引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

番外編
バレンタイン番外編の師匠視点と、おまけにホワイトデーSSです。
文字数多すぎたので、読みやすいように会話と地の文の間に改行いれてます。
以下、ちょっとお気をつけくださいな部分。
※本編最新話(引き篭り師弟と、別離のち出会い)までのというか、そのあたりのネタバレあり。
※師匠がデレまくり。
※師匠が可愛い言いすぎ。
※師匠がやましいこと考えてばかり。
※師匠が大人気ない。心が狭い。
※糖分過多で胸焼け警報


引き篭り師弟と、あまい時間

「甘い香りがしてるな。アニムのやつ、菓子でも作ってるのか? そういや、昨日、ベッドでレシピとにらめっこしてたっけか」

 ホーラから頼まれていた魔法道具の生成が一段落し、地下からあがってくると。冷たい空気に交じって、調理場から話し声が聞こえてきた。ちっ。センのやつも休憩にきてやがったのか。
 アニムと二人っきりになれると、どこか浮ついた気持ちになっていたのに。水を差された気がする。ここ二・三日、寝る直前くらいしか、ろくに会話も出来なかったから、アニムの声と体温を堪能できると思っていたのだが。
 無視しておけばいいかと調理場を覗き込む。俺の目に飛び込んできたアニムは、花に唇を寄せていた。血色の良い唇に触れているのが、ただの花や子猫たちが摘んできたものなら、微笑ましくも思えよう。

「……おい、アニム。それはどういう意思表示だ」

 が、アニムが微笑みながら口づけをしている花は、ラスターから送られてきたものだ。料理に対する礼が添えられていたからと、調理場に飾っていた記憶がある。本来なら、他の男からのものなど、暖炉の火種にしてやるところだ。
 しかしながら、アニムの中でラスターは女としか認識されていないし、子猫たちも甘い香りだと喜んでいたので、ぐっと堪えた。
 けれど、せめてアニムの手が届かないような高さに置くべきだったか。

「あれ、ウィータも休憩かい? アニムが僕のために淹れてくれたお茶だけど、まだ淹れたてだよ」
「オレには毎日淹れてくれてるからな」

 わざとらしく、湯気がのぼっているカップをあげてみせやがったセン。ふんと軽く鼻を鳴らすと、案の定、腹を抱えやがった。
 アニムはアニムで、挙動不審だしよ。花への口づけにやましさでもあったのか、こいつは。
 アニムの横に座り、思わず視界を細めてしまう。

「センはどうでもいい。で、アニムはなんで、ラスターが贈ってきた花になんぞ、口づけしてたんだよ」
「え、そこ? 特に意味なんて、ないですよ。お花、良い香り、思って」
「あっそ」

 もちろん、アニムの返答など予想がついていた。想像と違わず、きょとんと目を瞬くアニム。安心するところなのかもしれねぇが、一人であほみたいだろと、つい頬杖をついて顔を背けてしまった。
 自分でも有り得ない反応だと思う。ったく、一体どうしちまったんだかというくらい、アニムの一挙一動に振り回されてばかりだ。向かい側で突っ伏しているセンの足は、アニムには見えないよう、机の下で蹴り飛ばしておいた。

「ししょーも、かぐ?」

 花瓶から花を取り出したアニムが、俺の頬に花をあててくる。おい、なんだその可愛い行動は。鼻にじゃなくて、頬を叩くとか可愛すぎるだろ。それでも、アニムの白い手にあいつからの贈物が握られているのには腹が立って、花を奪ってしまった。
 俺の行動の意味など解さないアニムは、俺と花をじっと見つめてくる。笑っている顔は当然のこと。この、どこかきょとんとした表情は、たまらない。真っ白で、純白な感情。そこに色をつけたくなる。俺が触れたら、どんな色を浮かべてくれるのだろうと、踏み込みたくなるんだ。
 昔の俺ならば、結果が大切だった。でも、『目の前のアニム』は別格だ。反応が予想通りでも、突拍子がなくても構わない。アニムが俺のために浮かべてくれる色、それだけで心臓が跳ねる。

「ったく、存在自体が魔法だよ」

 近すぎる距離でも、アニムは聞こえなかったらしい。俺が頬を叩く感触や、唇を押した親指に気を取られているらしかった。
 たった一人にした恋。けれど、何度だって落とされる。
 魔法のない世界で生まれたアニムにとって、魔法は不思議な存在らしい。が、俺の繰る魔法には理屈がある。俺がアニムに惚れる理由は、俺の魔法理論とアニムの魔法認識、両方な気がする。理屈はあるのに、それだけじゃない。説明のしようがない、感情。
 自分でさえ、熱が篭っている自覚はある眼差しを向けているのにも関わらず。当のアニムは、ただ戸惑いを浮かべるばかりだ。はっきり口にしねぇとわからないのか、あほアニムが。

「あほアニム。オレはこっちが欲しいんだよ」
「ちょっ! ししょー、待って! センさん、いるですよ!」

 苦笑交じりに睨んでやる。
 とたん、アニムは慌てだした。横目でセンを捉えながら、俺の肩を押してきやがる。本人的には精一杯なのだろうけれど、俺にとったら赤子の手を捻るがごとく、簡単に押し倒せる力だ。実際、強行に及んでアニムに拒絶されたくはないので、素直に押されておくが。
 センは俺の心情などわかりきっているのだろう。俺とアニムを交互に見たかと思うと、爆笑を響かせやがった。アニムは安堵の表情を浮かべたが、俺はしっかりとセンに合図を送る。さすが物心ついた頃からの付き合い。充分に意味を理解したセンは、仕方ないと、わずかに眉を垂らし目じりを拭った。
 つか、わかりやすい意思表示に気付かないのは、アニムくらいだ。それでも、ただの弟子だった時期よりは、かなりましになったと言えるので、我慢しておこう。水晶の花畑で完全に落とされてから、ここまでくるのに結構な時間がかかった気はするがな。

「僕はまだ恋天使のハンマーに潰されたくないからね。可愛い奥さんが、待っているし。また子猫たちが戻ってくるだろうおやつの時間になったら、戻ってくるよ」
「センさん?!」

 センといい、ラスターといい。恋天使のハンマーとかよく言うぜ。心臓に悪い。ラスターなんて、いつか過去の件について口を滑らせるんじゃねぇかって冷や汗が流れる。
 過去についてでなくとも、『ラス』の想いをってのも危惧の一部だ。本人は今更どうこうしようなんて思ってないと呆れ笑うが、最近のラスターの挙動を見ている限り、はいそうですかとは素直に頷けない。むしろ、悪化してんじゃねぇのかと疑う瞬間さえある。
 アニムの気持ちを疑うなんざ欠片もしねぇが、稀代の大魔法使いと呼ばれる俺だって、好いた女の前ではただの男だ。嫉妬なんていつもだし、戒め上、想いを口にしていないし。ましてや抱けない現状では来るべき日より以前に、アニムが愛想つかして心変わりしちまねぇかと不安にもなる。

「無自覚なアニムが、一番たちが悪い」

 気持ちだけで動けない。下手に年をくっているのに加え、世界の理に縛られている自分が、だれよりも罪深いのは承知しているけれど。生まれてからこの方、『始祖の宝』という立場を疎ましくとらえたことなどなかったけれど。たった一人の女の前で、今までの価値観がいとも簡単に覆っていく。
 溜め息混じりのぼやき。当の本人は、センに助けを求めているので気付きもしない。

「ウィータもようやく、恋をしったんだね。ディーバと僕が薔薇色人生なのを理解したかい?」

 音になっていなくとも瞳で語られ、半目で睨んでやる。アニムのいない酒の場で、しつこいくらい言われ続けている言葉が鮮明に再生される。が、センは意味深に笑うだけだ。
 その代わり、立ち上がったセンに動揺したのはアニムだった。
 俺を前に、他の男に気を取られるなんざ良い度胸じゃねぇか。

「アニムはもっと物事の意味を考えろ。寝室に飾らなかっただけましだが、さすがにあんな顔で、他の男から贈られたもんに口づけしてるの目撃したら、心臓がつぶれる」
「んっ」

 強気な台詞を吐きながらも。口づけは、やたら弱々しくなってしまった。人前でのふれあいを恥じるアニムのことだから、拒否されるかもという危惧があっての距離感。
 であるのに、もっとと言うように背中をつかまれ。ひゅっと、呼吸が乱れた。けれど、強引に触れた以上、唇を割るのは気が引けて身体を離してしまう。
 つか、本人に自覚はないだろうが。物足りなさそうに唇を弾ませるのはやめろ! 恨めしそうに上目で見つめてくるな!

「アニム、よく考えてみろ。オレが他の女から花を受け取ったとして、それに唇を寄せてたら、どう思う」
「ししょーが、お花受け取る、想像不可能」

 うん、まぁ予想の範囲の回答だ。アニムは決して頭の回転は鈍くないのだが、男女関係にはめっぽう疎い。俺自身、女から花を受け取るのなんざ想像できないわけだが。ディーバやルシオラからはまだしも。
 というのも、昔、珍しい魔法花をうっかり受け取ってしまい、花言葉がなんだの答えがなんだのと詰め寄られて以来、くれるつったもんをただ受け取るのが、あそこまで面倒なのかと全て拒否するようにしていたからな。
 つか、アニム。つい先日、南の森に出かけた際、お前からの花、受け取ったよな? ついでに付け加えると、ディーバから貰ったという花言葉集を片手に「このお花、あなたしか見えない、いう花言葉、だって。ししょー、貰ってくれる?」ってめちゃくちゃ可愛い笑顔で唇に触れさせてきたのはどこのアニムだ! 押し倒したい衝動を必死に耐えた俺の努力はどこへ!

「あほアニムが! 質問の意図を考えやがれ!」

 それを口にしたところで、アニムが今更に、じゃあ意味は内緒にしておきましょうと的外れな反応を見せるのはわかっている。ので、百歩譲って、頬を引っ張るだけにしておいてやった。
 一歩詰め寄れば、わざとらしくそらされる視線。

「絵になるな、とは思うデス」

 絵になるのはお前だろ。アニムが持つ柔らかな空気と甘い香り。鼻をつく甘ったるさとは違うし、華美な色ではないけれど。南の森の花畑に咲き乱れるような、パステルカラーに混じる色濃さ。愛らしいのか強いのか不明な様子は、ある意味猛毒だ。
 って、そうじゃないだろ俺。

「あー、悪かった。遠まわしなオレが悪うございました。花を人に置き換えてみろよ」
「人にって……ししょーが、別の女の人と、口づけしてる、いうこと?」

 ようやく理解したか。うんうんと満足げに頷いてしまう。
 普段、俺ばかりが妬いているからな。たまにはアニムにも妬いて欲しいのだ。大人気ないことこの上ないし、そんな自分に一番驚いているのも俺だ。

「なっ? 腹が立つだろ。ラスターからの花に、お前が口づけしてるの見た時の、オレの気持ちがちったー理解で――」

 遠まわしだが、やっと伝わったことに嬉しくなったのがいけなかった。
 俯いたアニムから、ぽつりと一滴雫が落ちたのが見えた。しまったと内心で舌を打ったのとほぼ同時、今度は何故か「フィーニスとフィーネ、お尻、ふりふり」という謎の呟きが聞こえてきた。
 まじで一体、どうしたと手を伸ばしかけたところで、顔を上げたアニムがふんと鼻を鳴らした。

「あれですよ! ししょーは、経験豊富、ですからね。どうせ、私はお子ちゃま! 次からは、気をつけるですよ。ラスターさんと、私の口づけは、想像出来ない」
「おい、アニム」
「あっ、おやつ用の前に、小さなお菓子、焼いてくるね! あまりの美味しさに、びっくり、しないでね!」

 やけに高い声色で、一気に罪悪感が湧き上がってきた。経験上、アニムがわざとらしく挑戦的な言葉をなげてくる時は、不安や落ち込みを誤魔化しているのだ。
 にへらと笑いかけられ、確信に変わった。目の前の『にへら』はしまりがない笑みではなく、
引きつった部類のそれだから。
 逃げるように立ち上がろうとしたアニムを、反射的に抱きしめていた。情けない調子で、柔らかい髪に擦り寄ってしまう。

「ごめん」
「ししょー、謝ること、何にも、ないですよ?」

 俺を責めるのではなく、焦り交じりに背中を掴んでくれるアニム。顔をあげようとするアニムをより強く抱きこみ、首筋に顔を埋める。
 アニム自身の香りと、菓子の材料の甘さが混ざり、くらくらしてしまったのもあるが。

「オレのちっせぇ心で妬いて、アニムを泣かせた」

 アニムが嫉妬してくれたなら嬉しいが、それ以上にこいつの涙は心臓に悪い。他意のなかったアニムの言動に、勝手に妬いたのは俺だし。
 と、反省していた俺の頭に、小さな振動が伝わってくるじゃないか。おい、これはと瞼を落とした。

「ししょー、可愛いね」
「毎度まいど言うが! 稀代の大魔法使いであるオレに可愛いなんざいうの、お前くらいだ! あほアニム!!」

 全く! 頭を撫でる手つきは気持ち良いし、アニムから小さく零れる笑みも可愛いが!
 可愛いと称され嬉々として笑ってみせる男は、そうそういないだろ。しかも、惚れた女に。特に幼少の頃から大方の人間に一歩引かれていた俺には、縁のない言葉だ。それをこの年――二百六十歳にもなって、二十歳そこそこすぎた娘に可愛いと頭を撫でられるなど、だれが予想できたか。

「ねぇ。ししょー。じゃあ、ししょー、撫でるのも、可愛い言うのも、私、ぐらい?」

 であるのに。腕の中にいるアニムは、今にも歌いだしそうな声調じゃないか。確か、あれだ。きのこ狩りの帰りに初めて言われてから何度も尋ねられている。その度、特別なのかなとか師匠の近くいる感じだとか、照れくさそうに微笑まれては、理性を揺さぶられている。

「そう言ってるだろうが! オレの師でさえ、誉める時は、肩を叩くくらいだったぞ。頭を撫でるだとか、可愛いなんて称するのは、アニムくらいだぜ」
「そっか……。そっか、嬉しいなっ」

 いつもと違う、喜び全開ではなく、噛み締めるように呟かれ。心臓が有り得ないくらい、跳ね上がった。いつの間に、こんな色で囁くようになったんだ。無邪気に喜ばれたなら、あほアニムと頬を引っ張ってやれるのに。腕の中のアニムは、擦り寄るように、だけれどきつく抱きついてくる。
 つい最近までは恋を覚えたばかりの娘のようだったのに、いつから複雑な感情を抱く女性になってしまったのか。嬉しいような切ないような。自分でもよくわからない感情から、溜め息が落ちた。
 体の成長が止まっている自分。置いていかれているような気がして、恐怖でも抱いたのか? いい年して、情けない。
 離れていかないようにと、より強く閉じ込める。痛いと身をよじるかと思ったアニムは、肩を揺らして笑い始めた。

「いまいち、お前の喜びどころがわからねぇんだが」

 俺の執着心など知らぬから笑えるのだろう。アニムの性格からして、万が一にも年上を手玉に取れたという優越感じゃないのだけは間違いない。だから余計に、アニムの喜ぶ点がいまいちわからない。
 恨めしさを込めて睨んでみても、アニムは満面の笑みを返してくる。これ以上は心臓に悪いと距離を取り、頬杖をついて遠めに見つめても、やはりアニムは微笑むだけだ。それどころか、鼻歌交じりに菓子作りを再開しやがった。
 やがったとは言っても、楽しそうなアニムの邪魔をする気にはなれないし、心が和むから困る。
 小走り気味に隣の窯部屋に移動したアニム。翻ったスカートの下、ほどよく肉がついた純白のふとももに喉を鳴らした自分が情けなくて、机に突っ伏した。

「えっとね。私、ししょー相手で、初めてばっかり。だから、ししょーの初めて、欲しいなって、思ってたの。だから、すごく幸せなの」

 がちゃんと。重い鉄の扉がしまる音が響いた。なんつー爆弾発言しやがるんだ!
 いそいそと戻ってきたアニムを、つい口を歪めて見つめてしまう。そんな俺さえも嬉しそうに眺め、隣に腰掛けてくる。苦し紛れに、髪を撫で回してやった。

「オレは、早く、お前の『初めて』を奪いたい」

 つい、ぽろりと落ちた本音。アニムに男の経験がないのは『知って』いた。が、少し前にアニム自身から経験があるような台詞が出て焦ったっけか。いくら『知って』いても、心底惚れた女からそんな意味合いの言葉を吐き出されては、心臓も凍ろう。過去が現在と繋がるなんて保障は、どこにもないのだ。実際、その当時は保障なんてもの考える余裕もなかったのだが。
 初めてでなければ駄目という訳ではないが、狂おしいほどに惚れた女の『初めて』を欲しいと願うのも、男の性だと思うのだ。って、だれに言い訳してんだよ。俺は。

「え? 私、ししょーが、初めて、ばっかりだよ?」
「あーはいはい。ありがたいことです」

 耳元で囁いてみせても、アニムが危機感を纏う気配は皆無だ。むしろ、鈴を転がすように笑いやがった。おそらくどころか、全く理解していないのがわかる。
 くすぐったそうに身をよじったアニム。これ以上触れ合っていると、押し倒してしまいそうなので、大人しく身を引いておいた。
 茶でも飲んで、落ち着こう。

「ししょーは、かっこいいよ。というか、綺麗。でもね、可愛いししょーも、好き」
「……なんだよ。今日は誉め殺し祭りの日かよ。つか、誉めてるのか? それは」

 相変わらず、男への誉め言葉としてはどうかと思う。アニムの率直さは今にはじまったものではないが、今日は特に多く感じられるのは気のせいだろうか。
 つか、おい。待って下さい。ほんと、勘弁してください。
 数秒前までは隣にいたアニムが、なぜか、背中に抱きついているじゃないか。

「アニムさん、いかがされましたか」
「ししょー、すごく棒読み、ですよ。あのね、ししょーにとって、私だけなこと、あって、嬉しいの。私だけの、ししょー、いて、ありがとって」
「あのなぁ。お前はオレをどうしたいんだよ」

 あまつさえ、頬を擦りつけ「はぁぁ、幸せ」とか呟きやがった。アニムだけの師匠って、むしろお前のしかいねぇよ。
 窯部屋から香ってくるチョコレートの甘さと、背中に張り付いてくる柔らかさ。背中にこすり付けられていた頬が肩に乗せられると、胸の密着が強まった。正直、気持ち良い。本人は大きさを気にしているが、はっきり言って、小さいなどということはない。ぶっちゃけ、俺の好みど真ん中なのだ。というか、アニムの一部というだけで、身体を熱くするというのに。
 しかも、何度か揉んだ胸は有り得ないくらい柔らかく、肌の手触りは滑らか過ぎるほど手に馴染んだ。その弾力が、今、惜しみなく押し付けられているのだ。拷問以外のなんであろう。
 お互いのために可能ならば逃げたいが、あいにくと動けない。

「ったく。勘弁してくれよ」

 赤く染まっているであろう耳を、アニムに見られていないのは幸いか。
 それでも、さすがに忍耐の限界を向かえ、腹に回されたアニムの腕を軽く叩く。アニムは案外素直に離れた。間際に、軽く漏れた声は幻聴だと思っておこう。

「そろそろ、チョコ焼けるかも。ししょー、いきなり、抱きついて、ごめんね?」
「って、おい。アニムだけ満足して逃げるな。当て逃げだ」

 こちらこそ、やましい思いを抱いてすみませんねとは、意地でも口にしない。告げたところで、さらなる追撃を食らうのは、ひを見るより明らかだ。
 ただ、あっさりと身を引いたアニムには、悔しくなった。悔しいというよりも、アニムの甘い残り香りに誘導されたのかもしれない。気がつけば、正面から抱きすくめていた。背中への刺激も美味しいが、アニムの様子がわかる正面の方が嬉しい。少しばかり強引に抱き寄せたにも関わらず、眼下のアニムはゆるい笑みを浮かべた。

「ししょーは、やっぱり、すごい、魔法使いだね。私のもやもや、すーって、消してくれるの」
「話の脈絡はちっとも見えないが……だらしねぇ笑顔に免じて、突っ込まずにおいてやるよ」
「せめて幸せに蕩けてる、表現して欲しい、ですよ。どーせ、私は、ししょーみたく、かわいくない、ですけど」

 唇を尖らせ、上目に睨んでくるアニム。あざとさのある表情なのに、瞳の奥には裏がない。
 俺が出来たことといえば、身を引くことだけだった。あぁ、今日は長い一日になりそうだ。そんな予感だけは確かだ。
 せめて今だけは余裕を見せておかなければと。立ち上がったアニムの頭を、大人ぶって撫でるのがやっとだった。



******

おまけ

――ホワイトデー――

 晴れた日の昼下がり。今日は水晶の森でも珍しい、花降りの日。雨やら雪やらの天気が多い森だが、年に数度、心地の良い夢を見ている始祖が、言葉の通り花を降らせる。身につけるものだけではなく、ありとあらゆる花を。
 久しぶりに庭へ机と椅子を持ち出し、茶を飲んでいる。どこからともなく舞っては、雪の結晶のように弾けて消える花びらを、アニムはうっとりと眺めている。綺麗だと感嘆の息を漏らすアニム。俺が瞳にとらえてているのは、アニムだけだけれど。
 時折、紅茶に降り立つ花びらに微笑むアニムは、この上なく可愛い。さっきも見事に入ってきたオレンジ色のものを見せてきたので、つい額に口づけをしてしまったばかりだ。アニムは赤くなって唇を尖らせたので、そこにも落としてしまったのはご愛嬌。
 今日は例の日の礼をする日らしいので、アニムの希望通り、三倍の量口づけするのは宣言済みだ。
 俺の視線に気がついたのか、アニムは首を傾げて「ししょー?」と甘く鳴く。ので、遠慮なく鼻先に口づけを落としておいた。

「あにみゅー! これ、特別チョコのお返しなのじゃ! さんばいがえし、なのぞ!」
「ふぃーねもね、いっちょ摘んだのでしゅ!」

 ゆでだこみたいに上気したアニムが振りかざした腕を、にやけ顔で受け止めたところに、花束が突っ込んできた。水晶の地面に反射する光にも負けない、輝きを含んだ声を伴って。

「ししょー、お花さんから、フィーニスの、声でてる!」
「あほアニムが。後ろ見てみろ。尻尾が揺れてるだろうが」

 突っ込んでくる花束には、さすがにぎょっとしたのだろう。アニムが椅子を鳴らして立ち上がった。
 正体は、花を抱えたフィーニスたち。フィーネの首に結わっているリボンで、花を纏めているようだ。確かに、小さな体がすっぽり隠れてしまうほど、大きいな花もある。

「フィーニスもフィーネも、覚えて、くれてんだね! 金色に、紫色に、桃色に、藍色。とっても綺麗。ありがと」

 円卓に降り立った花束、もといフィーニス。アニムが最初に微笑みかけたのは花ではなく、その奥からひょっこりと顔を覗かせたフィーニスにだった。
 受け取った花束の香りを堪能し、瞳を蕩けさせたアニム。子猫たちは、もじもじしながらも嬉しそうに鳴く。これは、守護精霊の加護が交じってやがるな。子猫たちを愛でてくれるのはありがたいが、いちいちひっかかりやがる。きっと、にやにやと怪しい笑みでかけたに違いない。

「うなぁ。ありゅじとー、あにみゅとー、ふぃーねとー、ふぃーにすなのじゃ! おりぼんは、うーにゅすなのぞー!」
「でしゅの! おいちーしょこらしゃんの、お返しでち!」
「よく頑張って集めたな。が、これだと四本で、四倍返しじゃねぇのか?」

 しまった。うっかり口に出してしまってから、慌てて口を塞いだが、時既に遅し。ぽかんと見上げてきた子猫たちは、短い手で花の本数を数え……もう一度、アニムを見上げたと思ったら、瞳を揺らしてしまった。
 冗談だったんだが!

「おっ多いにこしたことはねぇーだろ! ほれ、アニムも幸せそうだし!」
「でも、でも……あにみゅは、さんばいがえしが、いいって笑ってたのじゃ。よんばいは、違うのぞ……」

 ぼろぼろと澄んだ涙を落とすフィーニス。こんな時、主とは言っても顎をくすぐってやることしか出来ない。フィーニスの背中をてしてしと叩く、フィーネと同じレベルじゃないかよ。
 一方、動揺しつつもなにやら考え込んだアニムが、すっと花束に手を伸ばした。桃色と藍色の花の茎をくるくると巻き付けあう。ついで髪のリボンを解き、きゅっと結び挙げた。

「ほら、フィーニス。フィーニスとフィーネのお花、ちっちゃくて可愛いでしょ? こうやって、一本だよ?」
「うみゃ。ほんちょだ。ちゃんと、さんばいがえし、ぞ?」
「うん。ありがと。すっごく幸せ」

 花束を抱いて微笑んだアニムに、フィーニスとフィーネが嬉しそうにくるりとまわった。しばらく円卓の上で踊っていたが、興奮がおさまらないのか、羽を広げて舞い続ける花と遊び始めた。
 まさに花のような笑みを浮かべ。アニムは言葉の通り、幸せそうに肩を揺らしている。

「花瓶に、生けないと。どの、花瓶が、いいかな」
「あの、さ。ついでに、これも、置いておけよ」

 今が機会だと。生花でないのに少しの後ろめたさを隠し、淡い紫色の花が挟まれたしおりを懐から差し出す。押し花のしおりだ。
 アニムはきょとんと瞬きを繰り返している。さすがに恥ずかしくなり、

「いや。いらねぇなら、別にいいんだが」
「いる!」

 掴まれたのは、しおりではなく手だった。アニムのあたたかい両手に掴れ、今度は俺が瞬きする羽目になった。
 そして、アニムはふわりと、どれよりも綺麗な花を咲かせた。

「一生、大切、するね」

 これではお返しにならないだろ。
 耳まで染まったアニムがしおりに口づける。それだけでも喉が詰まったのに。泣き出す寸前の瞳で、胸に抱かれ。俺は頭を抱えて机に突っ伏すのがやっとだった。
 きっと首筋まで真っ赤に染まっている俺に、慌てた声が降ってくる。横目にいれたアニムはおろおろしつつも、そっと肩に手を置き体重をかけてきた。おまけにと、耳に唇を寄せたものだから。彼女の口の中に、溜め息を落とすしかなかった。


― おわり ―




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