引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

  

― エピローグ ―
引き篭り師弟と、月下の華燭(かしょく)

「明日は、満月です。添え月と、子月も、現れるですね」
――えぇ、とっても綺麗。綺麗すぎて、悲しくなるくらいだわ――

 少女は私の身体の一部に座込み、空を見上げている。
 身体、というのもおかしいかしら。意識の中で首を傾げてしまった。
 揺れた手――枝からはらはらと花びらが舞わせる。少女は嬉しそうに手を伸ばして、私の一部を掴もうと遊びだした。
 そんな彼女の姿が愛しくて、羨ましくて。さよさよと枝を揺らせば、少女がそっと幹に寄り添ってくれた。
 片手ほどの人数を受け止められる広間のような場に、角灯と酒が置かれている。
 異世界からきた少女は、最近ようやく魔法が使えるようになってきた。私を畏怖ではない瞳で見てくれる、数少ない人のうちの一人。
 浮遊魔法を覚えた彼女は、恋人がいない夜、こうしてこっそりと遊びにきてくれるのだ。魔法水にひたり、ただただ空に伸びていくだけの私に、再び『楽しい』という感情をくれた少女。
 彼女の家族である愛らしい子猫たちは、舞い散っている花びらとなにやら相談しているようだ。
 私に何かを期待するのではなく、純粋さと無邪気さを投げかけてくれる存在。まっすぐな反応をくれる彼らの影響で、久しく眠らせていた『感情』が蘇ってきたのは、幸か不幸か。
 カローラという名を貰ってから、ぐんぐんと人間染みていった分身を羨ましく思う機会が少なくなっている程度には、喜んでいるのだと思う。

「見えるのに、届かなくて。届かないくせに、姿を見せてる」

 少女は数歩前にでて、頭上の月を見上げた。出会った頃よりは随分と伸びた髪。風にすくわれ、紫色の腰下の髪が靡けば、続けといわんばかりにスカートの裾が広がる。
 あの子がいれば、慌てて押さえていたかもしれない。

「お月さま」

 私が焦がれる月は、昔と変わらず大きい。大きいのに、届かない。まだ、全然足りない。眠っている間にあの人に近づければなどと願ったのは、都合が良すぎたか。
 可憐な容姿に似合わない掛け声をともに、少女が淵に腰掛けた。いや、この少女の外見と中身の差は、今に始まったことではない。本来は、もう少女と呼ぶ年齢でもないのだけれど、私からもあの子から見ても、彼女はいつまでたってもみずみずしい。一度、口にしたところ、「外見は、精神年齢に、影響を及ぼすです!」と真っ赤になって拗ねられてしまった。
 足を遊ばせ、流される甘い歌声。少し離れた宙で花びらたちとなにやら相談している子猫たちも、真似るように歌いだす。穏やかな空気に、体の真ん中が痛む。

「湖映る月のが、近いなんて。切ないね。人の、心みたい。本物の心は、本物の月。届きそうなのに、いつまでたっても、届かなくて。幻みたいな心は、届くけど、揺らいで」
――あの子と、どうかした?――

 私の過去など知らぬのだろうに。少女は、まるで私の心を代弁したような言葉を紡いだ。
 こんな姿になった今でも『心』などを持つ、いや思い出してしまった自分。私は人であったあの頃は、この心をどう表現していたのだろう。切り離して眠りについたはずなのに、あの子と少女が想いを思い出させる。
 私と正反対の強さを持つのに、私と重なる少女。時折、異世界から来たこの少女は、自分が作り出した理想の幻影だと錯覚するほどの存在だ。


 しばらく、沈黙が続いた。子猫たちの甘いはしゃぎ声と、風だけが鳴っている。
 どこか憂いを帯びた少女が、小さく頭を振った。

「物語の、お月様に昇った魔法使いと、地上に残された奥さんの話、思い出すです」

 少女から口から出たのは、質問への回答ではなかった。
 予想外の言葉。私は言葉を返す術を失ったかのように、全身が軋んだ。少女は首を傾げつつも、溜め息をついた。

「奥さんも、月見上げて、こんな想い、抱いたのかなって。それでね、届かないけれど見えてるのと、新月みたく姿みえないの。どっちが、寂しさ薄れたのかなって」
――どう……かしらね。貴女は、どちらだと……思う?――
「私なら、伸ばしても、伸ばしても、届かない手。けど、きっと、見えてて欲しかったのかな」

 膝を抱え込んだ少女の表情は見えない。けれど、愛らしい声はわずかに滲んでいるように聞こえた。
 彼女の気持ちは、理解しえない。私はもう失ってしまった感情だから。であるのに、どうしてだろうか。もうやめて欲しいのに、続けて欲しくもあるのは。

「フィーネがね、言ってたです。新月は、月にいる魔法使いが、奥さんを想って、泣いてるから。奥さんに見えないよう、隠れてるんだって。奥さんは、魔法使いの気持ちを、きっとわかってる。だから、自分が悲しくなっても、月、見えてたほうが、いいのかなって。お互い、思ってるのに、お互い、我慢して。昨日、涙が、とまらなくなったです。物語なのに、おかしいですよね」
――アニム――
「へへっ。ごめんです。私、ちょっと、情緒不安定」

 めったに名を呼ばない私に驚いたのだろう。目を見開いて見上げてきた少女の闇色の瞳には、雫が浮いていた。あぁ、まんまるで。まるで頭上の愛しい月のよう。想いが満ちる月は、明日だけれど。
 それだけ私を困らせたと考えたのだろう。少女はすぐさま、照れくさそうに目を拭った。
 なぜ、少女が突然物語について語ったのか。その真意は不明だ。が、彼女が情緒不安定になる要因は思いついた。

「明日ね、結婚式、するです」

 あの子が愛してやまない少女に結婚を申し込んだのは、つい最近のことだ。感情の薄れた私でさえ、狂気に近い愛情を抱いていると思えるあの子。なのに、それが歪まずにいられるのは、ひとえに少女のおかげだろう。
 とはいえ、私の感覚なので、実際の程は不明だが。
 あの子は、この場で長時間葛藤したあげく、叫ぶように求婚したのだ。あの子は私が寝ていると考え、この場を選んだのだろう。実は聞いていたと告げたら、きっと、真っ赤になってうずくまるに違いない。
 生きる歳月に逆らい、随分と可愛らしくなったものだ。
 もちろん、少女からも直接報告を受けた。いつも以上に瞳を蕩けさせ、幸せの塊といった微笑みを見せてくれた。ずっとともに暮らしているとはいえ、関係の変化に戸惑っているのだろうか。

「皆さんが、一生懸命、準備してくださってね。ここにいる幸せ、改めて実感したです。したら、ちょっと、あの時のこと、思い出しちゃって」

 少女が眉を垂らして見上げてくる。
 あの時。記憶の波をたぐる。

「マリッジ・ブルーいうやつですかね。とっても嬉しいのに、幸せすぎて、ウィータが遠く、思えて。変ですよね。一緒なってくれ、言われて、結婚式するのに。今まで、そんなの、全然考えてる素振りなかったのに……今になって、急にどうしたのかな、なんて」
――大丈夫よ。貴女とあの子なら。傍にいられるよう、努力しあっている貴女たちなら。あの子の言葉が足りないのには、困ったものだけれどね――

 そう、きっと私たちとこの子たちの決定的な違いは、そこなのだ。
 過去には離れた。けれど、次元の壁という、どうしようもなくなる別離が訪れる前に、努力し考え言葉にした。とりつかえしのなくなる前に、決断した。
 今でも滑稽に空へと伸び続けている私とは大違いだ。

「ありがと、です。そうですよね。傍にいたい願って、彼の体温感じられる距離にいて、一歩踏み出してくれたですから、私もちゃんと、受け止めたい。素敵な奥さん、なれるよう、がんばろ!」

 頬をたたいた少女がすくりと立ち上がる。
 月を見上げる瞳に、もう迷いの色はないように思われた。

「始祖さんも、頑張って、お空、目指してるですもんね!」
――……えぇ、どちらが素敵になれるか、競争ね――

 私に、心臓、というものがあるならば、間違いなく数秒は止まっただろう。前に、眠りに落ちる少女に、ぽつりとだけ零した話を覚えていたのか。
 やりきれない想いがふつふつと沸いてくるのと同時、あたたかい笑みをくれる少女に泣きたくなった。

「明日は、満月、ですね。なんだか、とっても、素敵な光で、故郷にも、私の幸せ、届くみたい」

 少女は目を細めて、月に手を伸ばす。届かないなどと思わせない、凛とした瞳で。
 彼女の故郷での存在値を奪った私に、幸せそうにお礼を告げてくれた少女。「それは、私が持つべき、感情です。始祖さんは、私に、幸せくれただけ、思っててください。恩着せても、いいのにですよ」と爽快に笑って見せた。
 その時、寝ぼけ眼に思ったのだ。どうか、この少女には祝福を。始祖などという立場も威厳も関係なく、ただただ、この少女が笑っていられますようにと。あの子以外のために祈ったのは、いつぶりだろうか。
 あぁ、どうか。この少女とあの子が、幸せでいてくれますように。始祖などという仰々しい名を冠にする樹ではなく、許されるなら、ただの私として願いたい。
 ふいに、子猫たちと遊んでいた花びらが、軌道を変えた。と、少女から小さな悲鳴があがった。逆に、私は笑ってしまった。

「しっししょー! 急に、現れるは、心臓、悪い!」
「うっせぇ。つか、師匠になってるぞ。婚約者――未来の夫にむかって、それはないだろ」
「だって、急に目の前に落ちてくるから! つい、癖で!」

 少女の言葉通り、あの子は突然姿を現した。
 私には、上空に転位してきたあの子を認識出来ていたけれど。

「アニムが……変なポーズとってるからだろ」
「変て。お月さんを掴もうと、してただけ」
「あほアニム。言ったろ。どこにもやらねぇって」

 いまいち会話がかみ合っていない。この子が、こんな感情を抱くようになるなんて。どこかくすぐったくなる。
 正面から抱きすくめられていた少女が身じろぎすると。あの子は渋々といった調子で、わずかにだけ隙間を作った。とても、不機嫌そうね。
 あの子の表情を見た途端、少女は肩を揺らして笑い出した。

「お月さんに、やいてくれたの?」
「心が狭くて、悪かったな。帰ってみたら、アニムがいなくて。見つけたと思ったら、消えちまいそうだし、なんて、久しぶりに思ったりなんて、してさ」
「うーん。神秘的だった、いう意味?」

 少しずれた少女の返答に。稀代の魔法使いと称賛されたあの子は、情けない表情で肩を落とした。
 それでも、少女の腰にまわした腕は離さない。それどころか、拗ねた空気で詰め寄った。

「軽いな、お前」
「うん。だって、私がウィータの前から、消えるなんて、有り得ないもん。むしろ、離してなんて、あげないんだから」

 あっという間に、再び抱きしめられた少女。あの子は泣きそうな顔だって教えてあげたら、嬉しそうに笑うかしら。いいえ、恐らく。あの子の様子なんて、全部把握出来ているだろう。証明するように、微笑みを浮かべている少女は、あの子に甘く擦り寄っている。
 さよさよと花びらを舞わせると、月明かりでもはっきりとわかる様子で染まったあの子に、睨まれてしまった。少女が「綺麗だね」と笑ってくれるから、別段気にしないけれど。
 少女の言葉を飲み込むように、熱い口づけが落とされたのは見ない振りをしておこう。

「その割には、お前、最近様子がおかしかったじゃねぇか」

 あの子の手が、寂しげに少女の頬を撫でた。
 当たり前のように、少女の肌はあの子の手に吸い付いていく。少し躊躇った後、少女は小さな息をもらした。

「あのね。ウィータが、急に、結婚式とか、言い出したから。どうしたのかなって。だって、ウィータが、告白とか、変わったのするときは、大抵、勝手になにかを、決意してるから」

 潤んだ、少女の声色。あの子は吸い込まれそうに、一瞬身体を前のめりにした。
 少女の調子に、口づけしている場合ではないと悟ったのだろう。あの子は音を立てて座り込んだ。足首を掴んで、俯いていている。少女も静かに倣う。
 やがて耳まで染めて、唇を尖らせた。
 あぁ、あの人を思い出させる。どんなに時が経っても、彼の思い出だけは薄れない。薄れてはくれない。

「けじめだよ」

 ぶっきらぼうに吐き出された声。わが宝ながら、もっと言い様があるでしょうにと、腕を揺らさずにはいられない。
 実際、冷たい風を伴って、花びらを舞わしてしまった。

「赤ちゃんは、いないよ?」
「んなの、百も承知だ。宿ってりゃ、魔力でオレや子猫たちにはすぐわかるし。いや、出来てればもちろん嬉しいが。オレは、まだいい」

 少女が不思議そうにお腹を撫でれば、あの子はさも当然のように手首を掴んだ。
 不老不死は子どもを宿しにくい。故意ではないとは言え、私の加護を受けている命は、いわゆる人の理から外れた異質な存在だ。個の命を絶えさせない、呪い。私と共に命を歩ませるような。
 あぁ。あの時、彼と宝に未練を残さなければ、こんな呪縛の魔法は生まれなかったのだろうか。いや、やめよう。多くはない私の加護を受けたものたちは、否と頭を横に振るだろう。少なくとも、眼下の子たちは。
 ならばなぜと、少女が詰め寄る。

「最近さ、外で生活する機会も増えたろ? 婚約者って立場はさ、結構微妙なんだよ。二人でいる分には問題ねぇが、虫よけにはもってこいつーか。対外的には、大事つーか」
「虫よけ、ですか」
「いやな! もちろん、アニムが式を挙げたいんじゃねぇのかって、ずっと考えてはいたのもあるんだぜ? お前の花嫁姿も見てぇし、フィーニスとフィーネも喜ぶし」

 少女が何事か言葉を発する前に、あの子どもが少女の頬を両手で包んだのが見えた。

「覚悟しておけよ。アニムは一生、オレので。オレはお前だけのだからな。だから、大人しく、オレの愛妻になっとけ」
「うん! ウィータも、私だけの旦那様、だからね。これからも、末永く、お願いします。あ・な・た。ずっとずっと、愛してるは、変わらないよ」
「――っ! 天然爆弾発言娘なのは、全然かわんねぇよな。アニムって」
「ししょーは、とっても、理不尽!」

 にらみ合って数秒。樹を揺らすほどの笑いが、静寂を壊した。
 それは、とても心地よくて。私の半身を包んでいる湖も、輝きをました。

「あー、ありゅじー! おかえりなのぞー! ふぃーにすたち、明日のあにみゅのお嫁さん飾り、あつめたのじゃ!」
「あにむちゃのお嫁しゃん、とってもとっても、たのしみなのでしゅよー! ふぃーねたち、花びらしゃんたちと、いっちょ踊るから、楽しみにしててくだしゃいねー!」

 飛びついてきた子猫たちを受け止め、極上の笑みを浮かべた――ウィータとアニム。


 どうか、次元を越えて巡り合ったこの子たちが、世界中のだれよりも幸せに包まれ、添い遂げられますように。願わずにはいられない。
 これが、親心というものだろうか。始祖としては不謹慎な望みにも、今はただ、全身を喜びが駆け巡っていく。ありったけの祝福をこめ、腕を揺らせば。月明かりがちらちらと、揺れた。
 かたく繋がれた手をちょっぴり羨ましく思った私を、頭上の月が笑った、気がした。
 馬鹿ね。私だって、いえ、私だからこそわかっているのよ?
 昔話よりも遠い過去には存在していなかった添え月と子月。それは宙《そら》に大きく浮かぶ月とは本質的に異なる、魔力の塊だってことを。月《あなた》が伝えてくれる愛であることを。私だけが。
 でも、そうね。いつか、宝たちにだけはこっそり教えてあげようかしら。人で言うならば。孫と呼ばれる生命が誕生する、その時に。


――引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。 完 ――



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