、自分の存在意義、考えて落ち込んだ。あっ! これ、ししょー、内緒、お願いします!」
「わかっているよ」
 
 慌てて立ち上がりかけたアニムの肩を、軽く叩く。
 落ちかけた子猫たちを支えているアニムは、さすがだよ。そんなアニムの手に、吸い寄せられるように擦り寄っている子猫たちもね。
 アニムの言いたいことがわかるなんていうのは、おこがましいのだろうか。異世界からたった一人喚ばれた彼女の心境を、ずっと生まれた世界にいる僕が理解するのは不可能なのかもしれない。
 僕たちも、アニムがこっそり泣いているのには触れない。だれよりも、彼女がそれを望んでいないからだ。

「でも。引き篭ってても、私、幸せたくさん感じてる。それ、ししょーやセンさん、おかげ。ししょーも大切。けど、私とったら、センさんも大切な人、です。そんなセンさん、大切してる奥さん、間違いなく素敵な人。お菓子から奥さん感じて、幸せ貰える私、果報者。って、あれ。言いたいこと、変わってる?」

 一言ずつ、噛み締めて紡ぐアニム。拙いけれど、心からの言葉だとわかる。
 僕は静かに彼女の隣に腰掛けると、そっと髪を撫でてみる。苦労を知らないのだとわかる、艶やかな髪。わずかに潤んだ瞳は、穢れを知らない色だ。
 けれど、アニムの気持ちと言葉が、彼女はこの世界のだれよりも孤独なのだと、僕に知らしめる。言葉に含まれた……滲んでいるのは、彼女が生きてきた道からなのは間違いない。と同時に、察することが出来るのは、きっと、それだけではないのだと容易に想像出来る、時折出る、引いた目線。

「――ありがとう」

 お礼を呟くのが、やっとだった。これ以上の慰め、いや、受け入れは僕の役目じゃない。
 軽く頭を引き寄せて髪を掬うと、アニムは照れくさそうにしながらも「こっちが、ありがとです」と笑いを零した。
 きっと、アニムと僕の距離はこんな感じなのだろう。ふいに、視界が揺れたのは、親友の恋の行く末を思ってからか。はたまた、自分に動揺したのか。わからず、とにかく、人好きされる微笑みを浮かべた。

「さて、今日こそ、ウィータの苦手な物を当てられるかな?」
「今日こそです! 辛味きのこ以外の、絶対当てる、です!」

 かちあったアニムの瞳には、わずかにだけれど、心配の色が浮かんでいた。
 それでも、僕が片目を閉じておどけて見せてれば、アニムは鼻息荒く片腕を突き上げてくれる。
 腕がおろされる時。さりげなく、耳元を撫でられた気がした。それは、ただ近い距離、指が掠めただけなのか、意図的だったのか。親友の春の訪れに、無理やり笑みを向けた僕には、考える余裕はなかった。

 

― おわり ―






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