引き篭り師弟と、むかえた朝
「う……ん。あめ、かな」
寒さに震えたのは一瞬でした。ぐいっとお腹を引き寄せられ、ぬくさにはふっと吐息が漏れます。
とてつもなく心地のよい夢を見ていたみたい。内容は覚えてないけれど、ふわふわとした余韻があります。懐かしいような、苦いような、不思議な夢。
「ぬくぬく、しあわせ」
いつまでもまどろんでいたいのに、現実に戻りたいと想ってしまう矛盾。どうしようもない疼きに瞼を上げると、いつも通りの風景がありました。自分の手と暖炉と、雨の薄暗さ。それに首筋をくすぐる髪。
違うのは、背中と腹部に感じる、障害物のない触れ合い。
「あっ、う……」
昨夜の自分の様子がありありと思い出され、ぼっと全身に火がともりました。
私! 初めてだったのに、どれだけ、はしたなかったのか! 恥ずかしい台詞をありえない声色で吐き捲くったどころか、師匠をねだった。
今更ながらに羞恥に悶えてしまいます。
「わっわたし、変じゃ、なかった、よね?」
しかも。私以上の言葉と激しさをくれた師匠。今までも熱っぽいと思っていた瞳をさらに超えた視線が、ずっと私だけをとらえていた。体も心も、燃えて仕方がありませんでした。
ずくんと腰周りに走った鈍い痛みが、師匠の愛情から嫉妬、なにからなにまで思い出させます。
『あほアニム。オレの想いと今までの忍耐をなめんなよ。どれだけお前に触れても、たりねぇ』
ぶっきらぼうな口調に反した、甘くてどこも蕩けてしまう音。粘着質な水音に混ざった、師匠の声。どれを思い出しても、お腹がずくんとします。起き抜けなのに。
背後から自分を抱きしめる人の温度が、直接すぎて。どくんどくんと、鼓動は早まるばかりです。恐る恐る、体を捻ると。目の前には気持ち良さそうな師匠の寝顔がありました。
「ししょー、ぐっすり、です?」
囁きかけて、頭を撫でてみます。師匠が狸寝入りをしている気配はありません。
むしろ、すかーと寝息を立てられてしまいました。展開的に後ろから抱きすくめられ、おはようふふ的なのを想像していたのですが。
「ここまで無防備な、ししょー、はじめて、見たかも」
熟睡している師匠が可愛すぎて、全く不満はありません。それどころか、めちゃくちゃ嬉しいです。
私を過去から未来に戻す術をずっと練っていてくれた上に、発動してくれた。あまつさえ、歓迎会で騒いで、私の話を聞いて、私を受け止めてくれたんですもん。
「外、真っ暗。今、何時だろ」
柱時計に目をやると、れっきとしたお昼でした。
お腹はすいていませんが、やたら喉は渇いて、声も掠れています。枕元の果実水をグラスにつぎ、一気に飲み干しました。
師匠が起きた時、口づけしたいので、顔を洗って歯磨きでもしてきますかね。寝起きは口臭、要注意です!
師匠の部屋には簡易洗面所兼お風呂がついているので、ありがたいのです。私の部屋は廊下に出ないといけませんからね。
「さぶっ」
シーツから出た途端、襲ってきた寒さ。自分が裸だったのを改めて知らしめられ、熱があがります。
脇の椅子にかけてあった寝巻きと下着を身につけ、そっと洗面所に続くドアに手をかけました。
「眠いのに、眠くない。変なの。というか、腰、周り、違和感」
痛くはないのですが、けだるい感じはします。しゃこしゃこと歯を磨いているうちに、口内に爽やかなミントの香りが広がりました。
うん、大丈夫。顔もしっかり洗って化粧水もはたいた。かっ体についた赤い跡は見ない振りしておこう!
洗面所の窓を叩く雨音を心地よく思いながら、早く師匠の側に戻りたいとドアノブを握る手も焦ってしまいます。
「ししょー、おはよ」
ききっと。少し立て付けの悪い音が響きます。ベッドには上半身を起こした師匠が、少し寂しげに、私の枕を抱えていました。あれ、どうしたのかな。
私の挨拶に、二三度瞬きをし。師匠は、くしゃりと笑いました。私も笑い返したのですが。すぐに、むっとした不機嫌さんに変わってしまいます。あれれ。ちょいちょいと手招きされ、大人しくベッドに乗りあがります。
「人が寝ている間にいなくなるなよ。寒くて目が覚めちまったじゃねぇか。つか、声掠れてるな」
「起こす、悪い思って。えと、ほら、ししょーいろいろと、お疲れだし」
師匠の足の上に座らされました。しかも横抱き状態で。それと昨日の行為がまた蘇ってきて、まともに師匠の顔が見られません。
顔を覗き込んできた師匠は、むすりと不機嫌のまま。
「あ、そうだ。ししょー、おはよう。それと……昨日は、ありがと」
口づけするために、抜け出して歯を磨いてきたんでした。軽くですが唇に触れ腕を首に回して、掠れる音で紡いだお礼。
有り得ないくらい頬が熱っぽいですけど、ちゃんと言っておきたかったんです。
口づけに驚いたのか。師匠は目元を薄っすら色づけたまま、固まっています。が、すぐにお礼が不可解だといわんばかりに首をかしげちゃいました。
「私のお願い――雨乃とアニム、両方もらってっていうの、聞いてくれて、呼んでくれたのと。師匠をくれて、ありがと」
「……それは、こっちの台詞だ。あほアニム」
「うれしい」
師匠も同じ気持ちでいてくれると思うと、嬉しくて仕方がないです。睨まれても、全然怖くないです。むしろ、全身が蕩けていくのがわかります。
間髪入れずに口にしたお礼。師匠がへにゃへにゃってなっちゃいました。いえね、眉間に皺は寄ってるし、どこか怒っているような雰囲気ではあるのですよ。
腰を支えてくれる手に力が入ったものの、微動だにしない師匠。しょうがないので、もう一度、今度は頬にちゅっとしちゃいました。おまけに頬ずりつきです。
「ったく! 余裕なんざ、これっぽっちも生まれないっての。逆だ、逆。堕ちていく一方だろ、これじゃあ」
「舌打ち、ひどい! それ、私の台詞、だよ!」
ちっと、雨音が心地よい空間に響いたのは、甘い声ではなく盛大な舌打ち。こっこれが、一線を越えた朝、朝じゃないけど、恋人から受ける仕打ちでしょうか!
アニムは断固抗議します! 身体をはなした瞬間、景色が一転しました。おおう。まわる視界。いとも簡単に師匠に組しかれていました。
「うっせぇ。もう我慢してやる必要はねぇんだからな。アニムは自分の発言がどんだけやばいのかを身を持って学びやがれ」
というか! 掌を握るように押さえつけられている姿勢は、より一層昨日の触れあいを思い出させて。ぶわっと全身が染まっていくのが、それこそ身を持ってわかります。擦れあった肌の感触と体温。それに耳に流れ込んできた、師匠の荒い呼吸。
堪らず逸らした顔。横目に入ってくる師匠は、意地悪笑顔を浮かべて、吐息が吹きかかる距離まで近づいてきました。
「これこれ。この反応が見たかったんだよ。初めての朝は、一回きりだからな。なのに、アニムときたら余韻なく抜け出してるしさ」
「だっだって、私、初めて! だから、よくわかんなくて、でもししょー、寝顔綺麗なのに、私、起きた顔、綺麗ないから、口づけしたくて、だから歯磨き」
飛び出してくる言葉が支離滅裂。うぅ。羞恥プレイだよ。
楽しげに口づけの雨を降らせていた師匠が、ぴたりと止まりました。これは何かのフェイントかと恐々瞼を開けた先にいたのは……きょとんと、幼い様子で瞬きをしている師匠でした。私も、同じようにぱちくりしちゃいます。
と、ふいに肩口に埋もれてきた師匠。ひぇぇ。そんなところで、息を吐かないで!
「オレの、ため?」
「ししょー以外、だれがいるですか。あ、でも私自分のため、かもですね。ししょー、ぐっすり思って、勝手にいなくなって、ごめんです。メモ、置いておけば、良かった」
こてんと、私の横に寝転がった師匠。お互い向き合った体勢です。
苦笑を浮かべた師匠が、柔らかく頬を撫でてくれて。うっとりと、しちゃいます。師匠の指先も、体温も心地よい。大好きな指が頬をくすぐる。
そう、その指が昨日――。
ぼんと蒸気が飛び出たですよ。はい。見事に。私、浸りすぎでしょう! これじゃあ、変態さんです!
思わず、師匠の手を剥がして、両手で包み込んでしまいました。
「目が覚めて、アニムの香りも体温も、シーツに残ってたのに。昨日の幸せも、アニムが戻ってきてくれたのも、全部夢だったんじゃないかって、怖くなったんだ。師匠でもウィータでも、どっちのオレも好きだって笑ってくれたのも。なさけねぇよな」
「ししょ――ウィータ」
師匠があまりにも儚く微笑むものだから。師匠の手を片手で握ったまま、掌を頬に乗せます。
情けないなんて思うはずがありません。私には百年という時間は想像もつかないし、師匠があの時の私アニムを待ち焦がれていたのだと、嫉妬もしちゃいます。もちろん、師匠は私に恋してくれたって告げてくれたし、ウィータも好きになった今、そうだとしても幸せだなって思えるようにはなりました。
だから、想像はつかないけれど、過去にいた数日感だけで、二度と師匠に触れられないかもと考えた間の辛さは知っています。
「オレが一人で見ていた、都合の良い夢だったんじゃないかって。アニムがオレを求めてくれたのも、受け入れてくれたのも、落ちる直前向けてくれた、あの泣きたくなった笑顔もさ」
「私は、ここにいるよ。私もね、過去にいた時、ウィータが側いてくれて、すごく安心した。けどね、やっぱり、ししょーともう会えないかは、すごく不安だったの。情けないなんて、ないよ。それに――」
えいっと抱きついてやります。力の限り、ぎゅうぎゅうと。
背中を掴んではなしませんよ。熱すぎる体温よ、伝われーって。フィーニスとフィーネがくれる心地よさには叶わないかもですが。私の最高潮の熱です。
「ししょーが、揺れるなら、その倍、私、ししょー触れる。私にも、触れて欲しい。私はもう、ずっとししょーの傍に、いるし、いたいの。私の魂は、ししょーの魔力で、ずっと包まれたい。ししょーとね、一緒に見る、この世界が好き」
そう。師匠を生んで、師匠を育ててくれて、師匠が大好きで嫌いなこの世界が、私は好き。故郷も大切だけど。もう、故郷って呼べる。元の世界じゃなくって、故郷って。
まだ、この世界となんと呼べばいいのかはわかりません。でも――。
「ししょーの隣が、私の、生きる場所だから。ししょー、私消えるなんて、思ったら、許さないんだからね! 死んでも、化けて、出てやる!」
「アニムだって一生――いや、流転する魂全部、オレから離れられると思うなよ」
「望むところ、です! 生まれ変わったら、今度は同い年も、いいよね」
むんと拳を握ってみせれば。師匠は綺麗なアイスブルーの瞳を潤ませました。あぁ、私の大好きな瞳。澄んでいて、綺麗で――優しくて意地悪な、大好きな色を灯す。
お父さん、お母さん。私あめのを生んでくれてありがとう。だから、私は今、アニムとして大好きな人と出会って、一緒に歩める。
「じゃあさ、もう一回」
さっきまでの雰囲気が一変。いつの間にか、また私を組み強いている師匠が、にやりと口の端をあげています。見下ろしてくる師匠は、見惚れるくらいかっこいいです。普段は着やせしてるのに。目の前にある、しなやかな筋肉にごくりと喉が鳴ります。
お師匠様、言霊より実行ですか?!
「でも、フィーニスとフィーネ、目が覚めて、私とししょーいないは、泣いちゃうかもだし! お風呂も、入りたいし!」
「了解。じゃあ、風呂に行こうぜ。ウーヌスなら、一階に下りる間に沸かしてくれるだろう」
「じゅっ順番に、ですよね?」
ちゃきちゃきっとズボンを履いた師匠。背中についている赤い線は、私がつけたものかな。うわぁぁ。
もごもごと私には理解出来ない言葉を紡いで、立ち上がりました。ついでに、私の質問には、極悪な笑みを浮かべて。
無意識でしょうが。シーツを胸元まであげてみたものの。あっさり剥がされたのは言うまでもありませんよね。それでも――。
「色んなアニムが、見たいんだ。オレだけのアニムが、たくさん欲しい」
耳元に流し込むように囁かれ。私には拒否権などないも同然でした。
魔法の言葉です、それ。
「私だって、一緒なの。けど、私、初心者!」
「体、辛いか? 悪い。無茶させすぎたよな」
真っ赤になっているだろう私を、師匠は心配そうに覗き込んできました。
うぅ。卑怯だ。
気遣わしげに眉を落としている師匠に、へにゃへにゃに骨抜きです。
だから、どうしようもなく愛おしくって、私は自分の限界などお構いなしに、もっともっとって願ってしまう。この絶妙な匙加減に翻弄されてしまうんだ。
「私ね、自分でも、おかしい思うくらい、辛くないの。変、かな」
おずっと師匠を見上げしまいます。
こんなこと口にして、初めてじゃないのかなんて疑われないかな。
「いや。一歩手前で慣らしてたかいがあっ――」
べしっと、師匠の額にチョップを食らわしてやります!
たっ確かに、一歩手前までは何度かしてましたけど! されてましたけど! 最後までして初めて、そっちのが何万倍も恥ずかしかったんだって理解しちゃったんですよ。私ばっかり、変なところ見せてたんだって。
「ばかししょー! 納得の仕方が、いやらしいの!」
「いってぇ! アニム、お前なぁ。……まぁ、その反応が全部、オレを煽ってるって身を持って教えてやる」
ひぇぇ。師匠は額を押さえながらも、大魔王様な笑みを浮かべちゃいましたよ!
横抱きにされて廊下に出て、ひんやりとした空気に身が竦みました。ぎゅっと師匠の首に抱きつけば。
「あったけぇな、アニムは」
ぽつりと呟かれて。ふいうちの切なさに、涙腺が緩んでしまいました。
恥ずかしさもどきどきも忘れ、師匠にすり寄ってしまいます。
「あったかいないよ。熱いの。ししょーとね、触れてる部分は、いつも、優しくて、熱くて、苦しいの。それが、嬉しい。から、あの、こんな、可愛げない、私だけど、よろしく、ですよ」
師匠にもウィータにも、ずっと可愛げないって言われたのを根に持っている訳じゃありません。ただ、自覚があるだけ。いつも憎まれ口叩いちゃうから。
でも、ちょっとでもね。ありのままの自分を受け止めてくれる師匠に、そんな自分を可愛いなってちょっとでも思ってもらえたら、嬉しいなって。
「……アニムを可愛くないなんて思ったことなんざ、一瞬たりともない」
「う、そ」
「嘘じゃねぇよ。可愛げないって口にしてても、心の奥ではいつもお前の可愛さと可愛げに悶えてたんだぜ? 反抗的な言動でさえ、愛しいなんて卑怯だろ」
すとんと、床に足がついて。腰に当てられた掌よりも、瞳が私を離さない。
私が師匠の意地悪な笑みも、優しい微笑みも、全部好きだって思ったように。師匠も私から滲み出る全てを愛してくれていたのでしょうか。
結ばれてなお、言葉に出来ない想いが溢れてくる。
「まぁ。時間はたっぷりあるんだ。アニムを弟子にしてからずっと、オレがどんな想いを抱いてきたかをじっくり教えてやるから、覚悟しとけよ?」
ぽんと、頭で弾んだ掌。
ぶわりと溢れた涙を止めることは出来ません。
だって。だって、私と師匠はこれから先もずっとこんな調子なんだろうなって。伝え合っても溢れてくる気持ちと、伝えきれないからこそもっと近づきたいと願える二人。
「それは、私の、台詞ですよ。私、もっともっと、ししょーと、近づきたい」
― おわり ―
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