引き篭り魔法使いが術を失敗して、巻き込まれてしまいました。

番外編
バレンタイン!
無駄に長いです。いちゃついてるだけの師弟です。

引き篭り師弟と、あまいチョコ菓子。―後編―

「アニム、よく考えてみろ。オレが他の女から花を受け取ったとして、それに唇を寄せてたら、どう思う」
「ししょーが、お花受け取る、想像不可能」
「あほアニムが! 質問の意図を考えやがれ!」

 いひゃい。太ももに片足を乗せたお行儀の悪い師匠が、手加減なしに頬を引っ張ってきます。華やかだと感じたばかりの師匠を前に、変顔を晒している私の心中をお察しください。元の世界なら、着飾って、可愛い包みを持って恥らいながらチョコレートを渡す、この日に。
 さっきはあんな優しすぎる口づけをしてきたのに。って! 別にですね、物足りないという意味ではなくてですね!
 誤魔化し気味に視線を逸らしちゃいます。それでも、じと目で睨んでいる師匠は消えてくれません。実際消えちゃったら、悲しいですが。

「絵になるな、とは思うデス」
「あー、悪かった。遠まわしなオレが悪うございました。花を人に置き換えてみろよ」
「人にって……ししょーが、別の女の人と、口づけしてる、いうこと?」

 あっ、ダメだ。泣きそう。しかも、連想元がお花なので、師匠にお似合いな華憐美人を想像しちゃいました。例えるなら、写真で拝見しているディーバさんみたいな、妖精さん。しょんぼりどころの話ではありません。
 容易に浮かびすぎた映像で、顔が俯いていきます。なのに、師匠はやたらと、にこにこ笑顔を浮かべちゃったりして。ちくしょう。

「なっ? 腹が立つだろ。ラスターからの花に、お前が口づけしてるの見た時の、オレの気持ちがちったー理解で――」

 ぎゅっとスカートを握った手に、ぽつりと落ちた雫。うぅ。ダメです。止めようと思えば思うほど、さっきまで抱えていた『初めて』への不安がこみ上げてきて、目が湿っていきます。
 でも、なんとか踏ん張りました。涙が落ちたのは、最初の一滴だけ。頭の中で、フィーニスとフィーネが手を繋いでダンスをしているのを妄想して、元気を出します。可愛い! 死ぬほど可愛い!! 半目の照れフィーニスと楽しげなフィーネが、お尻をふってる! 二人は天使を越えた天使! マイ・エンジェル!!
 よし、通常運転。ふんと、鼻を鳴らして大げさなくらい、高い声を出してやります。

「あれですよ! ししょーは、経験豊富、ですからね。どうせ、私はお子ちゃま! 次からは、気をつけるですよ。ラスターさんと、私の口づけは、想像出来ない」
「おい、アニム」
「あっ、おやつ用の前に、小さなお菓子、焼いてくるね! あまりの美味しさに、びっくり、しないでね!」

 逃げるわけじゃありませんよ? ただ、折角師匠とふたりきりなので、単純にバレンタインチョコ的に食べてもらおうと思ったんです。だれよりも先に。
 ちょっと言葉が繋がっていないかなと承知しつつ。にへらと笑いかけます。無理に浮かべたわけじゃなくて、師匠に美味しいって笑ってもらえたら、嬉しいなという意思だったのです、が。
 気がつけば、師匠に抱きすくめられていました。嬉しいけど! 縋るような感触に、焦りの方が勝ります。

「ごめん」
「ししょー、謝ること、何にも、ないですよ?」
「オレのちっせぇ心で妬いて、アニムを泣かせた」

 あっ、そうか。師匠はやきもち妬いてくれてたんですね。私、自分のことばっかり考えてました。そっか、そうか。師匠が妬きもち。って、えぇ?!
 びっくりするやら嬉しいやらで。パニック状態です。だって、あの師匠がですよ? 私の首筋に甘えるようにすり寄って、子どもみたいな言葉をくれています。相変わらず、師匠のごめんて、可愛い。
 さっきまで抱いていたもやもやが、嘘のように晴れていきます。

「ししょー、可愛いね」
「毎度まいど言うが! 稀代の大魔法使いであるオレに可愛いなんざいうの、お前くらいだ! あほアニム!!」

 おっと。よしよしと頭を撫でた途端、師匠が怒っちゃいましたよ。だって、本当に可愛いんだもの。子ども扱いとかじゃなくって、かっこいいのに可愛い要素もあるって惚れるしかないだろ的な意味なんですけれどね。
 といいますか。出会った当初から聞いてますが、師匠を可愛いって言うのって私くらいということは、私が初めてと変換しちゃっていいのでしょうか。

「ねぇ。ししょー。じゃあ、ししょー、撫でるのも、可愛い言うのも、私、ぐらい?」
「そう言ってるだろうが! オレの師でさえ、誉める時は、肩を叩くくらいだったぞ。頭を撫でるだとか、可愛いなんて称するのは、アニムくらいだぜ」
「そっか……。そっか、嬉しいなっ」

 ぎゅっと抱きつくと、師匠から溜め息が落ちました。呆れなのか安堵なのか。若輩者な私にはわかりません。ですが、師匠の背中を掴んだのと同じくらいの強さで肩を抱かれ。私の頬は止められないくらいに緩んでしまいます。
 嬉しいと笑った私をいぶかしんだのか。折角密着していた体を離されてしまいました。

「いまいち、お前の喜びどころがわからねぇんだが」

 ぎろりと睨まれても、怖くはありません。満面の笑みを返した私に、師匠は眉をひそめます。でも、私は、師匠が頬を赤くして不機嫌になるのが、嬉しくて仕方がありません。
 頬杖をついて片目を潰している師匠に微笑みつつ。小さいカップに種を流し込みます。師匠は、幸せに頬を緩めている私を静かに見つめてくれます。肌寒さも気にならないほど、心地よい空気が漂います。

「えっとね。私、ししょー相手で、初めてばっかり。だから、ししょーの初めて、欲しいなって、思ってたの。だから、すごく幸せなの」

 窯の鉄の扉を閉じると、同じような熱で胸を焦がされました。じりじりと肌を焼く熱。直接何かを燃やすわけじゃないのに、心を撫でる熱さ。わざと離れた場所から暴露したのは、照れ隠しです。すみません。
 調理場に戻ると、待っていたのはへの字口の師匠でした。よいしょっと腰掛けなおすと、ぐしゃぐしゃに髪を掻き乱されちゃいましたよ。

「オレは、早く、お前の『初めて』を奪いたい」
「え? 私、ししょーが、初めて、ばっかりだよ?」
「あーはいはい。ありがたいことです」

 やけにかしこまった師匠の口調に、笑いが零れてしまいました。しかも、耳元で囁かれやけにくすぐったいです。震えた体が恥ずかしくて身をよじると、師匠の方からすっと離れていきました。
 首筋を摩りつつ、疲れた様子でお茶を飲む師匠。目元を染めているのに、照れているというよりは投げやりです。

「ししょーは、かっこいいよ。というか、綺麗。でもね、可愛いししょーも、好き」
「……なんだよ。今日は誉め殺し祭りの日かよ。つか、誉めてるのか? それは」

 素直になっただけなのに。師匠はものすっごく不審そうに口元を歪めました。うーん。どうしたものでしょう。言葉ではうまく伝わらないようです。
 そうだ、と。ちょっと高めの椅子から飛び降ります。そのまま、じっと見つめてくる師匠の後ろにまわり。ぎゅっと背中に抱きつきました。

「アニムさん、いかがされましたか」
「ししょー、すごく棒読み、ですよ。あのね、ししょーにとって、私だけなこと、あって、嬉しいの。私だけの、ししょー、いて、ありがとって」
「あのなぁ。お前はオレをどうしたいんだよ」

 すりすりと、大好きな師匠の背中に頬をこすりつけてやります。はぁぁ。幸せ。ガトーショコラの焼ける甘い香りと、師匠の匂いに心が満たされていきますよ。
 師匠の呆れた声は無視して、ぎゅぅと体を密着させてやります。今日くらいは思いっきり甘えてもいいですよね? まぁ、いつもだろと頭を叩かれそうな気もしますが。
 しばらく放置されていましたが。師匠もじっとしているのが限界だったんでしょうね。胸を掴んでいた手を軽くはたかれました。残念ですが、しつこく抱きついてうっとおしがられるのは悲しいので、大人しく離れます。

「そろそろ、チョコ焼けるかも。ししょー、いきなり、抱きついて、ごめんね?」
「って、おい。アニムだけ満足して逃げるな。当て逃げだ」

 当て逃げとは。よくわかりませんが、申し訳ございません、と頭を下げようとした瞬間。くるりと向き直った師匠の腕が伸びてきました。気がついた時には、師匠の腕の中。これも私が嬉しいだけと思いつつ、にへらと締まりのない顔で、遠慮なく背中をつかんでやります。
 自分から抱きしめておいて、頭上からは盛大な溜め息が落ちてきました。

「ししょーは、やっぱり、すごい、魔法使いだね。私のもやもや、すーって、消してくれるの」
「話の脈絡はちっとも見えないが……だらしねぇ笑顔に免じて、突っ込まずにおいてやるよ」
「せめて幸せに蕩けてる、表現して欲しい、ですよ。どーせ、私は、ししょーみたく、かわいくない、ですけど」

 ぶすりと。本当に可愛くなく拗ねてしまいました。見上げた先にいる師匠は、うげっと頬を引きつらせています。そんなにどん引きする顔でしたか。すみませんですよ。
 数秒、体から離されていた師匠の掌。熱を送り込んでくれていた元が、急激に冷えていきます。寂しいですけれど、とりあえずお菓子を窯から出さねば。

「ししょー、ちょっと、お菓子、とってくるね」
「おぅ」

 にかっと笑った師匠が頭を撫でてくれました。嬉しいけれど……どうしてか、物足りなく思ってしまいます。私、すっかり贅沢になってしまいました。前は師匠が触れてくれるだけで幸せになれたのに、告白以降、もっともっとと願ってしまうんです。
 いかんいかんと頭を振りつつ、窯の扉を開けます。すると、ふんわりとちょうど良い感じに色づいたガトーショコラが顔を覗かせてくれました。
 よし、初心に戻るのです。

「ししょー、お試し、食べてから、作業戻る?」
「あぁ。ちょうど小腹が空いてたからな。うまそうじゃねぇか」
「へへっ。今日のはね、ちょっと、特別」

 おっと。つい口を滑らせてしまいましたよ。首を傾げた師匠をよそに、ささっと粉砂糖を振りかけます。師匠は甘党じゃありませんので、少しにしておきましょう。
 師匠の分と自分の分をお皿にとりわけます。ぱくりと、師匠のお口に入っていったお菓子。つい、じっと見つめてしまいました。

「どう?」
「いつも通り、うまい。だが、特別ってのはなんだ? 味はかわらねぇように思えるが。ほれ」
 
 私の手元にもあるのに。師匠は自分の分をさくっと切り、フォークを差し出してきました。えっと、あの。それは、あーんてやつですか。師匠は、ものすごーく無意識でしょうけれど。この天然さんめ! と心の中で悪態をついても、つんつんと唇に突きつけられるお菓子が引っ込んでくれる気配はありません。
 意を決して、「あーん」とおどけつつ、ぱくりとかぶりついてやります。うん、美味しい! 焼き立て最高! 自画自賛!
 もぐもぐと頬張る私を見て、師匠は目を細めます。けれど、すぐにはっと額を押さえました。なんぞ。

「全く。可愛いのは、お前だっつーの。センの奴、ぜってぇさっきのアニムの行動、ラスターに言いやがるよな。あー、花なんて、せめて手の届かねぇ場所にでも飾るんだった」
「ししょーこそ、脈絡なくて、弟子、激しく動揺、ですよ。可愛くても、許されることと、だめっていうこと、あるですよ」

 頬杖をついて、困ったように微笑む師匠。
 かぁっと上がっていく体温が恨めしい。師匠の可愛いは、あれです。ハムスターが頬袋を膨らませて頬張っている姿を微笑ましく眺める、飼い主の心情的な。ちきしょう。私への可愛いと師匠が可愛いのは、天と地ほどの差があるんだから。

「あほアニム。可愛いかわいい、連呼するな。それに、調理場に来てからずっと、可愛いのはお前だ」
「かっ! かわっ! うそ!」

 かわうそって、自分。可愛いなんて嘘って、罵りたかったのですよ。
 師匠から、急に可愛いをもらって。真っ赤になっているだろう顔の上、口をぱくぱく間抜けに動かすことしか出来ません。
 これが! バレンタインマジック?! ただし、これは私の中での一人バレンタインなはず!
 動揺しすぎて、椅子からずり落ちちゃいましたよ。でも、師匠がさっと腰を支えてくれたので未遂ですんだのですけれど。いっそのこと落ちたかった! 腰に添えられた指が! いやらしい具合!
 師匠ってば、にやりと意地悪く笑って「どーしました、アニムさん?」なんて覗き込んでくるし!

「ししょー、熱でもある、じゃないの? チョコ食べて、さっさと、寝たほうが、いいよ!」
「ほぅほぅ。じゃあ、計ってみるか? あぁ、違うか。アニムがオレと寝て欲しいっていうお誘いか」

 くそう。これみよがしに、額を擦りつけてくる師匠。師匠のどあっぷは苦しいですよ。かっこよすぎて。しかも、浮かべられてるのはやけに艶っぽい笑み。寒色なはずの瞳は、熱っぽいです。本当に熱でもあるのかな。
 がっつりと師匠の頬を挟んでやります。よかった。体温はいつものようにちょっと低めです。
 
「私なくて、ししょーが、寝るの! 添い寝希望なら、よろこんで、お供しますが!」
「なぁアニム、お前。それはわざとか」
「え? 膝枕のが、よかった?」

 弟子、師匠の心中を察せませんでした。申し訳ございません。
 今度は私が師匠の顔を覗きこむ番です。首を傾げると、師匠がぐっと喉を詰まらせて仰け反っちゃいました。逃がすまいと、乗り出して手を握ります。みるみるうちに、染まっていく師匠の耳。え? 膝枕なんていつもしてるから、今更照れることないのに。あまりに可愛いを連呼したので、甘えん坊さんみたいで恥ずかしいと思っちゃったのでしょうか。
 掴んだ師匠の手を両手で包み、そっと唇を寄せてみます。花びらに口づけしたやきもちを妬いてくれたお礼もこめて。

「大丈夫。ししょーは、世界一、かっこいい。大好き」
「――っ! 的外れな誉め言葉と告白、さらりと口にしてんじゃねぇよ!」
「面目ない、ですよ」

 どさくさに紛れてした告白は失敗だったようです。とほ。
 眉を跳ねて怒ってる師匠も好きだなぁとか、まさに的外れな考えがばれたのでしょうか。さらに視界を細めた師匠に、がぶりと食いつかれてしまいました。あっチョコ味だ、なんてうっとりしたのは束の間で。侵入してきた熱さに、あっという間に力を奪われていきます。何度も絡まってくる感触に腰が抜けそうになり。ぎゅっと師匠の背を掴むと。同じくらいの強さで、師匠も抱きしめてくれました。
 だっダメです。激しすぎて、意識が朦朧としてきました。ギブアップと師匠を叩いてから、たっぷりと経過した時間。ようやく解放された時には、胸が大きく弾んでしまいました。うぅ。大きいのは動きだけですけれど。
 はふっと零れた吐息の先。師匠と私の間にある糸に、くらくらと眩暈が起きます。師匠が真剣な面持ちで拭き取ってくれるのがやけに恥ずかしくて。俯くしかありませんでした。何度見ても、この仕草は慣れません。

「で、特別って、結局どういう意味だ?」
「えと。内緒――って、言えばいいんですよね! 白状、するですよ! 気持ちが、特別、いう意味なの!」
「気持ちだ? 子猫たち関連か?」

 師匠って、変に鈍い時がありますよね……。確かに、我が家でお菓子といったら、フィーニスたちという連想はありますが。
 ふぅっと溜め息が落ちたのは仕方がないですよね。

「なっなんだよ、その反応は」
「ししょー、にぶちん。あのね、今日は、私の世界で、好きですって、告白する行事の、お菓子作ったの。ちなみに、お返しは、一ヶ月後ですよ。三倍返し、です」
「にぶちんて、お前なぁ……」

 って、おいおい。お師匠様。反応する箇所が違うんじゃないですか。
 腕を組んでむすりとしちゃってるですよ。拗ねたいのは私の方です。これはいつも好きすき言い過ぎてる弊害なのでしょうか。これからはちょっと自重しよう。
 とはいえ、今日はきちんと伝えておきたいです。かしこまって背を正します。師匠は反対に、足の間に手をつきました。背を丸めて眉をひそめている姿は、可愛いです。もしかして、こんな師匠の姿を見られるのも、私の特権なのかなと想像すると、嬉しくてたまりません。

「ウィータ、さん。大好き、です。いつも、あったかい気持ちや、どきどきくれて、ありがとう、です。どんなウィータ、さんも。私、好きです」

 こんな時ぐらいしかと、名前を呼んでみました。
 蕩けていく視界の中で、師匠はこれでもかというくらい、目を見張っています。もしかして、名前呼びは失敗でしたでしょうか。肝心の告白をスルーされている予感。

「ししょー? えっとね、ししょーが、どうしようもなく、好きだよって、告白だったんだけど。チョコをね、意中の人にあげて、気持ち伝える日、なんだけど」
「……勘弁してください、アニムさん」
「ししょー、撃沈するほど、苦しい?!」

 ぎょっと、音を立てて立ち上がってしまいましたよ。でも、机に突っ伏した師匠の耳が、これ以上ないくらい、鮮やかに染まっていくのが見えて。今度は鼓動が早くなっていきました。
 師匠の肩をゆすってみても、さらに熱があがっていくだけのようです。そんな師匠が嬉しくて、小さな笑いが零れてしまいました。

「アニムは、ずるいよな。大体、名前呼んでおいて、師匠って言いなおすのがまた喜ばせてるっての、気付いてないだろ。タチが悪い」
「いや、だった?」
「ほら、また。そのタチの悪さに参ってるオレも、相当なもんだがな」

 師匠の手の甲が、すっと頬をなでてきます。苦笑いの師匠に、どくんと跳ねる心臓。きゅっ急に大人っぽくなるんだから、師匠は! いえ、大人なんだけど。見た目は私と同じ位なんですもん。
 今度は私が染まっていく番です。私たち師弟は、赤面合戦でもしているのかと突っ込みたくなりますね、はい。しかしながら、突っ込みは不在です。まぁ、センさんがいてくれても爆笑を響かせるだけでしょうけれど。
 あっとか、うっとか。意味不明な言葉しか出せない私を、師匠は笑ってきます。

「じゃあ、アニムの想いが篭った菓子、ありがたく頂くとするか。あぁ、お返しは一ヵ月後だったか。欲しいものがあったら、言えよ?」

 すっかり熱が引いた様子の師匠は、ぱくりとガトーショコラを頬張りました。
 欲しいものとは言ってもですね。なんとなくですが、この場でお花っていうと、師匠へそを曲げそうですし。
 うーんと、腕を組んで体ごと傾けて思案してしまいます。そうだ!

「あのね、ししょー。ものじゃなくて、いいから、今ちょうだい?」
「一ヶ月後つっても、別段忘れたりしねーぞ? まぁ、アニムがねだるなら、オレとしてはどっちでもいいが」
「じゃあね、もっと、頂戴」

 ちょいちょいと師匠の袖を引っ張ってやります。きゅっと唇を結んで、羞恥に耐えます。
 が、師匠は瞬きを繰り返し、自分のお菓子を差し出してきました。違うですよ! 私のもあるもん! あーんして欲しいって意味じゃないですよ!
 やっぱり変な所で鈍い師匠です。
 恥ずかしさが限界突破しそうになるのを我慢して、瞼を落とします。あっ。がちゃんと、フォークが落下した音が響きました。師匠からは突然してくるのに、私からお願いしたり、口づけしたりなのには、盛大に照れるんですよね。
 澄んだ空気の中、どれだけ沈黙が続いたでしょうか。切ないけれど、自分からしてしまおうかと腹をくくった矢先。

「これじゃ、礼にならねぇだろうが。オレを喜ばせてどうする」

 溜め息混じりの吐息を耳元で感じ、体が震えました。
 
 それから「もう、やめてを、聞いてくれるが、お返しにして!」と懇願することになるのは、すっかりお茶も冷めた頃。
 三倍返しなんて、口にするんじゃなかったです。
 思ったのをそのまま、ぐったりした体を抱きかかえてソファーに移動する師匠に愚痴ったのは失敗でした。「まだ足りてないからな」と耳元で囁かれ、嬉しいのか後悔したのか、考える余裕さえなくなってしまいました。



― おわり ―




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